ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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アキレスと亀 ~ 現実時間と数学的理念の混同によるパラドックス

2011年04月22日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

哲学者ゼノンの提示した有名なパラドックスが「アキレスと亀」。
こないだ、子どもにも謎かけ話として話して聞かせた。

アキレスが亀の居た場所に追いついても、
その時間のあいだに亀も(僅かずつでも)進むから、必ず亀はアキレスより前にいる。
よって、アキレスは亀に永遠に追いつけない。

これを数学的に解決しようとすると、

アキレスが進んだ距離Sは式(1)のようになり、無限に足し算は続く。
アキレスが進むのに要した時間Tは式(2)のようになり、無限に足し算は続く。

しかし、これはどんどん小さくなる距離xと時間tが、どこまでも無限に小さくなる、
つまり、距離(空間)も時間も無限に分割が可能であれば、という話。

実際には、最初にアキレスと亀の距離が1mだったとして、
アキレスがそれぞれの段階で走った距離が2分の1、4分の1、、というように都度半分ずつ減少していくとすると
アキレスの進む距離は式(3)のように表される。
これは無限級数を用いれば、式(4)のようになり 、
n →∞ になるとアキレスの進む距離は限りなく1mに近づく、
と説明される。

私はこれでアキレスと亀のパラドックスは説明されるもの、と長年思っていたが、そうでもないようである。

そもそも、数学で∞(無限大)を取り扱うには注意がいる。
(無限大が出てくる数学は理論としては破綻しているという人もいる。)
それは限りなく1mに近づく、という近似値であって、決して1mにはならない。
はじめにあったアキレスと亀の間の距離1mにアキレスが追いつくという説明にはなっていない。
アキレスと亀の間の距離は限りなくゼロに近づく、としかいえない。
解決にはなっていないのである。

ここには、無限に対する我々の錯覚、そして数学と時間の関係についての示唆に富んだ教えが含まれている。

<無限に対する我々の錯覚 ~ 「分割的無限」と「延長的無限」はちがう>

アキレスと亀は共に運動しているが、最初の距離は1mである。
この"相対距離"が分割され、無限に小さくなっていくのであって、1mという有限距離に変わりはない。
ゼノンはアキレスと亀が進行し続けるという無限の繰り返しに注意を向けさせることによって、
分割的無限(相対距離は有限)の話を、延長的無限(どこまでも延長されて無限に続く)の話にすり替えているのである。
有限性を忘れさせることによる錯覚、ということ。


無限級数による説明(式(4))は、
アキレスと亀の間の距離を式(1)のような直感的に延長的無限距離を連想させる説明ではなく、
分割的無限距離、としてとらえることには成功している。

アキレスと亀―時間の哲学と論理
千代島 雅
晃洋書房

 

<思考や理念上の数学に、時間を結びつけてはいけない>

ここで距離は数学的に無限に分割されるが、時間の経過をまったく考慮に入れる必要はない。
もともと「無時間」なもの(距離の無限分割)に対して、どのくらい時間がかかるのかを考えることには意味がない。

そのようなことを認めれば、
1秒を無限に分割された点を考えると、たった1秒が経過するのに無限の点を経過しなくてはいけなくなるから、
無限の時間がかるという笑止な主張が成立する。

無時間的な数学的理念性と、時間的な現実性を混同する誤りを犯さず、
アキレスと亀の間の有限な隔たり(相対距離)をなくしてしまうのにどれだけの時間がかかるのかだけを考えればよい、
というのがこのパラドックスの解決になる。

( ↓ )こちらは、もっとわかりやすい例。

   S地点を出発して目的地点のOに到着する工程を考える。
   S地点とO 地点の中間点M1、そのまた中間点のM2、、、と無限に2分割していくと、
   分割された点の数は、数学上(理念上)、無限の数になる。

   するとS地点を出発しても無限の点を通過することは不可能(終わりはない)だから、
   永遠にO地点には到着できない、ということになる。

うーむ、現実世界の時間と、数学上の理念を混同してはいけないということはわかったが、
相対性理論をどう考えればいいのか。
数学によって宇宙を説明するホーキングの宇宙論をどう考えればいいのか。

思うに、時間と空間は互いに連関した" 時空 "であるがゆえに、
空間(距離)に、現実の時間を持ち込んだ場合に、このような歪み(パラドックス)が発生するのだと思う。

「時間は実数、空間は虚数 」とは、空間(距離)に、現実世界の時間を持ちこむために出てくる概念(虚数による説明)なのではないか。

量子力学のトンネル効果(これは現実的な現象だ)を、虚数という数学上の概念で説明することの妥当性も然り。

数学と時空の関係、
アキレスと亀のような単純なパラドックスでさえも、仮説が依って立つところの前提条件で錯覚が生じることを考えると扱いには慎重さが必要だ。

思考する前提、何で持って何を見るか、
ここは大事な勘どころに思える。

私たちは(理論だった風に考えているつもりでも)実に錯覚にとらわれやすい。

 

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