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報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

旅行2日目 その1

2016-01-12 20:04:33 | リアル旅行記
 前回なら乗り鉄するところ、今回は趣向を変えてみた。
 今回のテーマは、ズバリ温泉でゆったりすること。
 それでも1日につき、2回が限度なところが、私もまだまだビギナーといったところだ。

 最初の行き先は“湯の花 朝里殿”。
 小樽市内の朝里川温泉に位置する日帰り浴場である。
 札幌市内から無料送迎バスが1日2往復出ており、私はそのバスが最初に出る円山公園駅まで向かった。
 朝ラッシュの市街地であるが、意外とそんなに人がいない。
 やはり、そこは地方都市か。
 そう思いながら地下鉄の大通駅に向かう地下道に降りると、様相が一変した。
 地上は小雪が舞い、アイスバーンとなった路面であったが、それが全く無く、暖房も入っている地下道を市民達は移動していたのだった。
 その様相たるや、朝ラッシュの大宮駅エキュート通路並みと言って良いのではないか。
 地下街の無いさいたま市や仙台市のイメージで来た、真に恥ずかしい余所者であった。
 昨年は地下鉄南北線には乗っていたが、東西線には一切乗っていなかったので、今回は良い機会だ。
 ホームドアが全駅に設置されている札幌市地下鉄では、全路線でワンマン運転が行われている。
 そのホームドアの開閉音が、仙台市地下鉄南北線と同じ。
 メーカーが一緒なのだろう。
 大通駅まではメチャ混みの電車も、ここでぞろぞろ降りて行く。
 札幌市地下鉄の財政は、まあまあ良いらしい。
 但し、昨日乗ったタクシーの運転手の話によると、琴似駅が棒線駅になってしまったことにより、却って寂れた感があるという。
 地元に若かりし頃から住んでいたという運転手であるが、札幌市の交通政策については数々の不満があるらしい。
 市電をループ化する金があるのなら、老朽化している地下鉄駅の改修をしろとか、南北線の真駒内から先への延伸計画を進めろとか言っていた。
 ループ化した所にはロードヒーターを入れたものだから、その維持費だけで年間数億円掛かるとのこと。
 因みに、市電は赤字である。

 円山公園駅で降りると、それまで小雪だった市街地と違い、少し歩けば頭に雪が積もりそうなほどの強さになっていた。
 駅から少し歩いたが、明らかに件の送迎バスと思しき塗装(ラッピング?)をした中型バスが止まっているのが見えたので、そこへ少し急ぎ足で向かう。
 多分大丈夫だとは思うが、もし慌てて行って転倒したりしたら大変だからね。
 バスは日野のメルファ。
 中型バスなので、マイクロバスより大きく、大型バスよりは小さい。
 大江戸温泉物語の送迎バスで、同じ車種のバスが使用されている所を見たことがある。
 私が1番乗りであったが、この送迎バス、少々特殊なルールがあるようだ。
 まず、2往復運行されているバスのうち、往路の早い便に乗った客は基本、復路も早い便に乗らなくてはならない。
 但し、復路で遅い便に乗りたい場合、空席がある場合は変更可能。
 予約制ではない。
 予約制ではないのに、どうして空席があるかどうか分かるのか。
 それは往路乗車時に、帰りのバスの時間が表示された札が渡されるのである。
 復路乗車時に、その札を運転手に渡す(というか、ドア横のカゴの中に入れる)。
 つまり、座席の数の分、札も同じ数を用意しておくことで、余れば空席ありというのが分かるというわけだ。
 もし往路しか乗らず、復路は電車か別のバスに乗るよといった場合はどうするのかというと、その札はフロントに返すようにとのことだ。
 そうすることで、フロントでも復路便キャンセル分の数が把握できるということ。
 面白いルールだが、慣れていないと札を渡すのを忘れてしまいそうだ。
 ……と、思ったら、やっぱり返すのを忘れてそのまま持って行ってしまう客もいるとのこと。
 やっぱりねぇ……。

 バスは途中のバス停から次々に客をピックアップしていく。
 平日の午前中なのだから当たり前だが、お年寄りが多い。
 多分そうだろうと思って、私は比較的後ろに座ったのだが、平日にしては半分近くの乗りだったと思う。
 これはひょっとすると、休日は満席で運行するのかもしれない。
 バスは札樽自動車道など通らず、一般道をひたすら走る。
 途中でJR北海道バスの一般路線車と何度もすれ違ったり、追い抜いたりしたが、さすがの私もまだJRバスの一般路線車に乗ったことがない。
 今回はもう乗りバスは無理だから、逆に北関東で運転されているそれに乗ってもいいかもしれない。

 バスは雪の降り積もる国道5号線を進んで行ったが、以外とそんなに滑らないものだ。
 もちろん冬タイヤを履いているのだろうし、運転手も雪道は走り慣れているだろうから、加速して良い場所と減速すべき場所を上手く弁えているのだろう。
 一応、私はシートベルトを締めておいたが、取り越し苦労で済んで良かった。

