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ブラック・スワン (映画)

2011年06月12日 | 映画
映画「ブラック・スワン

東日本大震災以来しばらく映画のコメントを書いていませんでしたが、遅ればせながら大震災以降に観た映画について語ります。

まず、ナタリー・ポートマンのアカデミー賞主演女優賞&結婚・オメデタ、「レスラー」のダーレン・アロノフスキー監督で、鳴り物入りで登場した「ブラック・スワン」。
予告時点でかなり期待させるものでしたが、いざ観てみると…この手のストーリー、日本の小説やマンガではかなり語りつくされた、それこそ「古典的な」題材じゃんってなカンジを受けました。例えば、二面性で言えば乱歩や川端の小説や、山岸涼子センセやあしべゆうほセンセの漫画が最初に浮かびましたね。
「リング」などJホラーが米国で流行った時も言われたけど、あんまりアメリカ映画って感情や心理面でヒタヒタというものに慣れてなく新鮮に感じるようですね。日本人とすれば、もっとああすれば深くなるのにとかあるんですけどね。
これは陰影のある文化への成熟度の日米の違いだと思います。

とはいえ、ナタリー・ポートマンは熱演だし、黒鳥へ変化するシーンのCGは出色の出来だと思います。このシーンは素晴らしかった。キーポイントで始終出てくる背中の引っかき傷を中心に、首・胸・腕へと皮膚の毛穴が開き呼吸して、蛇の鱗のようなカンジに。うーんミスティーク!(あ、これは違う映画だった)


母親からの抑圧を感じる娘、思春期に親離れをできなかった娘、大役のプレッシャー、ライバル登場、それが食欲・性・死と第一次的な欲求を歪ませていくというところでしょうか。
バレエ団の実力者である振付師(ヴァンサン・カッセル)が、「誘惑するような魅力がない君には黒鳥は無理だ」と主人公を挑発し、感情的な表現力の殻を破らせようとしますが、真面目で潔癖なな主人公は直截的に「性」として受け止めてしまうんですね。
確かに、振付師は恋多く、主人公にもキスや触るなど行為を行いますが、恋愛対象としては全然見ていない。「君が誘惑するはずなのに、私に誘惑されてしまっている」と言い放つとき、自分の演出方法と演技者の違いという観点で観ているなとわかるんです。こうやってアメとムチで開幕に最高の状態で踊れるよう今までもやってきたんでしょうね。

なのに、主人公はどんどん個というか私自身に入っていく。
天性のプリマ、あるいは女優なら、恋愛経験がなくても豊富に見せたり、逆に清楚に見せたり、どうでも演じられるのが演技者なんで、経験しなきゃなれないんなら白鳥みたいな動物こそ逆立ちしても経験できないよな。

ところで、エンドロールを観て驚いたのは、久々に「シザー・ハンズ」でジョニー・デップの相手役だったウィノナ・ライダー出てたんだ!ということ。主役を降ろされた元プリマ、しかも自殺を図り入院するという。あのスターだったウィノナが「更年期」と陰口を叩かれる役、しかも落ち目のプリマで出ていたなんて。
劇中の主人公とライバルの関係が「17歳のカルテ」で共演したウィノナとアンジェリーナ・ジョリーに重なりました。
常に話題作の主役を張っていたウィノナと、見るからに不良少女のアンジー。それが今ではウィノナは万引き事件などを起こしスクリーンから消え、アンジーは主演が目白押しの上、ボランティア的活動でも知られる良い人としても認知されていて。
なんだか本筋とは違うところに人生の皮肉が見える映画でした。