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セラフィーヌの庭 (映画)

2010年09月14日 | 映画
映画「セラフィーヌの庭

著名な画家である素朴派のルソーと同時代に、ルソーを世に送り出した画商ヴィルヘルム・ウーデに見出された画家セラフィーヌ・ルイの生涯を描いた作品。

セラフィーヌ・ルイは才媛でもお嬢様でも、あるいはエキセントリックな芸術家肌の女性でもない。
絵画はおろか一般的な教育も貧しさのあまり受けていないであろう中年~老年にさしかかった家政婦なのだ。家政婦といっても、市原悦子のようにはしばしに目が利くタイプには程遠く、愚鈍な感じが漂う。言及はしていないが、後年の奇異な振る舞いに及ぶ場面や、絵のタイプから、何らかの障がいをもつ人だったとも推測される。

しかし、絵を描くときだけは、一心不乱に倒れるまで描き続けるのがスゴイ。その絵の具の調合も個性的で、肉屋にある豚の血と、教会にある蝋燭の蝋を混ぜ合わせたりして、独特の色合いを作り出すのだ。
彼女の絵は緻密に描かれた植物の画で、貧しいゆえに板に描いていた物を女主人に見てもらっていた。いっぱしの目利きのつもりの女主人は「全然ダメ」って感じでそこらへ置いておくんだけど、たまたま館に逗留したウーデを晩餐に呼んだおり、その作品が目に留まり、「これは誰が描いた?」ということになっていくのだ。

ウーデに道具を揃えてもらったセラフィーヌは等身大ぐらいある大型のカンバスに緻密な植物の絵を描いていく。コレクターたちは素晴らしいと言って買い求め、評価は上がっていくが、ここで第一次世界大戦がおき、ドイツ人たるウーデはフランスを後にする。

ここまでが前半。セラフィーヌがいかに画家として見出され、どのような絵を描き、評価されていったかが描かれる。

後半は、戦後、フランスに戻ったウーデが、セラフィーヌの行方を尋ねてやっと会えたところを軸に、ゲイであるウーデと恋人の男性の死を描く。
そして、絵が売れるようになったセラフィーヌは、ウーデのつけで城の様な豪邸を買おうとするなど、お金を湯水のように使いまくるようになり、ウーデから「お金はもう出せない、個展もできない」と言われてしまったことから異常行動を起こしてしまう。
豪華な生地のウエディングドレスを特注で作り、それを着て素足のまま街路に出、1軒1軒呼び鈴を鳴らして、高価な銀の食器を配るという行動に出たのだ。とうとう街の人から警察に通報され、最後は病院に入ることとなる。

やはりゴッホにテオがいたように、誰か保護者がいてあげないと難しかったのだろうなと思う。でもウーデは肉親でもないし、恋人にもなれないから、あくまで画商というつながりのなかでセラフィーヌを見守ることは難しかったように思う。

画風のことに話を変えれば、この画風、宮城まり子さんの設立した「ねむの木学園」の子どもたちの絵を思い浮かべた。学園の美術館を宮城さんのパートナーだった吉行淳之介氏の文学館とともに観覧したことがあるが、皆、緻密にいっぱい描かれた絵なのに、色が重ならず調和しているのが素晴らしい。画家の山下清氏も通じるものがある。
逆に健常者であれば綺麗な色彩で並べるのはかえって難しいかもしれない。

そんなふうに観ていくと、最後に庭に戻ったセラフィーヌは心の平安を取り戻して、いい絵を再び描くことができたのかもしれないと思うラストなのである。

<ストーリー>
19世紀から20世紀にかけてフランスに実在した女性画家セラフィーヌ・ルイの生涯を描いた伝記映画。2009年のセザール賞で最多7部門を受賞し、フランス本国で大ヒットを記録した。1912年、パリ郊外のサンリスで貧しく孤独なセラフィーヌは、草木との対話や絵を描くことを心のよりどころにひっそりと暮らしていた。そんなある日、セラフィーヌはピカソをいち早く見出したドイツ人画商のウーデと出会い、援助を受けて個展を開くことを夢見るようになる。しかし第1次世界大戦が始まると、ウーデは敵国の人間となってしまう。

監督:マルタン・プロボスト製作国:2008年フランス・ベルギー・ドイツ合作映画
出演:ヨランド・モロー、ウルリッヒ・トゥクール
URL http://www.alcine-terran.com/seraphine/
配給:アルシネテラン
8月7日より岩波ホールなど順次ロードショー
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