皆様のおかげで祖母の初七日供養まで、無事に終わらせることができた。
曹洞宗では(寺院にもよるのだろうが)、納骨は四十九日の法要が明けてからなのだそうだ。
それまでは実家の仏間に祭壇を設け、そこに保管しておくことになる。
ただ、経済誌の記者をやっている弟に言わせると、実は四十九日の意味は無いのだそう。
大昔から行われている慣習に従って行っているだけで、どの宗派も四十九日の意味を説明することができないはずだと言う。
てことは、それはつまり初七日もそうだということか。
例えば故人が臨終した後、すぐに荼毘に伏せない理由は聞いたことがある。
これは父方の菩提寺の僧侶(真言宗)から聞いたのだが、閻魔大王の所にその故人が臨終したことを知らされていないことが稀にあるのだそう。
人間ならすぐに関係部署に問い合わせるところだが、強権を持った閻魔大王は聞いていない人間は自らの権限で追い返すらしい。
追い返す。
つまり、息を吹き返すということだな。
だから、臨終しても1日は遺体をそのままにしておくのだということだ。
ま、破折として、大昔は死亡の定義も曖昧だっただろうから、死亡したと見せかけて単なる仮死状態だったりして、何らかの拍子に息を吹き返すこともあっただろう。
そういうことではないかと私は思う。
夢の無い話だが、科学が発達するということは夢を消すことでもあるのだ。
なので、今は医師が死亡判断をしたら、即座に火葬しても何ら問題は無い……はずだ。
尚、真言宗は戒名代が高い上、僧侶もかなりお高く留まっている感じである。
これは真言宗は、比較的社会的地位の高かった檀家が集まっていたからだと思われる。
日蓮正宗は……恐らく戒名代の相場は他宗と比べて安かったと思われるが、創価学会が吊り上げた恐れがある。
まあ、普段から寺院参詣して財の供養をしている分には、そんなに高い戒名代も取らないだろうと信じたい。
あと、私の実家の方では、納棺の時に花や故人の大事にしていたものを入れるだけでなく、小銭を入れる習慣がある。
これは三途の川を渡る時の運賃や、『地獄の沙汰も金次第』の為だと言われている。
私の小説に登場する冥界鉄道公社も、当初は三途の川に架けられた鉄橋を渡る高架鉄道という設定だった。
現世側の人口が急増したことで、その分、臨終する亡者の数も急増した。
その為、三途の川を渡る舟だけでは追い付けず、鉄道が開通したという設定だ。
親族全員が入れたものだから、結構な額になった。
これで冥鉄のグリーン車に乗れるかな?と思ったが。
尚、冥鉄の運賃は時価という設定である。
なぁに、向こうの職員がボろうとしてきたら、日蓮正宗信徒たる私が、仏法を使って後押ししてあげよう。
日蓮正宗の塔婆を使えば、特急料金くらい何とかなるだろう。
閑話休題。
今日は1日オフ。
午前中はネットサーフィンして、午後は大江戸温泉物語に行ってサッパリしてきた。
地下鉄東西線が開通した為、その前と比べると公共交通機関で割と行き易くなった。
あくまで、割と、である。
物凄く便利になったとは思えない。
元々が家からだいぶ離れた既存のバス停から、1時間に1本のバスに乗り、それで30分以上も揺られなければならないほどに不便だったのだ。
今は私の実家から徒歩5分の薬師堂駅より荒井行きに乗り、終点で下車。
荒井駅から仙台市営バスの鶴巻循環に乗れば良い。
遠回りルートと近回りルートの2つがあって、これが1時間おきに運転している。
つまり、実質30分に1本というわけだ。
遠回りルートに乗っても、降りるバス停が同じであれば、近回りのルートで向かうのとバス運賃は同じ170円。
地下鉄の運賃が250円だから、420円か。
確か、従来のバス運賃もこれくらいだったと思う。
バスは工場団地を通って行くので、夜はあまり治安が良くないかもしれない(それでも何か大きな犯罪が起きたというニュースは無いが)。
大江戸温泉物語のある場所は、産業道路という夜でも交通量の多い幹線道路沿いにあるので、そこでバスを待つ分には大丈夫かもしれない。
保証はしないけどw
昔は暴走族のルートになっていた道路だからね。
今でも週末になると、遊び好きの兄ちゃんが乗っていると明らかに判断できる車がよく通過している。
まあ、明るいうちは大丈夫だ。
平日だから空いている方の部類には入るのだろう。
ただ、春休みだからか、子供の姿が多く見られた。
イリーナと同じく、作者の私も風呂上りにマッサージを受けたが、肩と足がガチガチだったらしい。
