スペイン語で遊ぼう!みんなの広場_since2004

スペイン好き、ラテンアメリカ好き、スペイン語好き、スペイン語をやってみようかなぁと思っているヒト、寄っといで!

CARACOL

2006-01-21 | 街で見かけたスペイン語
CARACOLという名のバー(?)の看板を見つけた。昼間だったので電気がついていなくて、あまり良い写真ではないけど、せっかく画像の良い携帯に買い換えたのでアプロベチャってみた。


CARACOL(かたつむり)というと思い出すのは『LA ESTRATEGIA DEL CARACOL』という映画のこと。エクアドルに住んでいたころ、コロンビア映画が公開されるというので、なんだなんだとわけもわからず他の日本人留学生2人を連れて行った。南米に住んでいても、ラテン映画を見るチャンスはそうそうなかった。ハリウッドが世界を支配しているのだと思う。文化センターなどのフェスティバルで日替わりラテン映画を見たことはあるが、普通の映画館では最初で最後である。

ところがこの映画、タイトルからしてよくわからないのだが、映画の内容はちんぷんかんぷんだった。でも周りのエクアドル人たちは笑ったり、ドッと湧いたりしていた。私は「聞き取れない」とアセって硬直し、周囲に合わせて笑おうにもどうすることもできなかった。ふと隣の友人たちを見やると、2人とも固まっていた。少し安心した。帰り道、「ぜんぜんわからなかったね~」「でもみんな笑ってたよね~」と3人で暗くうつむきがちに歩いたものだ。

かたつむりの悲しい思い出である。

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はったり通訳

2006-01-17 | ひとりごと
実は最近、1日だけの通訳の仕事が入った。通訳というよりは付添といったほうがいいかもしれない。コロンビアから視察にきた女性に1日付いて歩いた。きちんと報酬を受け取っての“お仕事”は初めてである。たった1年間通訳の訓練を受けて、その後2年近くもほったらかしの身で、仕事を請けるなんてほんとにずうずうしい(←あくまでも私の話。訓練を受けずして立派にお仕事されている通訳さんや「なんちゃって通訳」の方も当然いらっしゃる)

終わったときはホッとした。感想をひとことで言うと、、、
私って意外と はったり君 だったのね~! 
通訳にしても翻訳にしても、背景知識を得るための下調べが勝負だと思う、…というのは唯一通訳学校で身についたことである。幸いなことにネットが開通していたので、ホームページで下調べができた。下調べなくして「はったり」はできない。しかし恥ずかしいことに、調べた単語や図解まで書き込んであるノートを、2番目の事務所に置き忘れてしまったのである。全部で4ヶ所回ったのだが、結局、話が速すぎてメモとってるどころじゃなく、ノートは必要なかった。10行を3行に要約してるんじゃないの?というお恥ずかしい仕事ぶりだった上に、事務所の方にそのあんちょこノートを見られてしまうなんて、汗、汗、汗。一番の失態はコレだろう。

翌日そのCOLOMBIANAは東京へも行き、通訳訓練時代の同級生が通訳を務めたのだが、彼女にも失態があった。訳しながら歩いていて、すってんころりん見事に転んで「ギャー」と叫んでしまったそうだ。

慣れない仕事で緊張したり舞い上がったり、まー色々あるわよね。。。

ところでそのCOLOMBIANAと歩いているとき、「サラダみたいでおいしそうね」と彼女が反応を示した花壇がある。私も以前から大阪のあちこちで見かけ、おいしそうだと思っていたのよね~。黄色と紫のキャベツをてんこ盛りにしたみたいな花壇。私はひそかにキャベツ畑と呼んでいたが、本当の名は不明。


¿ENSALADA?(サラダ?)
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おばあちゃん

2006-01-15 | ひとりごと
ハビエル君のお誕生日に、Yahooカードを送ったら、翌日(といってもメキシコでは誕生日当日)短めの返事が届いた。悲しい知らせだった。あぁ…、ハビエル君、FELIZじゃない誕生日を過ごしたんだね。

ハビエル君のおばあちゃんが、彼の誕生日の2日前に亡くなったのだそうだ。

私がハビエル君たちと知り合ったのは、メリダを旅行した2003年の2月。メリダからウシュマル遺跡を訪ねる1日ツアーで一緒になった。メキシコ・シティーの近くに住んでいる20歳代のハビエル君と、お母さん、おばあちゃんの気さくな3人連れで、「なかなか3人で旅行する機会がなかったけど、とうとうできた」と喜んでいた。

マイクロバスの中で私たちはすぐに打ち解けた。ウシュマル遺跡で、おばあちゃんと一緒に歩いたこと。おばあちゃんに背中を押されて、ピラミッドに登ったこと。メリダからの帰り道、ミチョアカン出身のおばあちゃんが披露してくれた数々の歌のこと。貴重な旅のひとコマひとコマが、美しい歌声とともに思い出された。

おばあちゃんは、亡くなる数日前、メリダ旅行の思い出を話していたという。そして私のことも思い出してくれたのだそうだ。おばあちゃん…。自分の祖母以外の人を「おばあちゃん」と呼ぶのは失礼かもしれない。でもそれ以外に呼び方がみつからない。おばあちゃんは、きっと天国であの歌声を響かせていることだろう。

「ウシュマル遺跡」「続・ウシュマル遺跡」
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