つまらない悪戯だったが、
fbで話の流れで調子に乗って変装してみて、哲学的考察に至った。
禿頭礼讃 | |
フィリップ エリアキム | |
河出書房新社 |
図書館でちら読みしただけなのだが、ブルース ウィルスの言葉の意味が少しわかったような気がした。
~ 「神は、人間をより謙虚にするために禿げ頭を作ったのだ」(ブルース ウィルス)
おじさんであること、おじさんになってゆくこと、を積極的に受け入れようと思っているのだが、
禿頭には至っていないし、中途半端で未熟で、どこか格好をつけたみっともない人間にしか見えんのだろうなと思う。
しかし、いつまでもどこか格好をつけた人間でいたいなぁとも思う。(それが美学というものではないか。)
fbをやっている方は分かると思うが、投稿のたびにプロフィール写真が出現する。
再現すると、こんな感じである。
▲%!$$?
\&&▲□%%■$$!!!
何を言っても説得力を持たないような気がした。このヘンなおじさんは何を言ってるのだろう。
言えば言うだけ、自分でも気持ちがいいとは言えない写真がズラリと並ぶ。なるほど、face bookだ、顔がものをいう。
そうこうするうちに、おじさんはダンマリするしかないかなぁ~という想いに至る。
"沈黙は金なり。"
~ 人の投稿にコメントしてもイチイチ顔が現れる。もう見たくないよ~、って思っても。。
~ 自分がそうなのだから、人もそうにちがいない。これはいわゆるハタ迷惑なのかもしれないから、黙っていよう。
おじさんになることは、男性ホルモンとの闘いでもある。
男性ホルモンはいくら働いても、近頃の風潮にはそぐわない。
あつくるしいとは思われても、ありがたいとは、あまり思われない。
これでは働き甲斐がない。
しかし、働き損を働き損と思っているようではうまく付き合っていけない。
自分のうちに、あんまり有難くないものを抱えざるを得ない時、
どうやってうまく折り合いをつけてやっていくか、その術を身につけていくものだと思う。
病や老いもそうなのだと思う。
カトちゃんおじさんなら、まだファニーかもしれないが、現実はもっと容赦がない。
そんな男性ホルモンと闘い、それなりに折り合いをつけているおじさんは偉い。
(キレイなおねえさんが集める羨望のまなざしと同じくらいに、尊敬されてしかるべきだ。)
おじさんになることは父を見ることでもある。
冗談にしか聞こえないかもしれないが、なかなかに、深くて豊潤なことなのだと思う。
( ↓ ) ジョージは変化を受け容れて、変化し続ける人だった。
晩年の老い方に至るまで、どこか手本にしたくなるような。
(晩年はがんとも闘っていた。)
謙虚なのだが、静かに闘っている。闘っているのに静かで謙虚だ。
George Harrison: Living In The Material World Tribute
E調の歌ですみませぬ。
George Harrisoparts:eNozsDJkhAMmJhMjUyZjU2NGJgszSyPTNEsLQ2MnbwP/EJOASgMmGDA2xS4P1czEhKQSAItVDcY=]
↑両方とも埋め込み無効になってるよー
おう、そちらにご勤務だったのね~
だ、だいじーぶですか!
そなこすぷれ
ブログともつなげてないし。
まぁ、頼まれたら女装でもやってしまうくらいですから、これ位なら。(>_<)
高校同期限定グループでfbは再開しましたが、プロフィール写真はコントロールきいてないから、今日もとにもどしました。
(´・_・`)
このブロマイドみるたびに、くっくっくって笑える。
それってすごい究極の癒しですよ~
敗北を認めたくないが、敗北の手前の淵で迷い、静かに闘う、
そのような感性は慈しむべきものです。
勝つも戦、負けるも戦、だろうのに、
ネットにはどちらかというと勝ち戦的体験が並んでいるようにも思います。
誰だって勝ちたいし、自慢したいし、敗北を認めずに頑張っている健気さもまた素晴らしいのですが、
飾らずに、負けそう、困った~とさりげなく言えることは素晴らしい、ひとに勇気を与えます。
おじさんは、そういうひとを応援したくなります。
でも当のおじさんが迷っていて、負けそう~で、おまけにこのような姿で、困ったものですけど。
でもゴルフィーさんの応援を頂けるなんて、私の方こそ勇気100倍だす~
ぼくはそのうちすぐにボケナス還りをしますから、ときどき遠くで叱ってください。(*^^*)