肩が凝るのはPCのせいだし、足が張っているのは普段の仕事のせいだろう。
ま、1時間ほどやってもらったおかげで、今は楽だ。
東京・お台場の大江戸温泉物語では送迎バスが頻繁運行されており、仙台の方も運行しているが、そちらは申し訳程度の本数だ。
皆車で来るので、利用者が少ないのだろう。
いくら地下鉄開通前より割と便利になったとはいえ、地下鉄とバスで来る利用客も極僅かと思われる。
尚、荒井駅からのアクセスは帰りに気づいたのだが、ミヤコーバス(宮城交通の子会社)でも行けるらしい。
荒井駅からJR仙石線の多賀城駅までの路線である。
ただ本数は少なく、2時間に1本という有り様だから、あくまで仙台市営の補完的なものと思った方が良い。
まあ、バス・フリークスの私の食指を動かすには十分だがね。
往路のバスは日野のブルーリボンシティ、帰りはいすゞのエルガ。
どちらも都営バスで運行に就いている車種であり、私はいつものように運転席の後ろに座っていたのだが、何だか都営バスに乗っている感じがした。
後ろから乗って前から降りる方式でなければ、間違えるところであろう。
帰りのバスは新人運転手が研修中で、前扉後ろの席には教官が座っていた。
新しい路線だし、地下鉄車内でもバス運転手募集の広告が出ているから、研修たけなわなのであろう。
そうそう。
前に、んっ?さんが清掃局や清掃公社関係の仕事は同和対策事業であるとコメントして下さったが、もしかして市営交通もそうなのだろうか?
私が学校を卒業して就職活動をしていた際、今よりずっと不景気だったからというのもあるが、全くそのような募集要項を見ることは無かった。
それが今や大々的に募集している。
同対事業だけでは人材確保が難しくなったということか?
あと10歳若かったら、喜んで応募していたところだろう。
つくづく、タイミングの合わない人生だ。
世法も仏法も。
そう、仏法も。
A氏が退転した後の入信であれば、私も未だに報恩坊にいただろうに。
本当にタイミングが悪かった。
で、最初に声を掛けてくれたのが東京第一布教区の信徒さんだったので、元の鞘に収まったと言えばそれまでだが。
あ、因みに第二布教区の人達は、その後である。
ネット上での出会いは、トチロ〜さんが1番後。
実際に折伏を受けた順番は前後しているけどね。
とにかく、無理に御受誡を焦る必要は無いと私は考えている。
ぶっちゃけ、自己愛さんが出ていってからの入信でいいと思っているよ。
地下鉄を降りた後、コンビニに立ち寄って、来月の支部登山の帰りのバスのチケットを発券した。
往路はまだ分からないので、勇み足はできない。
恐らくいつものパターンだと、新幹線で早めに着山することになるのではないかと思う。
そんな時、高速バスでゆっくり行くわけにはいかないからね。
今日の深夜、私は埼玉に戻る。
明日は勤務変更で遅番ではなく、早番になったということで、戻ったらすぐに寝なければならない。
なので、これが今日最後の更新になるのではないかなと思う。
違ったらごめんなさい。
曹洞宗では(寺院にもよるのだろうが)、納骨は四十九日の法要が明けてからなのだそうだ。
それまでは実家の仏間に祭壇を設け、そこに保管しておくことになる。
ただ、経済誌の記者をやっている弟に言わせると、実は四十九日の意味は無いのだそう。
大昔から行われている慣習に従って行っているだけで、どの宗派も四十九日の意味を説明することができないはずだと言う。
てことは、それはつまり初七日もそうだということか。
例えば故人が臨終した後、すぐに荼毘に伏せない理由は聞いたことがある。
これは父方の菩提寺の僧侶(真言宗)から聞いたのだが、閻魔大王の所にその故人が臨終したことを知らされていないことが稀にあるのだそう。
人間ならすぐに関係部署に問い合わせるところだが、強権を持った閻魔大王は聞いていない人間は自らの権限で追い返すらしい。
追い返す。
つまり、息を吹き返すということだな。
だから、臨終しても1日は遺体をそのままにしておくのだということだ。
ま、破折として、大昔は死亡の定義も曖昧だっただろうから、死亡したと見せかけて単なる仮死状態だったりして、何らかの拍子に息を吹き返すこともあっただろう。
そういうことではないかと私は思う。
夢の無い話だが、科学が発達するということは夢を消すことでもあるのだ。
なので、今は医師が死亡判断をしたら、即座に火葬しても何ら問題は無い……はずだ。