 こっちの温泉は澄んだお湯が特徴で、そんなに匂いもしない。
 全体的にお湯が熱め(42度くらい?)だが、客層に合わせてそうしているのか、それとも元からこの温度設定なのかは分からない。
 ただ、源泉掛け流しとかではなそうだが……。
 お年寄りは熱めのお湯が好きとのことだが、本来、それは逆に健康に悪いんだがね。
 ぬるめの湯にじっくり浸かるのが良いのだが、人間、歳を取ると肌の感覚も鈍くなるということなのだろうか。

 風呂上りにボディケアを受ける。
 私の場合、1人で温泉施設に来ると、いつもマッサージを受ける。
 これは何故かというと、小説のアイディアが1番浮かびやすいからだ。
 おかげで今回も、いいアイディアが浮かんだ。
 が、しかし、大きな欠点が1つある。
 それは施術中なんだから当たり前なのだが、せっかくのアイディアをネタ帳に書き込めないのである。
 結果!こうやってブログ更新している時には、既に半分くらい忘れているのである。

 ダメじゃん!

 帰りは予定通り、復路便の早いバスに乗る。
 ルール通り、札をドア横のカゴの中に入れて乗り込む。
 座った席も往路と一緒。
 別に、席までは決められているわけではなく、たまたまそこが空いていただけのこと。
 やっぱり、年寄り達は前の席から座りたがるからね。

 下車した場所は円山公園駅ではなく、宮の沢駅にした。
 復路便乗車時に、どこで降りるか運転手に申告するのである。
 別に、乗った場所で降りなければならないというルールは無い。
 実は円山公園駅の乗り場は意外と地下鉄出入口から離れているのだが、宮の沢駅はその出入口の前でバスを止めてくれるのだ。
 だからだろう。
 そこでの乗降が1番多い。
 で、私の場合は更に乗り鉄の為に、始発駅である当駅で降りたという理由もある。

 だいぶ長くなってしまったので、ここで一旦切らせて頂く。
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小説の途中ですが、ここで旅行のもようをお伝えします。

2016-01-11 16:03:51 | リアル旅行記
「久しぶり 冬の札幌 チョー寒い アロハシャツでは 風邪を引くかも」

 というわけで、1年ぶりに社員旅行で北海道へやってきた。
 当たり前だが、東京や埼玉よりも寒い。
 意外なのは雪は当然積もっているのだが、そんなに雪深くは無いということ。
 現在、私は他の参加者と同じ札幌市内のホテルにチェック・インしているのだが、外は薄曇りである。
 社員旅行といっても、皆でどこかに観光地に行こうというのではない。
 今夜の宴会以外は、全て自由行動というものである。
 私も昨年は乗り鉄して“スーパーカムイ”に乗ったり、札幌市電“雪ミク電車”に乗ったりしたのだが、今回は趣向を変えてみようかと考えている次第である。

 大宮からは予定通り、羽田空港までリムジンバスに乗った。
 大宮からの路線は複数のバス会社が運行しているが、私が乗ったのは京急バス。
 三菱ふそうのエアロ。
 但し、年式は今のものではない。
 羽田空港行きは概して空いているもので、乗車率は半分も行かなかった。
 休日ということもあって、道路も空いていた。
 ただ、ルートが昨年乗った時と違っていたが。
 具体的には首都高速5号線で都心まで向かい、レインボーブリッジを渡って向かうのがベタなルートだったのだが、今回は違った。
 気がつくと長いトンネルをひたすら走っていたので、新しく開通した新山手トンネルを経由したもようである。
 おかげで余裕で集合時間までに空港に到着でき、ゆっくりとモーニングすることができた。

 この社員旅行は気心知れた有志参加によるもので、私のような労組員が中心で構成されている。
 但し、それまで労組員だった者が管理職に出世したことにより、そこを辞めた者であっても、OBとして旅行には参加できる。
 これは、「旅行は無礼講だから」という趣旨によるものだ。
 管理職といっても、一部のキャリア組以外は皆、元は警備員の制服を着て現場勤務に就いていた者達だから、少なくともその現場を知らない総合職以外は気心が知れているわけである。
 新千歳空港には昼過ぎに着くので、空弁を購入しておく。
 焼肉弁当だ。
 これから宴会で、ジンギスカン食べ放題だというのに……。
 私はどうも栄養の吸収が悪いようで、こうやって肉は好きでよく食べるのに、いつも健康診断では貧血気味と出てしまうのである。
 当然、血圧もそんなに高くない。
 おかげで、体重も60キロから先増えることもないのだが。
 時速にしたら、法定速度である(←だから何だ?)。

 飛行機はANA。
 ほとんど満席に近かったのではないかな。
 それは良い。
 どうせツアーで一塊だったのだから。
 後ろに中国人のツアーもいたが、やはり賑やかだった。
 賑やかではあったが、何だろう?昨年よりは静かに思えた理由は……。
 ああ、機内で離陸前から着陸後までずっと泣き叫んでいるガキが今年はいなかったからだな。
 茜オバハンだったら、ブチ切れるレベルだっただろう。
 確かその時、私も当時のブログで、
「これはある意味、子供に対する虐待ではないか?子供が大きくなれるまで待てないのか?どうしてもなら、陸路と海路を使うべきではないか?」
 と書いた記憶がある。
 その為、親によっては子供に睡眠薬を飲ませるという手を使うこともあるそうだが、賛否両論であるという。
 私はどちらとも言えないが、少なくともその努力は認めてあげたい。

