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唐十郎 紅テント「ひやりん児」 (芝居)

2011年05月29日 | 芝居小屋
お久しぶりです。今日の午後、台風は温帯低気圧に変わったそうです。とはいえ、外出していたら結構雨足が強かったので、まだ風雨とも注意が必要なようですね。


さて、ちょっと前になりますが、5月中旬に、唐十郎率いる唐組の芝居「ひやりん児(ひやりんこ)」という、へんてこりんな題名の芝居を観て来ました。
場所は花園神社や鬼子母神境内でなく、明治大学のひだまり広場にテントをしつらえて行われましたのさ。唐さんがOBということが関係しているのでしょう。
もちろん地面はでこぼこの上にござを敷いてで、他の上演地となんら変わりありまへん。ただ、大学OBか師弟の親御さんなのか、着飾った年配の方がおり、地べたに座るにはどうかな~といった感じの方もおりました。

さて、整理番号順に靴袋をもらって靴下になり、ござのどこでも好きな場所へどうぞとのことで、丁度窪みになってて背中に石がある場所をゲット。持参したサッカー観戦用の座布団(昔マリノス戦でもらったウレタンの)を置き、準備万端。

実はこの芝居、水戸芸術館(地震の時、ニュースで水戸が映ると、高ーい塔のようなものが見えるところにある)で上演されるはずだったのが、東日本大震災で中止となり、「お見舞い公演」として、大阪と東京へ会場を移して行うことになったとのこと。

さて、神主張りに大幣を持った先触れの演者が観客の間に立ち、今回の震災を踏まえて、テントなので入り口だけでなく左右あちこちから避難できると口上を述べた後、いよいよ開幕!

話は「豆腐売り」の青年ひやりん児を中心に、唐が演じる風来坊の兄貴分や、ルビーを巡る男女の争奪戦のような内容。
主人公はガラス張りに水を張った水槽のようなリヤカーに豆腐を1丁入れて彷徨している。
それに絡む男女が、あまり上手とは言えない歌をところどころで歌い、へんてこりんな雰囲気をかもし出すのだ。
物語中盤では唐が登場。往年のファンからも若いファンからも歓声が上がる。

ラスト近くには、唐が熱湯風呂に入るたけし軍団のように水槽リヤカーの中へ潜り、豆腐をこなごなにしてしまうのだ。
なんとメチャクチャ&痛快で大笑い!
そしてラストはおきまりの、背景がバーンと倒れて、本当にそこにある風景の中へ主人公が去っていくという形。

上演後はなんかほのぼのした感じがしましたねー。

その後は、特別にアフタートークが行われました。これはホント面白かった。
大学の学長さんの挨拶の後、
唐さんと、文化人類学者の中沢新一、あと編集者の人と大学の教授の4人でいろいろ語りあったのですが、何かと中沢さんは東日本大震災と原発事故に絡めて語りたがり、豆腐はまさにプルプル震えている日本だとか、3台のスクリューは1~3号機を連想させるとか、最後にはあまりにこじつけなこと言ったので、皆が「そ、それは考えすぎでは」みたいな場面も。
でも、実際は震災前に作られた台本ですが、そうやって見ればそう見えないこともないという部分はあります。

それより、唐さんの東北との縁の話が興味深く、戦中は福島に疎開されていたそう。また、寺山修司とも芝居を通じて縁深いため、後年、足跡を辿る旅を明大の教授としたときの話などもされていました。

あと、大阪公演の話が出て、中沢さんが大震災への温度差があったと言っていました。例えば、酒場で東京では「余震が」「1号機が」といった話がそこここで交わされるのに、大阪では誰もそんな話をしていないというのです。
実際、私も震災後、取材で中部以西へ行った時に、東日本大震災についての話を取材相手と交わした際に、東北の方へのいたわりや励ましの気持ちはもちろん一緒ですが、私たち関東圏の人間のように「まだ危機を脱していない不安感」というものは、感じていないようでした。もちろん、それを感じない地域に住んでいるということは幸せなことなので、完全復興までは被害を受けなかった地域の方、自治体や企業が頑張って日本に活気を与えていってほしいですな。

ところで、劇中、実在する築地場内に1軒だけある豆腐屋さんや近所のお寺の名前が出てくるのですが、これは唐さんが街を散策して見つけた所を台本に盛り込んだとのこと。こういう話も聞けるのがいいですね。

といった感じで、アフタートークも終わり、夜は更けていきましたとさ。終わり。
コメント
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