尚、真言宗は戒名代が高い上、僧侶もかなりお高く留まっている感じである。
これは真言宗は、比較的社会的地位の高かった檀家が集まっていたからだと思われる。
日蓮正宗は……恐らく戒名代の相場は他宗と比べて安かったと思われるが、創価学会が吊り上げた恐れがある。
まあ、普段から寺院参詣して財の供養をしている分には、そんなに高い戒名代も取らないだろうと信じたい。
あと、私の実家の方では、納棺の時に花や故人の大事にしていたものを入れるだけでなく、小銭を入れる習慣がある。
これは三途の川を渡る時の運賃や、『地獄の沙汰も金次第』の為だと言われている。
私の小説に登場する冥界鉄道公社も、当初は三途の川に架けられた鉄橋を渡る高架鉄道という設定だった。
現世側の人口が急増したことで、その分、臨終する亡者の数も急増した。
その為、三途の川を渡る舟だけでは追い付けず、鉄道が開通したという設定だ。
親族全員が入れたものだから、結構な額になった。
これで冥鉄のグリーン車に乗れるかな?と思ったが。
尚、冥鉄の運賃は時価という設定である。
なぁに、向こうの職員がボろうとしてきたら、日蓮正宗信徒たる私が、仏法を使って後押ししてあげよう。
日蓮正宗の塔婆を使えば、特急料金くらい何とかなるだろう。
閑話休題。
今日は1日オフ。
午前中はネットサーフィンして、午後は大江戸温泉物語に行ってサッパリしてきた。
地下鉄東西線が開通した為、その前と比べると公共交通機関で割と行き易くなった。
あくまで、割と、である。
物凄く便利になったとは思えない。
元々が家からだいぶ離れた既存のバス停から、1時間に1本のバスに乗り、それで30分以上も揺られなければならないほどに不便だったのだ。
今は私の実家から徒歩5分の薬師堂駅より荒井行きに乗り、終点で下車。
荒井駅から仙台市営バスの鶴巻循環に乗れば良い。
遠回りルートと近回りルートの2つがあって、これが1時間おきに運転している。
つまり、実質30分に1本というわけだ。
遠回りルートに乗っても、降りるバス停が同じであれば、近回りのルートで向かうのとバス運賃は同じ170円。
地下鉄の運賃が250円だから、420円か。
確か、従来のバス運賃もこれくらいだったと思う。
バスは工場団地を通って行くので、夜はあまり治安が良くないかもしれない(それでも何か大きな犯罪が起きたというニュースは無いが)。
大江戸温泉物語のある場所は、産業道路という夜でも交通量の多い幹線道路沿いにあるので、そこでバスを待つ分には大丈夫かもしれない。
保証はしないけどw
昔は暴走族のルートになっていた道路だからね。
今でも週末になると、遊び好きの兄ちゃんが乗っていると明らかに判断できる車がよく通過している。
まあ、明るいうちは大丈夫だ。
平日だから空いている方の部類には入るのだろう。
ただ、春休みだからか、子供の姿が多く見られた。
イリーナと同じく、作者の私も風呂上りにマッサージを受けたが、肩と足がガチガチだったらしい。
肩が凝るのはPCのせいだし、足が張っているのは普段の仕事のせいだろう。
ま、1時間ほどやってもらったおかげで、今は楽だ。
東京・お台場の大江戸温泉物語では送迎バスが頻繁運行されており、仙台の方も運行しているが、そちらは申し訳程度の本数だ。
皆車で来るので、利用者が少ないのだろう。
いくら地下鉄開通前より割と便利になったとはいえ、地下鉄とバスで来る利用客も極僅かと思われる。
尚、荒井駅からのアクセスは帰りに気づいたのだが、ミヤコーバス(宮城交通の子会社)でも行けるらしい。
荒井駅からJR仙石線の多賀城駅までの路線である。
ただ本数は少なく、2時間に1本という有り様だから、あくまで仙台市営の補完的なものと思った方が良い。
まあ、バス・フリークスの私の食指を動かすには十分だがね。
往路のバスは日野のブルーリボンシティ、帰りはいすゞのエルガ。
どちらも都営バスで運行に就いている車種であり、私はいつものように運転席の後ろに座っていたのだが、何だか都営バスに乗っている感じがした。
後ろから乗って前から降りる方式でなければ、間違えるところであろう。
帰りのバスは新人運転手が研修中で、前扉後ろの席には教官が座っていた。
新しい路線だし、地下鉄車内でもバス運転手募集の広告が出ているから、研修たけなわなのであろう。
そうそう。
前に、んっ?さんが清掃局や清掃公社関係の仕事は同和対策事業であるとコメントして下さったが、もしかして市営交通もそうなのだろうか?