 さて、飛行機は珍しく定時に着陸。
 さすがに気温が既にマイナス状態とあっては、吐く息も当然白い。
 勤務地の都内から居住地の埼玉に帰る時も気温差はあるが、それの比ではないと思う。
 同じ時期に沖縄に行った時、コートを全く着ずに島内を回った時とは雲泥の差である。
 日本は意外と広い。
 そこからバスに乗って札幌市街地に向かったのだが、ホテルに入った時に私の顔が青ざめた。
 どうして『つぶやき』が止まってしまったのか?
 そう。
 スマホを紛失してしまったのである!
 部屋に入った後、すぐに室内の電話で自分のケータイに掛けた。
 コールはするが、全く聞こえない。
 ホテルでパソコンを借りてネットで各連絡先を調べた。
 まずは契約先のドコモ。
 ここで使用停止の手続きをする。
 その後で落としたと思われる飛行機についての連絡。
 機内で落としたと思われる場合、そこの航空会社ではなく、降りた空港に問い合わせよとのことだ。
 早速空港に掛けたが、なかなか繋がらない。
 ようやく繋がって事情を説明し、捜索を掛けてもらう。
 あとはバス会社だ。
 幸いバス・フリークスの私はバス会社と乗った便を覚えていたので、そのバスがどこの営業所なのかも調べた上で、そこに連絡した。
 バス会社でも捜索してくれるという。

 結果!
 機内には落ちていなかった。
 バスの車内に落ちていた。
 これはバス車内が暑かったので私はコートを脱いでいたのだが、その時に落としたらしい。
 飛行機では寝なかった私だが、バス車内では少し寝落ちしてしまったので、落としたことに気づけなかったらしい。
 バス会社で預かってくれているということだし、幸い夜行バスも運行しているということもあって、比較的遅い時間まで取り扱いをしているということも幸いだ。

 おかげで、今日中に取りに行けそうだ。

 バス・フリークス、一生の不覚である。
コメント (4)
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小説の途中ですが、ここで登山のもようをお伝えします。

2015-11-30 22:43:49 | リアル旅行記
水木しげるさん死去、93歳 多臓器不全 「ゲゲゲの鬼太郎」の作者

 まず、水木しげる先生に、謹んでご冥福をお祈り致します。
 顕正会の浅井会長に恨みのある皆様、あとおよそ10年の辛抱です!

 平日に登山する機会を得た私であるが、東京駅までは普段通りの通勤ルート、しかも同じ電車ということもあって、何だか本当に通勤先へ向かいそうな錯覚に陥ったものだ。
 しかも日帰り登山では、荷物も通常の通勤バッグで事足りるし、スーツ着用で行くのが私の習慣とあっては尚更だ。
 どうも顕正会からの名残りなのか、行事に参加する時はスーツ着用でないと落ち着かないのだ。
 私の紹介者も、
「顕正会員は行事がある時、全員がスーツでビシッと決めているところだけは素晴らしい」
 と、褒めていた。
 洗脳された状態なら、服装に関する指導なんてチョロイものだ。
「浅井先生がスーツで決めておられるのだぞ!ああっ!?オメーはよー、先生の御心が分かんねーのかよっ、ああっ!?」
 なんてサトー様みたいな指導を隊長からされたら、そりゃスーツくらい着てくるわw
 しかしそのサトー様も最近の顕正新聞に写っていたが、かなり老け込んだ様子だ。
 その外見で、まだケンショーブルーやってるとしたら、ある意味で大功徳だ。
 武闘派達は顕正会の全てを否定したがるが、法華講よりも優れている部分だってちゃんとあるわけである。
 はっきり言って、元顕達が団結したら、妙観講より凄いんじゃないかな?
 少なくとも、うちの支部は負けると思う。
 いや、だってねぇ……。

 東京駅で朝マックしてたら、妖怪ウォッチのテーマソングが流れてきたが、マックでそのキャンペーンをやってるからか。
 休日ならまだしも、平日の朝、大人のサラリーマン達がクールに朝マックしている中、そのBGMは物凄いミスマッチだったがな。

 私が往路でお世話になったのは、8時10分発、富士急静岡バス“やきそばエクスプレス”1号。
 御開扉の無い日は富士宮営業所止まりだが、御開扉がある時は大石寺バスターミナルまで延長運転してくれる。
 懸念していた朝鮮車、ヒュンダイのユニバースではなく、旧式とはいえ、三菱ふそうがやってきたのでホッとする。

 
(つまり、これ。旧式ではあるが、各バス会社でも、まだまだ現役である)

