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昨日の東京国際映画祭(4)「神々と男たち」

2010年10月28日 | 映画
           © Wild Bunch 2010

昨日は東京国際映画祭でアフリカの人々を題材にした「燃え上がる火の記憶」とカンヌ映画祭グランプリの「神々と男たち」の2本を観てきました。

まず「燃え上がる火の記憶」ですが、ドキュメンタリーで、芝居の練習の合間に、それに参加している若者たちの日常の言葉から、置かれている問題が浮かび上がってくるという映画です。例えば死者の遺品を売りさばいて生活する若者、いまだに因習として残り命の危険すらある女性の女性器切除の問題など。
ただ、テーマ性はあるけれど、映画としての作り方が未熟なため、寝ている人、席を立つ人が目立ちました。ちょっと総合的な映画という形としてはいまひとつな作品。

次の「神々と男たち」は重みのある作品でした。9.11以降ひとつのテーマになっている関係の中で、アルジェリアの寒村で相手の宗教にも敬意を払い、村の人々に慕われ、医療や相談事を通じて支えるフランス人修道士たちの行いと心の動きを克明に描き出しています。

実際に起きた話なので結末を知っていると観ていて辛く悲しくなる部分もあるのですが、最初はテロの脅威に村が段々さらされて不穏な影が忍び寄ってきた時、修道士たちの中でも「フランスへ帰ろう」「残るべきだ」と意見が分かれるのが人間らしさを物語っていて、皆が苦悶し、乗り越えた後、全員一致でこの地に残ることを決意する場面が胸に迫ります。

司祭を演じる俳優さんが加藤剛さんにそっくりで驚きました。誠実で人をまとめ信頼も厚い人という役を演じる人は、東西問わず似てくるものなんでしょうか?

ともかく、最近、遠藤周作著の「深い河」とインドについて書く機会があったり、映画「ヤコブへの手紙」を観たりして、位のある人は分かりませんが、キリスト教の末端で教える人々の「無私の心」というか「無償の愛」というものに触れ、この作品を観たので、この修道士たちの精神的な支えや強さ、赦しの心というものに驚くばかりです。
カンヌでグランプリを獲ったのも分かる人間の尊厳や平等を考えさせられる重厚な話でした。


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