私が学校を卒業して就職活動をしていた際、今よりずっと不景気だったからというのもあるが、全くそのような募集要項を見ることは無かった。
それが今や大々的に募集している。
同対事業だけでは人材確保が難しくなったということか?
あと10歳若かったら、喜んで応募していたところだろう。
つくづく、タイミングの合わない人生だ。
世法も仏法も。
そう、仏法も。
A氏が退転した後の入信であれば、私も未だに報恩坊にいただろうに。
本当にタイミングが悪かった。
で、最初に声を掛けてくれたのが東京第一布教区の信徒さんだったので、元の鞘に収まったと言えばそれまでだが。
あ、因みに第二布教区の人達は、その後である。
ネット上での出会いは、トチロ〜さんが1番後。
実際に折伏を受けた順番は前後しているけどね。
とにかく、無理に御受誡を焦る必要は無いと私は考えている。
ぶっちゃけ、自己愛さんが出ていってからの入信でいいと思っているよ。
地下鉄を降りた後、コンビニに立ち寄って、来月の支部登山の帰りのバスのチケットを発券した。
往路はまだ分からないので、勇み足はできない。
恐らくいつものパターンだと、新幹線で早めに着山することになるのではないかと思う。
そんな時、高速バスでゆっくり行くわけにはいかないからね。
今日の深夜、私は埼玉に戻る。
明日は勤務変更で遅番ではなく、早番になったということで、戻ったらすぐに寝なければならない。
なので、これが今日最後の更新になるのではないかなと思う。
違ったらごめんなさい。
私の実家がよほど気に入ったのか、戻ってきたら具合が良くなったようだが。
私は予定通り、もう少ししたら出発する。
それまでの間、記事をもう1つ更新できそうだ。
それにしても、従兄は未婚の子無しだし、私も弟も未婚の子無しだ。
本来なら、もう少し子供が我が家でわいわいやっていても良いのだろうが、これが時代というものだ。
葬祭会館の職員の話をちらっと聞いたが、私らよりももっと数多くの親族が集まりながら、子供が1人もいない(連れて来なかったのではなく、本当にいない)家というのも珍しくはなくなってきているのだそうだ。
「それでも我が社では今度、結婚式場の運営も行う予定なんですよ」
とのことだが、本当に大丈夫か?
少なくとも私も弟も、従兄もその新しい結婚式場を利用することはほぼ無いぞ。
ポリ銀さん辺りは気づいていると思うが、中韓(特に半島)の大和民族根絶やし作戦は、あいにくと成功の道を辿っているのだろう。
戦争をしなくても、その民族を長い時間掛けて根絶やしにすることは可能ということが証明されつつある。
今年三十路の法華講員です!
四十九日の意義は真偽未決御書の十王賛嘆抄という御書の中に御法門が説かれていますので拝読お勧めします~
葬儀から法事のことは他宗との違いはたくさんあるし身近なことなのでお寺にお伺いするといいですよ。新しい発見がありますよ(笑)
脳内妄想小説と愚痴日記ばかりですが、お読み頂き、ありがとうございます。
私は御書を埃被らせる不精者ですので、十王賛嘆抄なるものは初めて伺いました。
ブログにも記載しましたが、他宗との違いについて知る良い機会になったと思います。
是非、参考にさせて頂きます。
よろしければ、またいつでもお越しください。