日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

旅の思い出 ~プラハの天文時計~

2015年04月19日 | 旅の思い出(ブログ開設以前の旅)

H.20年(2008年)9月に、オーストリア、チェコ、ハンガリーを旅しました。長い歴史と文化を感じさせる街並や豊かな自然が残る景観は、それぞれが魅力にあふれ、今でも深く印象に残っています。

特にプラハの天文時計は、そこでの滞在時間が比較的長かったこともあり、思い出深いものです。



上の写真では分かりにくいですが、この時計は旧市庁舎の壁に取り付けられていて、15世紀の初めに作られたのだそうです。からくり時計で、毎正時には時計の上の窓からキリスト12使徒の人形が動くのが見え、また時計横の人形も上下に動いて見ていてとても楽しいものです。


ヨーロッパの大きな都市には、からくり時計がよく設置されていますが、このプラハの天文時計の見物人の数は桁違いでした。毎正時近くなるとどこからこんなに人が集まったのだろうと思う程の人波で、みんな時計を見上げ始めます。からくり人形が動く時間はホントに短いのですけどね~(笑)。

この天文時計が設置されている旧市庁舎の塔はエレベーターで登れるようになっています。そこからはヤン・スフ像を中心にティーン教会などの
歴史ある建物に囲まれた旧市街広場が見渡せて素晴しい景観でした。

塔から下りた後、旧市街広場まで行きベンチに腰かけて、様々な国からの観光客や周りの歴史的な建物を見ながら過ごした時間は、何故か今も忘れられない時間として心に残っています。

旧市庁舎前にはショップがいっぱいあり、その中のボヘミヤングラスのお店で、こんなお皿を買い求めました。手荷物として持ち帰りましたが、ボヘミヤングラスって重いんですね~。持ち運びが大変でした(^-^) このお皿を使う度に、旧市庁舎前の雰囲気や天文時計の事を懐かしく思い出します。



(上2枚の写真はネットよりお借りしました)
 

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旅の思い出 ~エジプトでは日本製ボールペンが大人気~

2015年04月13日 | 旅の思い出(ブログ開設以前の旅)

昨夜、ある方のブログを読んでいたら、エジプト旅行中に、持っていたボールペンをねだられたとの記事がありました。

その記事を見て、H.20年2月にエジプトを旅行中、私も同じようにボールペンが欲しいと言われたのを思い出しました

土産物屋さんでお店の人に「ボールペン持ってない?」と言われ、気が付くといつの間にか手持ちのボールペンをあげてしまっていました(^-^) 旅のお仲間の奥様は、すかさず「これとこれを値引きしてくれたら、ボールペンあげてもいいわよ」な~んて言って、値引き交渉をしておられましたけど。私もそうすればよかったと思っても後の祭りでした(笑)。

日本製ボールペンでもノック式でないとダメなようで、特に3色、4色のものは大人気でした。

手持ちのボールペンをあげてしまったので、宿泊したルクソールのホテルの部屋に置いてあったボールペンを、私はその後ずっと使っていました。インクの出に少しムラがあり、日本製の様に滑らかな書き心地ではないようですが、ちゃんと使えるし、何故エジプトの方々が日本製のボールペンにあんなに執着されるのか不思議に思います。

私がずっと使っていた、このエジプト製のボールペンを欲しいと言われたことはその後一度もなく、向うの方々には日本製のボールペンとはすぐ見分けがつくのでしょうね~(^-^)

ピラミッドが思っていたより小さいと感じたり、ホテルの部屋から見えたナイル川河口が予想より狭いと感じたエジプト旅行でしたが、エジプトの方々に日本製ボールペンが大人気だったことも、旅の思い出の一つです。

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旅の思い出(敦煌 陽関)

2014年06月11日 | 旅の思い出(ブログ開設以前の旅)

陽関はシルクロードの関所跡ですが、敦煌からバスで、ラクダ草が所々に生えているゴビ砂漠の中の一本道を、南西へ1時間半位走った所にあります。

ゴビ砂漠は砂というより石ころ交じりの平原といった感じです。途中土を盛った様な感じになっているところが何か所かありましたが、それはお墓なのだそうです。ただ土を盛っただけの様に見えましたが、誰のお墓かどうしてわかるのでしょうね~。不思議な気がしました。

陽関へ到着と言っても、このあたりの景色を見晴らす屋根付きの廊下状の建物(現代の建物)があるだけで、当時の建物は何も残っていません。ここから見えるのは、果てしなく続く砂漠の荒涼とした景色でした。そして今残るのは下の写真の様なのろし台だけで、この烽火台も風化が進み長い歴史を感じるものでした。

Photo

私達の世代は高校時代に漢文の授業で、王維の漢詩「送元二使安西」を習っているので、この陽関を身近に感じますね。この記事を書くためにネットで調べてみました。

    「送元二使安西」 (元二の安西に使いするを送る)

渭城朝雨潤軽塵  (渭城の朝雨 軽塵を潤す) 
客舎青青柳色新  (客舎 青青 柳色新たなり)
勧君更尽一杯酒  (君に勧む、更に尽くせ一杯の酒)
西出陽関無故人  (西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん)

50年位前のことでほとんど忘れていますが、最後の(西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん)だけは何となく記憶があるようにも。故人とは中国では友人を差すのだと教わったような...。