 だが、ドア横の行き先表示器がプレート式(サイドボード式)なのだが、『大石寺』のプレートは無いらしい。

 
(これでは富士宮営業所から先が、まるでミステリーツアーのようだ)

 一応、フロント下の部分のLED表示ではちゃんと大石寺と書かれていたので大丈夫。
 車内はさほど混雑していなかったが、私の隣には兄ちゃんが座って来た。
 大石寺までは行かないだろうなと思っていたが、案の定、富士宮駅で降りていった。

 尚、足柄サービスエリアで休憩した際、そこでとんでもないものを見つけてしまった。
 詳細は、実際に足柄サービスエリアの下り線SAに行くべし。
 私の場合、そのテーマソングを聴いた時点で、つい右手がパチンコ台のハンドルをガチャガチャする仕草になってしまったくらいだ。
 エヴァと言ったら、500系とCRだろうが!ねえ?ポテンヒットさん?

 バスは15分遅れで、大石寺に到着。
 降り際、どこかの支部の婦人部のオバチャンが、帰りのバスで、窓側席が空いていないか運転手に聞いていたが、運転手は困った顔で首を横に振っていた。
 空いていないのではなく、空いているかどうか分からないのだ。
 当たり前だよ。
 そんなん、営業所に電話して聞きなって。
 因みに、私はもう既に帰りの足は確保している!

 登山事務所までは私の足でも5分以上は掛かるな。
 そこは山門入り口さんのツッコミ所でもある。
 入ってみたら、お坊さんのいるカウンターの前に、ラインが引いてあった。
 ちゃんと並び方まで書くようになったのね。
 まあ、ガラ空きでしたが。
 珍しく、布教講演の案内をされなかったと思ったら、会場が了成坊ですって。
 いやいやいや、ここから塔中坊まで何分掛かると思ってw
 素直に総坊か広布坊とかでやってくれたらいいのに……。
 もしくは、百歩譲って大講堂。
 ……というわけで、バックレ決定!
 どうせ、平成33年の御命題とやらの話しかしないんだろうしな。

 この時期、天候が良いと富士山がきれいによく見える。
 雪の被り具合もちょうど良い。
 絵葉書みたいな写真が撮れそうだが、それは他の登山者の人がブログにアップするだろうから、私のブログではバスの写真を中心とする。
 平日は海外信徒達が登山してくるのは、もはやベタな法則か。
 昔は静かだったんだけどねぇ……。
 それにしても、何で私が登山する度にアジア系しか来ないんだ?
 それも、だいぶ年配者が多いなぁ……。
 もっと欧米から来ないものかね?どうせなら……。
 うちのイリーナみたいな美魔女や、マリアンナみたいなロリ顔美女みたいなのは……え?創価学会インターナショナルに行けって!?

 昼食は“なかみせ”で取る。
 平日はカレーが無いので、豚汁定食を注文する。
 ここの豚汁も、かなりいけるよ。
 芙蓉茶寮に対抗しうる店だと、私は常に推させてもらっている。
 平日は空いているので、ゆっくり食事は可能だ。
 まあ、関西系のオバちゃん信徒が、冷たいそばが無いので文句言ってましたがw
 だったら境内一周マラソンして、その分厚い脂肪落としてこいwww
 私は寒くて震えながら、境内を歩いていたんだがな。
 しっかし、やっぱ私は独身で良かったかも。
 一緒にいた旦那さんが、オバちゃんの無理難題な注文を抑えるのに必死でしたが。
 歳取る度に劣化していって、更にその取扱いに要注意しなければならなくなるとは……。
 ポテンヒットさん、お疲れさまです。
 法華講で信心していてもそれなんだから、本当に法統相続って必要なんだろうか?

 食事の後は売店という名の仲見世商店街を回って、色々と買い込む。
 ブログでも書いたが、日蓮正宗に興味を持ってくれた一般人の方に、更に興味を持ってもらうべく、リーフレットやら資料やらをここで調達することにした。
 が、探してみると、あんまり一般人に見せられるようなものって意外と無いんだよねぇ……。
 学会員でもない一般人に、学会の間違いを指摘しているリーフレットあげてもしょうがないからね。
 それにしても、対学会用のリーフレットは何種類もあるのに、対顕正会が1つも無いとは……困ったものだ。
 もしあったら、私が知っている現役顕正会員全員にポスティングしてやるんだがな。
 取りあえず一般人の視点なら、『大石寺ってこんな所』とか、『日蓮正宗ってこんな宗派』『日蓮正宗と日蓮宗の違い』『日蓮正宗の教義って何?』みたいな所になると思うので、それに沿ったものを調達することにした。
 調達はしてみたものの……。
 やっぱ、何か表現が難しいなぁ……。
 宗教なんてド素人の人でも、もっと分かりやすくできないものか……。
 え?そこを上手く説明するのが、信徒の役目だろうって?
 信徒の役目なのか?

