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映画「シャッターアイランド」
ディカプリオ主演、スコセッシ監督という再びのコンビ作。
暗い×救いがない…そして見終わった後のどんより感。もう1本映画を観て帰ろうという気力が失せ、やっとブログにも書く気になりました。それもそのはず。原作は「ミスティック・リバー」(クリント・イーストウッド監督で映画化されましたね。ティム・ロビンス暗かったー。ショーン・ペンとケヴィン・ベーコンといういい役者がでています。)を書いたデニス・ルヘインが原作者なんですから。
物語は第2次世界大戦後の1954年、ボストン沖の孤島に建つ犯罪者用精神病院から失踪した女性患者の謎を探るために、病院を捜査しに来た米連邦保安官テディ・ダニエルズ(ディカプリオ)。行くにも帰るにも病院のフェリーしかないのだが、一体どこへ消えたのか。
捜査を始めると、失踪者からのメッセージがベッドの下の床下に残されています。はじめて組む相棒とともに聞き取り調査を開始するテディ保安官。いわくありげな言動をする医師や患者たち。
その謎にからめて、主人公テディ自身の閉ざされた過去が、回想・幻想・妄想として浮かび上がってきます。第二次世界大戦中、アメリカ兵士として収容所を解放した際の出来事や、帰還兵になってからのアル中期間、家族の悲惨な事件…。
唐突にこの病院の本当の目的を知っている患者が閉鎖病棟にいるとか、奥さんの事故の原因を作った放火魔が病院に収容されているとかいう話しを主人公がしだして、奥さんの幻影がリアルになるにつれて、主人公寄りに観ていた話が、相棒デカといっしょに「レディスって誰?! えっなにそれ、聞いてないよ」という第三者的視点に観る方も変わってきます。
中盤以降、相棒を振り切って単独行動するあたりから、どっちの視点ともとれる話の進行になって行きます。そして相棒デカの死体や洞窟に隠れている女性医師の話から、やはり謎を解く鍵は「灯台」にありとなって・・・。
これまでの展開で気にいった場面は、奥さんとの暮らしの回想シーンです。最初はアパートに立っている奥さんが次の部屋へ行くと湖畔の家に立っているという、窓の外を変えることで転居を語った場面です。ちょっと「コックと泥棒、その妻と愛人」で使われた、部屋を移動すると部屋の色が変わる技法を思い出させてくれました。
あとは、相棒が断崖の下の岩場で死んでいるシーンです。これはヒチコックの「めまい」へのオマージュではと思います。
あと、キーワードとなるのがロボトミー手術ですが、これはジャック・ニコルソン主演の映画「カッコーの巣の上で」が、同時代の60年代の話として思い浮かびますね。日本では「皇帝のいない8月」で三国連太郎さんがラストにされてしまうのがショッキングでした。両映画とも人間のアイデンティティーを奪い、無気力になってしまうラストでしたので、「シャッター~」の戦闘用に研究されというのは?ハテナでした。
そしてラスト、長々と種明かしがでてきますが、この内容は使い古された陳腐なもので、サスペンスとしてはがっかりです。
ただ、オールラスト、主人公テディの語る言葉と、相棒デカの「テディ!」という呼びかけに、「あ、これは!」と思いました。結末は観客がどう受け取るかで大きく違うのでは、という1作でした。
<ここからはネタバレです>
ラストはテディと病院長の対決なのですが、長々と説明される謎解きが、使い古されたサスペンスの落ち(実は夢だったとかではありませんが)の一つなので、映画の途中からそうなんデハと思いつつも、そんな簡単なオチではないはずだと観てきただけに、「なーんだ」と思ってしまいます。それも長々と語られて・・・これじゃあつまらん。
合間に死んだはずの相棒デカが出てきて主治医だと言ったり、前半に失踪女性が見つかったと言って出てきた人が看護婦として出てきたりして、実はテディの妄想に付き合いやっていたんだ、素性の分からない患者とはテディのことなんだと、結論をまとめていきます。
でも、ちょっと待った。テディが2年前兵士の時の不慮の事件の良心の呵責でアル中になり、実は放火犯で、妻殺しでなんて、話ができ過ぎでは。
1人の患者の妄想ためにこんな大掛かりなお芝居を島ぐるみでするのか?という疑問が。そもそも嵐がちょうど起きるか?とか、風の激しい中、カルテがテディのつかまった岩場に丁度飛んできたのはピアノ線でも使ったのかしらんとか。
