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哀れなるものたち(映画)

2023年11月25日 | 映画
映画「哀れなるものたち」

よく、海外での受賞や豪華俳優陣、あるいは大作扱いした宣伝文句を鵜吞みにして期待して観に行くと、裏切られたり、まずいなこりゃというときがある。内容は必ずしも悪いということではないのだけれど、ミスマッチなバイアスがかかったまま観ない方が映画は楽しめるんじゃないかな。
ということでいわゆる感動的な名作と思って連れて行かないように(R15で子供は観られない)。大劇場で観るというよりも、昔で言ったらバウスシアターなどで観たよ、といった感じの作品。

俳優陣は粒ぞろい。「ラ・ラ・ランド」主演のエマ・ストーン、相手役にマーク・ラファロ、そして主人公の父で医師役は、今や大御所ウィレム・デフォーとくれば、観てみたい、どんなだろうと想像を掻きたてられる。
「フォックス・キャッチャー」の演技や最近はアベンジャーズで知られるマークさんは、「はじまりのうた」の演技が秀逸だったのでご贔屓なので、特に期待。

少々ストーリーに触れると、医師にはハイティーンの美しい娘がいるが、行動や言動がトンチンカン。それもそのはず。実は娘は自殺した女性の体に宿っていた胎児の脳を移植した、いわばフランケンシュタイン。ウィレムさんのマッドサイエンティストの切れ気味演技は健在ですが、途中から主人公は世界を見たくなり、マーク演じるいい男(少々無理があるが)と父の元を出奔。
いろいろ経験を重ねていくが、知らない人々にだまされてすってんてんになり…。
とにかく裸・絡みシーンが多く、辟易。マーク演じる同行者を捨て進む道が、宣伝にある「女の自立」とは到底思えないところに、この映画か原作かの穴がある。
女はたとえ幼くても、生理的にNOなものには敏感なのだ。
目的のために淡々と誰とでも興じるというストーリー展開に、共感できずついていけなくなった。

うーん、そうだ!これは女性の自立ではなく、AIの進化の物語ではないか、と、ここで見方を変えていくことにした。
人間なら踏み越えられない一線や躊躇があるが、彼女は欲望に真っすぐで、生理的嫌悪感を感じることがない。人間じゃなくAI知能のロボットなんだと思えば腑に落ちる。
シンギュラリティ、怖いね、というのはこういうことなのだろう。






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