「安心してください。日本人ですよ!」
 台湾人信徒の対応に苦労されていた、とある土産店で私が放った一言。
 てか、もう少し日本語勉強してから来てくれよな。
 今度は実家への“普段着の折伏”の一環で、ここで買った土産を宅急便でポスティングしよう。
 一番良いのは同じ法華講員と結婚して、それを機にうちの家族ごと折伏するっていう手が使えることなんだけど、この分だと今生では叶いそうにないし、そもそもやっぱ同じ法華講員と結婚しても余計苦労しそうなので、とどのつまり自力で折伏することを考えている。

 御開扉の様子はいつもの通り。
 特に変わったことはなかった。
 次!いつもならバスを見送りに行くところだが、たまには宝物殿にでも行ってみようかと思った。
 何か、奉安堂からのアクセス風景が、“バイオハザード”……いや、“DEMENT”?“シャイニング・ヒル”みたいな感じ?
 いや、宝物殿って元は学会の施設だったじゃない?
 何だか、ホラーゲームのダンジョンみたいな感じがするんだよなぁ……。
 ゲームのやり過ぎかなぁ……?
 展示内容とかについては、正直感動した。
 いや、涙が出るほどではなかったのだが、実は竜の口法難のことで、ネタ帳にこんなことが書いてあった。
 『敷島と平賀、タイムマシンで竜の口上空に現れる。→光の球の正体はタイムマシンが放つライトだった』『稲生ユウタ、魔法修行中にタイムスリップしてしまい、竜の口に迷い込む。→魔法発動の際に発せられる光が正体』
 ……これ、小説化しちゃって大丈夫……でしょうか?
 だけど、展示の内容的には、信徒だけに公開ってのも勿体ない気がしたな。
 まだ未入信だけども、新願者の人にくらいだったら公開してあげても良いのではないかと思った。

 見学の後で時間調整しに、売店に戻る。
 道すがら、こんなものを発見。

 

 あれ?何だろう?私、ストライキでもやろうかと思ったら、先に釘を刺されてしまったな。
 マイク持って、『我々はァ!功徳をォ!要求するぅーっ!!』なんて……しちゃダメってか。
 でもマジで天候に関して御加護が無かったことが続いたことがあって、その時はわざと朝の勤行で初座を省いてやったことがあったがね。
 勤行してやってんのはこっちだぞ、この野郎!みたいなw

 六壺の勤行は結構、海外信徒(といっても台湾人がほとんど)で賑わっていた。
 おまいら、宿坊での勤行はいいのかよと思ったが。
 私の数珠の掛け方が粗雑だったらしく、隣に座った添書登山の日本人の婦人部員の方が優しく数珠の掛け方から教えてくれた。
 顕正会だと、形しか教えてくれないからね。
 あとは、六壺にまします御本尊の謂われとかも教えてくれたな。
 日興上人の御本尊なんだってね。
 知らずに今まで手を合わせていた私は、やはり不良信徒だったか。

 帰りのバスは当たりだったな。
 新型の日野セレガだ。
 やっぱり、バスは国産に限るね。
 道路も空いていたし、私の席が相席になることもないほどに空いていたのだが、それでも定刻より10分ほど遅れての到着だったかな。
 天候にも恵まれていたし、さすがは今朝、初座をストっただけのことはあるな。はっはっはー!

 良い信徒の皆さんは、マネしないでねw
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初めての一泊登山 final

2015-10-20 22:06:12 | リアル旅行記
 丑寅勤行から戻ってきて再び寝床に入ってはみたものの、なかなか深く眠ることはできず……。
 何だか変な夢を見た。
 私や紹介者、その他の班員が坊内でガンサバイバーをやっている夢だ。
 見たこともない詰襟制服の男子高校生の誘導で、外から侵入してきた魍魎達を手持ちの銃で倒すというものだ。
 他の人達がハンドガンなのに、私だけアサルトライフルで申し訳無い。
 どうもその魍魎達の中に、顕正会時代に知り合った顕正会員の成れの果てや学会員の成れの果てがいたことから、堕獄した者達が宗門境内に侵入してきたという設定のようだ。
 まあ、私は容赦なく蜂の巣にさせて頂きましたがw
 2階の仏間で御僧侶を人質に取った太ったオバハンがいたのだが、あれ、茜オバハンだな。
 私の小説で倒されただけでは飽き足らず、夢の中にまで出て来たか。
 私がM3ショットガンに武器変更している間に、同志の方が倒してくれましたw
 タイラント茜にはマシンガンよりも、コルトパイソンの方が効くらしい。
 てか夢の中の私、タイラント戦でショットガンは無駄な抵抗だと知っているはずなのに、何故に使おうと思ったし!