奥さんのことも不可思議で、妻は車のガソリンへの引火と、銃で撃たれたのとテディの2つの記憶に残されていて、思い込ませたのは1つだろうから片方は真実では?とか、奥さんがうつ病だったというけれど、うつなら自殺願望はあっても他殺の気力はないと思うので、これは他の収容者の出来事を刷り込まれているのではないか(或いは訳者の翻訳違いか)。
テディの頭のばんそうこうがあったりなかったりするのはなぜか。
病院側も、大掛かりな芝居や、もし、テディが病人なら、本人にロボトミー手術のことを告知するか?、素性を教えないドイツ人老医師や(最初はこの人がナチスの戦犯で、67番目の患者として病院が匿っているのかと推理しちゃいましたが、そんな大掛かりな話ではありませんでした。トホホ・・・。)、ドイツ系に見える軍人あがりの警備主任(この人もテディに殺されたドイツ兵士の親族で復讐のためにとか推理しちゃいましたが、そこまで話が大きくなりませんでした。トホホ…。)など、疑問点や矛盾点が色々でてくるのです。
このあと、本当のオールラストがあります。
テディはこのとき正気だと思います。相棒デカ兼主治医は実は真相が分かっていると信じてテディは話しかけますが、相棒デカは「これはダメだ」という合図を院長に送ります。これはそのままの受け取り方もできるし、その後放火魔の名前ではなく「テディ!」と呼びかけていることに、「君の意志は汲み取った」というテディへの合図を送ったとも考えられます。今は言えないがいずれ時代の証言者となるのかもしれません。
そして、テディが言います。邦訳は「このままモンスターとして生きるか、善人として死ぬか」。彼にとって収容所解放の際の事件のトラウマが一番大きいと思われ、その呵責を背負ってモンスターとして生きるか、手術を受け死人のようになるが最後まで告発者という立場をとった善人を選択するかととりました。英語ではまたニュアンスが違うようですけれどね。既成の事実をとるか真実をとるかというところでしょうか。
結局、「いろいろな解釈ができる話の筋だ」と思わないことには、とってもがっかり映画になっちゃいます。実は観客の想像力を映画以上に膨らませると面白くなる映画だったりして。
監督:マーティン・スコセッシ
出演:レオナルド・ディカプリオ、マーク・ラファロ、ベン・キングズレー
TOHOシネマズ スカラ座他全国ロードショー
公式サイト http://www.s-island.jp/
映画「シャッターアイランド」
ディカプリオ主演、スコセッシ監督という再びのコンビ作。
暗い×救いがない…そして見終わった後のどんより感。もう1本映画を観て帰ろうという気力が失せ、やっとブログにも書く気になりました。それもそのはず。原作は「ミスティック・リバー」(クリント・イーストウッド監督で映画化されましたね。ティム・ロビンス暗かったー。ショーン・ペンとケヴィン・ベーコンといういい役者がでています。)を書いたデニス・ルヘインが原作者なんですから。
物語は第2次世界大戦後の1954年、ボストン沖の孤島に建つ犯罪者用精神病院から失踪した女性患者の謎を探るために、病院を捜査しに来た米連邦保安官テディ・ダニエルズ(ディカプリオ)。行くにも帰るにも病院のフェリーしかないのだが、一体どこへ消えたのか。
捜査を始めると、失踪者からのメッセージがベッドの下の床下に残されています。はじめて組む相棒とともに聞き取り調査を開始するテディ保安官。いわくありげな言動をする医師や患者たち。
その謎にからめて、主人公テディ自身の閉ざされた過去が、回想・幻想・妄想として浮かび上がってきます。第二次世界大戦中、アメリカ兵士として収容所を解放した際の出来事や、帰還兵になってからのアル中期間、家族の悲惨な事件…。
唐突にこの病院の本当の目的を知っている患者が閉鎖病棟にいるとか、奥さんの事故の原因を作った放火魔が病院に収容されているとかいう話しを主人公がしだして、奥さんの幻影がリアルになるにつれて、主人公寄りに観ていた話が、相棒デカといっしょに「レディスって誰?! えっなにそれ、聞いてないよ」という第三者的視点に観る方も変わってきます。
中盤以降、相棒を振り切って単独行動するあたりから、どっちの視点ともとれる話の進行になって行きます。そして相棒デカの死体や洞窟に隠れている女性医師の話から、やはり謎を解く鍵は「灯台」にありとなって・・・。
これまでの展開で気にいった場面は、奥さんとの暮らしの回想シーンです。最初はアパートに立っている奥さんが次の部屋へ行くと湖畔の家に立っているという、窓の外を変えることで転居を語った場面です。ちょっと「コックと泥棒、その妻と愛人」で使われた、部屋を移動すると部屋の色が変わる技法を思い出させてくれました。