この漢詩で、この陽関の当たりが、シルクロードの時代、中国と西方の国々との分岐点だったと実感できます。陽関から西の砂漠はゴビ砂漠ではなくて、タクラマカン砂漠になるのだそうです。

                                          


6月初めに梅雨に入った当地は、雨が降り続いているわけではありませんが、毎日何だかはっきりしないお天気で、ブログ記事になる様な、何かをしたとか、どこかへ行ったという様な特別な事は何もないですね~(^-^) ネタ不足から14年前に友人達と行った、思い出深い敦煌、西安への旅を記事にしてみました。

この旅行の数年後に、同じ友人達と敦煌よりさらに西のウルムチ、トルファンへの旅を計画し、敦煌再訪を予定していたのですが、9.11が起こり計画は中止になりました。その時、敦煌までは行っててよかったな~と思いました。今は中国とは何かと問題が多く、敦煌の様な奥地までは行けないような気が致します。やはり海外旅行は思いついた時に行っておくべきですね。

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旅の思い出(敦煌 鳴沙山)

2014年06月09日 | 旅の思い出(ブログ開設以前の旅)

敦煌からバスで10分ぐらいの所に、鳴沙山(250m)と呼ばれる広大な砂山があります。 前回の記事の「砂漠の中の大画廊」の莫高窟もこの鳴沙山の東端にあります。
2<鳴沙山>

風が吹くと砂が音を立てることから、鳴沙山という名前がついたそうですが、ここの砂はホントに細かくきれいな薄茶色でした。日中は砂が暑くて登れないらしく、私達も夕方から行きました。

鳴沙山への入口辺りからふもとまで初めてラクダに乗りました。二こぶラクダでしたが、乗ってみると思ったより大きく、しばらくは不安でしたが、次第にラクダの動きに体が合ってきて、楽になってきたところで鳴沙山到着でした。
Photo


鳴沙山は不思議なところで、音が砂漠の砂に吸収されてしまうのか、観光客の話し声が低くボーっと聞こえてくるのみで、音のない世界でした。ここで旅の仲間の一人がオカリナで「月の砂漠」を吹いてくれて、今でもその時の光景を時々思い出すほど素敵な時間が流れました。

鳴沙山は砂で出来た山なので、登ろうとするとズルズル下がってしまい、結局中程までしか登れませんでした。友人達とそこに腰を下ろし、ふもとを見ると、月牙泉と呼ばれる三日月の形をした湖の全容が見えました。湖の端に楼閣が建っています。この湖は不思議なことに、今まで2000年位の間、枯れたことがないのだそうです。砂漠をラクダに乗って移動していた隊商にとって、この月牙泉が見えてきた時は、さぞホッとしたことでしょうね。
2_2 <月牙泉>

ずっと彼方をみると、地下水があるの
でしょうか、ポプラ並木らしい緑が見え、日も少しかげりだし、これまで見たことがない様な幻想的な光景が広がっていました。

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旅の思い出(砂漠の中の大画廊 莫高窟)

2014年06月07日 | 旅の思い出(ブログ開設以前の旅)

平成12年の5月に友人達と敦煌に行きました。青島を経由して、敦煌、西安と廻りましたが、この旅は私にとって初めてのアジアへの旅行で、思い出深い旅でした。

この旅行を企画し、一緒に旅した友人が、"敦煌の守護神"と呼ばれている敦煌の石窟(莫高窟)の研究、保護に尽力された常書鴻さんの息子さんである画家、常嘉煌さんと、仕事上のお付き合いがあり、嘉煌さんが莫高窟やその他の場所を案内して下さったのも、忘れられない思い出です。

敦煌の中心部のロータリーには下の写真の様な背中で琵琶を弾く天女の像が立っています。莫高窟の壁画にある反弾琵琶の図を彫刻にしたものだそうで、この天女の像は敦煌のシンボルなんですね~(^-^)
Photo_3

敦煌観光のハイライト、莫高窟へは敦煌からバスでラクダ草だけしか生えてない砂漠の中の一本道を30分位走りました。

魏晋南北朝時代から元代まで約1000年にわたって創られた石窟である
莫高窟は、内部が彩色された壁画と仏像で彩られていて、「砂漠の中の大画廊」、「オアシスの中の仏教美術館」などと呼ばれているのだとか。

石窟は492あるそうで、一つ一つの石窟に独自の意味があり、仏教的世界観を表していると言われています。石窟は下の写真の様に層になっており、大部分の石窟にはアルミ製のドアが付いていて鍵がかかり、ガイドさんと一緒でなければ中に入れない様になっていました。
Photo_5

上の写真の四角く切り込まれた部分の奥に石窟のドアがあり、手前の手すりが付いた部分を通って各石窟を見学します。石窟内部はカメラ持ち込み禁止なので写せませんが、壁画や仏像は圧巻という言葉以外では表せません。

下は莫高窟を象徴する「九層楼」ですが、この中には大仏様が安置されています。高さは34.5mだそうで奈良の大仏様の倍以上の高さなんですね~、驚きました。
Photo_6

莫高窟は1000年もの長い間に営々と創られた石窟なので、時代によって、窟の形や仏像の顔、ポーズが違っているとの説明を受けましたが、知識がないので説明を聞いてもよく解らず、もう少し詳しく調べていけば一層面白かったのにと残念な気持ちでした。そして
その昔、この圧巻の壁画や仏像を作った人々はどんな気持ちで、これらを創っていたのかなぁなどと思いながら見学致しました。

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