 すいません、ガンサバイバルゲーム(特に“バイオハザード”)のやり過ぎでした。てへてへw

 という夢で目が覚めた。
 夢の話を周囲にしても、変な顔されただけである。当たり前だ。
 とっとと布団を片付けて、勤行の会場へ。
 御住職を人質に立て籠もった中ボスのタイラント茜BBA戦を繰り広げた(まだ言うか!)仏間で行われる。
 心なしか、引き題目が丑寅勤行よりも短いような気がする。
 まあ、長さは導師によりけるのだろう。
 恐らく、信徒の朝食の時間に際して気を使ってくれたのかもしれない。
 朝食は夕食と同じ弁当。
 婦人部員のオバちゃんがご飯の量が多いからと、我々青年部に分けてくださる。
 もっとも、私とて少食派。
 大食派の青年部員が引き受けた。
 確かにこういうほのぼのとした融通さ加減は、顕正会には無いかもしれないな。
 何故なら、向こうはそんなに4者……もとい、3者間でそんなに交流があるわけではないでしょう?
 疑問に思うのは、昨夜の夕食の時もそうだったが、朝食の時も題目三唱してから食べること。
 御本尊以外に向かって題目三唱して大丈夫なのか?
 ……あー、何かそういう話を報恩坊でして頂いた気がしたが、忘れたなぁ……。
 やっぱり、宿泊登山しないと分からない所はあるということだな。

 総会の準備をする信徒は広布坊へ。
 ただの参加者たる私は総二坊の掃除を手伝った。
 ふむ。これが身の供養ってヤツか。
 ところで、余った弁当はどうしたんだろうと思っていたら、大食派の方が処理していた。
 しょうがないので、私は1階の自動販売機でペットボトルの水を買ってきてあげた。
 私も、もう少し健康状態が良かったら、少し手伝うところだったのだが……。

 広布坊は1994年に建立された宿坊で、開基は日顕上人。
 大講堂よりも広いせいか、ここの御本尊は塔中坊の御本尊よりも大幅であるらしい。
 一泊登山者は優先的に入れるらしく、荷物置き場に荷物を置いて会場に向かう。
 その前にちょっとトイレ。
 うむ。トイレも広くてきれいだ。

 総会の式次第には書かれていないが、前座というか余興というか、始まる前にポンポン隊、鼓笛隊、ソーラン隊の演目が行われる。
 ポンポン隊はその通り、4〜6歳の未来部(という名称だったっけ?)が“アンパンマンのマーチ”に合わせ、ポンポンを振りながらダンスをするというもの。
 ステージ下では指導員の大人が数人、指揮を執っていたが。
 一家広布の叶った家に生まれ育ったのだから、将来は安泰だろう。
 一代法華の私よりも、ずっと恵まれている。
 鼓笛隊の凄さは演奏しながら、アグレッシブに動き回ることである。
 確か創価学会にもあるし、顕正会にもあると聞いた。
 顕正新聞を見る限りでは、顕正会の鼓笛隊は椅子に座ったままなので、アグレッシブではない。
 また、どうしても入信資格が16歳以上に限られている為、中学生以下の鼓笛隊員がいる法華講と違い、顕正会のそれはもう少し平均年齢は高い。
 ソーラン隊だが、こちらは青年部有志によるものらしい。
 私の知っている顔はいなかったが。
 太鼓を叩かない顕正会の雷門会に相当する組織か。
 但し、私が現役当時、雷門会は男子部員しかいなかったのに対し、こちらは女子部員も含まれる。
 こういう余興も必要だ。
 顕正会ではなかなか無いだろう。

 いざ実際始まると、ステージの上に椅子を並べ、その上に幹部の皆さんが着座するのは顕正会の大会と似ている。
 で、御主管(大石寺総監)の着座される位置というのが、正に顕正会では浅井会長が座る位置である。
 浅井会長、明らかに狙って座ってんなーというのがこれで明らかになったわけだ。
 当たり前だが、相手が御主管であっても伏せ拝はしないよ。
 猊下様であっても、合唱したままの姿勢で拝したり唱題することはあるが、信徒が伏せ拝をすることはない。
 猊下様が入退出時に一礼して下さった場合、それに信徒として答礼することはもちろんある。
 その際、最敬礼の姿勢になることも多々ある。
 しかし、それは伏せ拝とは言わない。
 なので、いかに浅井会長が増上慢であるのかがこの様子で見ても明らかなのである。
 たかだか在家の団体の長が、伏せ拝されていい気になるとは、おこがましいにも程がある。
 と、この時思ったものである。

 講頭の挨拶は、どちらかというと講頭自身の成果報告みたいなものだ。
 講頭が率先して東南アジアの人間を引っ張って来てるからなぁ……。
 まあ、実際に講頭が総会に連れて来たベトナム人は日本語が分からないようだった。
 講頭は英語が喋れるようなので、英語でそのベトナム人に色々と説明していたようだが。
 ベトナムの公用語は英語なのかと、今さら知った。
 あいにくと私は国内だけで精一杯なもんでね。
 しかし、講頭自ら率先して折伏に走り回っているという姿は素直に素晴らしいと思う。
 どこぞの顕正会みたいに、下を引っ叩くだけの不要幹部とは大違いだ。

