ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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ダウンサイジングという考え方 / 内田 樹

2010年06月11日 | 心の筋力トレーニングを続けよう
ただオメーガいいに我ながらいいことを書きました。

”どのみち、時計をする腕は一本しかないんだし、2本も3本もはめれるわけでもない。”

もちろん、TPOに合わせて、ということもあるので、一概には言えないのですが、
よく似たことは、いろんな場面で言えます。

「足るを知る」と言うと、説教めいたところもあって、身につまされなかったりもしますが、

”バーゲンだからっていくつも服を買っても、着る体はひとつ。”

”肉も魚も食べたいと思っても、口もおなかもひとつ。”

”あれもこれもしなきゃ、と思っても体はひとつ。(だったらできることから整斉とやりましょ。)”
みたいに。

トルストイの言葉にもあります。
「欲望を充足させるための半分の努力でいいから、それら欲望の棄却に力を注いでみるがいい。
君はまもなく、はるかに多くの平安と幸福を獲得できることを発見しよう。」

で、本日のお題はダウンサイジング。
鳩山政権から管政権へと変わった折り、マスコミでも日本の将来について喧々諤々。
 

このあと、世界は多極化と縮小均衡の局面を迎えるという予測について私も同意見である。
日本社会がこれから採用する基本戦略は「ダウンサイジング」である。

ひさしく資本主義は「巨大化する」か「つぶれるか」の二者択一であり、「ダウンサイジングによる安定の回復」というオプションやノウハウがなかった。
「ダウンサイジング」といって連想されるのは、「労賃の切り下げやコストカット」、「分社化やアウトソーシングによる不採算部門の切り離し」といった戦略。

たとえば「少子化問題」。
「人口が右肩上がりで増え続けることを想定したビジネスモデル以外の生存戦略はありえない」と信じている人間の脳内だけに「少子化問題」は存在する。
「現行のシステム」を不可疑の前件にしてそのうえで考えるから、人口減は「少子化問題」に見えるだけである。

前件を変えれば、人口減は「問題」ではなく、「ソリューション」である。
環境への負荷や食糧自給の観点から見れば、人口減は「最適ソリューション」以外の何ものでもない。どう考えても、地球上に65億も人間がひしめいているのは「種として」危機的な徴候だからである。

「自分の食べる分のパン」の量をあらかじめ決めており、それを「神聖不可侵」の権利だと思っている人間の眼にだけ、市場の縮小は危機的なものに見える。
「一度生活レベルを上げると下げることはできない」というのは資本主義が消費者の無意識に刷り込み続けてきた「妄想」である。


意見は色々あるかと思います。今さら鎖国するわけにもいかないでしょうし、グローバル化した世界の中で、そんなの単なるアンチテーゼではあっても、現実問題として通用するのか、とも思えます。

ただ、自分の子供たちの未来を考えるとき、
今のままの枠組み(社会システム)を続けたときに、進展著しい中国や東南アジアに出稼ぎに行かざるを得ないような状況がくるのでは、との不安がよぎったりもします。

100階建てのビルを作るのが夢だと言っていた下の子が、こないだ、農家するのもおもしろそ~と言ってました。
うえの子は、総理大臣にでもなるか、って冗談めかして言ってました。

あんまり、ブログには書きませんが、かみさん含めて、
うちでは、日本の将来についてはよく話題に上がるので、未来について感じるところが色々あるのかもしれません。

バブルやリーマンショックを経ても、なお残る過去の成功体験、右肩上がりを前提としたモデルは、そろそろ曲がり角、見直すべき時期が来ているように思えます。
企業の決算情報開示といったIR活動もそうですが、アメリカ的グローバリズムはあまりに短期的志向に過ぎて、
問題によっては、国家10年の計のような視点を欠いた、目先の損得や利害調整に傾きすぎのようにも思えます。

狭い了見にとらわれない見識を磨く意味でも、ダウンサイジングという観点もあり得る。
成長して肥大化するばかりでは、何もかもメタボになってしまう。

邪悪なものの鎮め方 (木星叢書)
内田 樹
バジリコ

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