あとは、相棒が断崖の下の岩場で死んでいるシーンです。これはヒチコックの「めまい」へのオマージュではと思います。
あと、キーワードとなるのがロボトミー手術ですが、これはジャック・ニコルソン主演の映画「カッコーの巣の上で」が、同時代の60年代の話として思い浮かびますね。日本では「皇帝のいない8月」で三国連太郎さんがラストにされてしまうのがショッキングでした。両映画とも人間のアイデンティティーを奪い、無気力になってしまうラストでしたので、「シャッター~」の戦闘用に研究されというのは?ハテナでした。
そしてラスト、長々と種明かしがでてきますが、この内容は使い古された陳腐なもので、サスペンスとしてはがっかりです。
ただ、オールラスト、主人公テディの語る言葉と、相棒デカの「テディ!」という呼びかけに、「あ、これは!」と思いました。結末は観客がどう受け取るかで大きく違うのでは、という1作でした。
<ここからはネタバレです>
ラストはテディと病院長の対決なのですが、長々と説明される謎解きが、使い古されたサスペンスの落ち(実は夢だったとかではありませんが)の一つなので、映画の途中からそうなんデハと思いつつも、そんな簡単なオチではないはずだと観てきただけに、「なーんだ」と思ってしまいます。それも長々と語られて・・・これじゃあつまらん。
合間に死んだはずの相棒デカが出てきて主治医だと言ったり、前半に失踪女性が見つかったと言って出てきた人が看護婦として出てきたりして、実はテディの妄想に付き合いやっていたんだ、素性の分からない患者とはテディのことなんだと、結論をまとめていきます。
でも、ちょっと待った。テディが2年前兵士の時の不慮の事件の良心の呵責でアル中になり、実は放火犯で、妻殺しでなんて、話ができ過ぎでは。
1人の患者の妄想ためにこんな大掛かりなお芝居を島ぐるみでするのか?という疑問が。そもそも嵐がちょうど起きるか?とか、風の激しい中、カルテがテディのつかまった岩場に丁度飛んできたのはピアノ線でも使ったのかしらんとか。
奥さんのことも不可思議で、妻は車のガソリンへの引火と、銃で撃たれたのとテディの2つの記憶に残されていて、思い込ませたのは1つだろうから片方は真実では?とか、奥さんがうつ病だったというけれど、うつなら自殺願望はあっても他殺の気力はないと思うので、これは他の収容者の出来事を刷り込まれているのではないか(或いは訳者の翻訳違いか)。
テディの頭のばんそうこうがあったりなかったりするのはなぜか。
病院側も、大掛かりな芝居や、もし、テディが病人なら、本人にロボトミー手術のことを告知するか?、素性を教えないドイツ人老医師や(最初はこの人がナチスの戦犯で、67番目の患者として病院が匿っているのかと推理しちゃいましたが、そんな大掛かりな話ではありませんでした。トホホ・・・。)、ドイツ系に見える軍人あがりの警備主任(この人もテディに殺されたドイツ兵士の親族で復讐のためにとか推理しちゃいましたが、そこまで話が大きくなりませんでした。トホホ…。)など、疑問点や矛盾点が色々でてくるのです。
このあと、本当のオールラストがあります。
テディはこのとき正気だと思います。相棒デカ兼主治医は実は真相が分かっていると信じてテディは話しかけますが、相棒デカは「これはダメだ」という合図を院長に送ります。これはそのままの受け取り方もできるし、その後放火魔の名前ではなく「テディ!」と呼びかけていることに、「君の意志は汲み取った」というテディへの合図を送ったとも考えられます。今は言えないがいずれ時代の証言者となるのかもしれません。
そして、テディが言います。邦訳は「このままモンスターとして生きるか、善人として死ぬか」。彼にとって収容所解放の際の事件のトラウマが一番大きいと思われ、その呵責を背負ってモンスターとして生きるか、手術を受け死人のようになるが最後まで告発者という立場をとった善人を選択するかととりました。英語ではまたニュアンスが違うようですけれどね。既成の事実をとるか真実をとるかというところでしょうか。
結局、「いろいろな解釈ができる話の筋だ」と思わないことには、とってもがっかり映画になっちゃいます。実は観客の想像力を映画以上に膨らませると面白くなる映画だったりして。
監督:マーティン・スコセッシ
出演:レオナルド・ディカプリオ、マーク・ラファロ、ベン・キングズレー
TOHOシネマズ スカラ座他全国ロードショー
公式サイト http://www.s-island.jp/