 体験発表を行った人は、やはり無宗教から入った人。
 最近、うちの支部では無宗教から入信してきた人が体験発表をすることが多い。
 もちろん、良い事だ。
 元顕や元学会員だとね、結構お決まりのテンプレートとかあるからさ、だいたい話の流れも似たようなものになっちゃうんだよね。
 だから私も顕正新聞の体験発表の中で、1番つまらない内容は元学会員の『正義に目覚めて』の部分である。
 茜オバハンはそこが1番面白そうなことを書いていたようだがね、あいにくと私は逆だ。
 その点、無宗教者はそれぞれ違う話を持っているから、結構新鮮味がある。
 私が体験発表をしたら、重々しい雰囲気に包まれることになるだろう。
 私はまだ適度に楽しんだ方だから良いが、本当に向こうで地獄を見て来た元顕が体験発表しようものなら、【お察しください】。
 中には浅井会長などへの恨みつらみを書く者もいるだろう。
 ……これでは、元顕が体験発表させてもらえるわけがないか。

 最後に“広布の青嵐”を合唱する。
 覇気の無い歌であまり好きではないのだが、歌いやすさでは推薦できるかな。
 鼓笛隊が伴奏してくれていたので、幾分覇気はあったか。
 因みに『邪宗の砦♪打ち砕き♪諸天は怒り♪地も震う♪』という歌詞の何とかって歌は覇気があると思うのだが、その分、歌詞の内容が随分と物騒なものになっている。
 ところで今のフレーズ、どこかで聞いたことのある元顕はいるだろう。
 そう、顕正会愛唱歌“両眼滝のその日まで”にも、『諸天も怒り♪地も震う♪』というのが入っているのである。
 この両曲がいつ作られたのかは知らないが、当時はそんなフレーズが流行っていたのだろうか。

 そんなこんなで私の一泊登山は終わり。
 え?布教講演?で、出ましたよ、もちろん。ええ。内事部で勤務されている方が、確かお話されていたかと……。
 ね、寝てないよ……別に……。
 というわけで、カット!

 終了後は売店でお土産やリーフレットを買う。
 職場に持って行き、さりげなくリーフレットを置いておく作戦だ。
 帰りは富士急静岡バスの富士宮営業所までタクシーで移動した後、高速バスに乗り込む。
 例によって、1Aの展望席である。

 
(私がお世話になった“やきそばエクスプレス”14号。撮影日は17日で、これは15時ちょうど発の新富士駅行きに使用されるシーンである。この翌日、この下山バスは私を乗せて東京に向かうことになる。フロントガラスの上に“かぐや姫エクスプレス”と書かれている通り、本当に何にでも使用する車種らしい)

 バスは大して混雑しておらず、1B席に誰も座ることはなかったが、東名高速に入ると随分とバイクのツーリンクが多かった。
 尚、私がお世話になった便は珍しく東名富士を通らず、西富士道路から直に新東名に入った。
 14号だけこのルートだそうである。
 理由は不明。
 途中で中央分離帯に激突して、バイクもろとも火を噴いていた事故車のせいで渋滞があったが、まあ、冥福は祈っておこう。
 日曜日の東名高速らしく、綾瀬バス停付近だの、ベタな場所で渋滞していた。
 何故そこが渋滞の名所なのかというと、上り坂だからである。
 必要以上に減速した車が全車線塞ぎやがったりするもんだから、後ろに渋滞の列ができるのである。
 高速道路は、高速で走る所ですからね。

 因みにあからさまな“普段着の折伏”は思いの外不評だったようで、リーフレットは、もう少し一般人に分かりやすい内容に改めるべきだと思った。
 あと、顕正会員用のも欲しいね。
 これで今年の支部総登山は終わり。
 あとは11月にでも添書で行って、今年の登山納めとしよう。
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初めての一泊登山 3

2015-10-20 00:23:36 | リアル旅行記
 ※トチロ~さんにはお忙しい中、素朴な疑問にお答え頂き、真にありがとうございます。

 座談会の後は就寝準備を行う。
 丑寅勤行に参加する者は、なるべく大広間の入口近くで寝るようにとのことで、その通りにしたのだが少し後悔した。
 人の出入りが気になる上、非常口誘導灯がまぶしく、こんなこともあろうかと持参した耳栓とアイマスクを使用してもあまり眠れなかった。
 布団なのだが、何だか物凄く重いのだがw
 枕はシーツの下に置くのが、法華講流。
 寝過ごすことは無く、一応は起きれたのだが……。
 まあ、眠いのはお察しください。
 すぐに着替えて、客殿に向かう。

 
(真夜中の総二坊1階のエントランスホール。丑寅勤行に出て行く人達に合わせ、照明を点灯してくれたが、それ以外の消灯時間中は誘導灯しか点灯していない)

 一瞬、照明が点灯する前のエントランスホールを通ったが、イメージがちょうど謎の洋館(新館)を探索中の井辺達にピッタリだったので、写真を撮っておいた。
 眠くてしょうがないと言っている割に、アマチュア作家魂だけは変わらない。
 ぞろぞろと皆して客殿に向かうのだから、大した不安は無い。
 ただ、所々暗い所があるので、持参のライトを点灯させた。
 天気は良いので、空は満天の星空である。
 しかし、それはスマホで撮っても写らないというオチである。

 丑寅勤行に参加する場合、中に入ったら記帳台にて住所や所属、名前を書かなくてはならないのだが、支部登山者はこれを省略できるらしい。
 但し、ワッペンは忘れないように。
 もちろん、会場は内陣のある場所だ。
 某学会がアップしたと思われる宗門誹謗動画の通り、所化さんが内陣の上に並んで、確かに向かって左側に日如上人猊下が着座される。
 動画では所化さん達の様子を監視する為とか言っていたが、実際の理由はそれではなかったと思うのだが。
 日顕上人を誹謗する為なら何でもアリの学会なだけある。
 例の動画では、
「僧侶が上で信徒が下ということを修行中に叩きこまれる」
 とか言っていたが、あの動画を見る限り、とてもそんな風に見えない。
 むしろ、
「先輩所化に絶対逆らってはいけません」「猊下が上で所化が下」
 に見えるのだが。……って、当たり前だろうが!
 ところで、内事部の入口の受付には、しばしば所化さんが座っていることが多い。
 以前、報恩坊に所属していた時にそこを訪れた。
 所化さんが私へ挨拶するのが遅れた時、同行されていた当時の御住職様がその所化さんに対し、
「おい、ちゃんと御信徒さんへ挨拶しろ!」
 と、注意をされていたのを覚えている。
 これを見る限り、とても某学会の某動画に関しては全くと言っていいほど信用できないわけである。

 話が逸れてしまった。
 私自身、何とか居眠りしないようにするのが精一杯だった。
 私が正座した位置から所化さんを見た限りでは、某動画のように居眠りしている方は見当たらなかった。
 因みに所化さんにとっては、これが朝の勤行なのだそうだ。
 ということは、私ら信徒は終了後に2度寝を貪るが、所化さん達はこれから修行僧としての1日が始まるということなのだろうか。
 六壷における夕勤行も比較的早い時間に行われるが、朝の勤行をして丑寅の刻とするならば、就寝時間も相当早いのだろうと推察する。
 尚、同志の方の話によれば、丑寅勤行参加における功徳は、御開扉の次にデカいのだそうだ。
 ……まだ実感無いけど。
 六壷勤行の功徳のデカさは何となく分かるんだけど、それは丑寅の更に次、3番目ってところなのだろうか。
 しかし、丑寅の様式が朝の勤行と同じというところまでは分かった。
 それはいいのだが、ここで1つの疑問が起こる。
 我々、信徒は宿坊における朝の勤行をまた改めて受けなければならない。
 丑寅勤行が朝の勤行であるのなら、改めて行う必要など無いのではないか。
 この疑問に、また件の同志の人が教えてくれた。
 答えはいたってシンプル。
 社会の常識で考えれば、そこに文証など必要無い。
「宿坊の御住職様が朝の勤行を執り行っておられるのに、信徒がのんきに寝てるわけにはいかないだろう」
 とのこと。
 うん、正しくその通り!
 そういえば、報恩坊時代にも似たようなことがあったな。
 当時の御住職は結構フランクな御方で、
「皆さん、長旅でお疲れですし、ゆっくりなさってて結構ですよ」
 とのありがたいお言葉を掛けて頂いたことがある。
 所化さんがちょっと信徒への挨拶が遅れただけで厳しく注意される半面、所属信徒に対してはとても気を使って下さる御住職様なのだった。
 実にもったいないことをしてしまったと反省している。
 当時の私は、『じゃあ、お言葉に甘えて寝させて頂きますwww』なんて不届きな考えを持ったものだが、今の私と、当時からトチロ~さんは、
「いいえ!そういうわけには参りません!」
 と固辞し、改めて宿坊における朝勤行への参加を強く申し出た。
 いや、ほんと御住職にそこまで言われたら、普通は上記の答えを返すものだよな。
 恐らく御住職様も、そういう答えを期待して、あえてあのように仰ったのではなかろうか。
 御期待に添う回答ができなかった当時の私。
 正に、反省に尽きる。
 ……ってか、あんなクソ信心じゃ、確かにトチロ~さんの告白手記に出て来る仏敵某氏にかき回されて、退転もするわな。
 今なら何かおかしいと思って、一歩引いた目線で状況確認とかするのだが……。
 これだから、在日特権だか利権だかを貪ろうとする輩は恐ろしい。

 今でも不良信心のままで、布教講演バックレるほどだが、私も歳を取ったからなのか、少しは冷静に物事を見れるようになった。
 こんなもの功徳でも何でもない、ただの経験則であろうが、やはり結果だけで言えば、私は御受誡のタイミングが少し早過ぎたのかもしれない。
 せめて、不逞の仏敵が宗門を立ち去ってからにすれば良かった。
 こんなことを言っても、もう遅いけどね。
 所詮、私の福運なんてそんなものだったと諦めるしかないか。

 取りあえず、今日はここまでにします。
 次回は総会と布教講演について。

 ……いや、総会はともかく、布教講演についてはあまり細かく書くことは無いのだが、書かないと紹介者氏に疑われそうだからなぁ……。
コメント (8)
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