ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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座右の言葉たち~負けない、ということ・その2

2009年10月18日 | 読書ノート
ゴルフでwordingの効果を感じています。
本を読んだりして、気になるフレージングを書きとめて、馴染むまで何度も目を通せるようにしておくことは、とても有益に思えます。

最近も、鳥越俊太郎さんの指摘に、ハッとしました。
 " 日本人は、春夏秋冬を人生だと思っている。
  歳とともに考え方も服装も生きていること自体もグレーだと感じるようになる。
  人生そのものまでが四季の移ろいと同じだと信じ込んで、
  いや信じ込まされている。"

そして、巡り合った、桜井章一さんの言葉の数々、パート2です。
勝間和代さんの「読書進化論」(http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/8cd91ed10ab8ad9f75142a9580524b19)に、
人を進化させる読書がある、という章があります。
桜井章一さんの本は、まさにそんな感じ、
・負けない気持ちを強化する新しいフレームワークを疑似体験し、
・負けない技術や知恵を、タグ付けして頭の中に格納し、
・読書の中だけに体験を閉じない、
ようにしておきたい大切なフレーズが、1冊に1フレーズどころか山のようにありました。

その1では、主に第一章「負けないは勝つより難しい」から抜書きしました。
その2では、第二章「負けないための技術」から感じ入ったところを書き出してみます。

<スルーする感覚で強くなる>
 いいものは自分の中に留めておきたいものだが、溜めこむと囚われが起こるのでスルーする。
 悪いものも、放り投げたり、無視したりせず、スルーしてその存在を確かめる。
 " まあ、とりあえず全部受けときましょうか"、
 そんな感覚で私はものごとをスルーしている。
 たとえるなら、一度自分の中に通してから後ろに抜いていくような感覚
 自分だけでなく、他人の中でスルーができるようになると、さまざまなことに気づくようになる。

<シンプルさには無駄な動きがなく、スピードが加味されて最大限の力になる> 
 簡単なことは簡単。
 複雑なことは高等なこと、賢いことだと多くの人が思っている
 複雑にすることで知識が広がり、力も伸びるという教育を受けて育ってきた、
 思考の癖(くせ)から逃れられないでいる。

<チャンスというのは居場所を求めて常にうろうろと動き回っている>
 チャンスだけでなく、運も、勝ち負けも、すべてが動き回っている。
 チャンスは自ら掴み取るもの、というが、チャンスはみんなすでに掴んでいる。
 ほんの一瞬、あなたにペタッとくっついてくるチャンスを、どう感じ取り、活用するかにかかっている。

<勝機というチャンスに合わせていくこと>
 努力や忍耐だけで勝機を呼び込むことはできず、
 流れを読む力や、その人の素質、勝機との相性も密接に関係してくる。

 勝機との相性とは、訪れた勝機と自分が、合っているかどうかということ。
 合っていなければ、それは勝機ではなく、ただの"機"になってしまう。
 だから勝機と合わないときには、「どうやったら、合うようになるのか」を模索していく。
 さもないと、勝機を多く導くことはできない。
 目の前に子供がいたら子供に合わせる。年寄りがいたら年寄りに合わせる。
 いろんなことへの" 合わせ方"が必要なのだ。 そういうことを全部やっていないと、勝機というものに数多く当たることはできない。

<合わせる、とは。>
 先入観や思い込み、固定観念を捨てて、素の状態でみること。
 (海に潜って、岩場などに同化して隠れているタコやヒラメを見つけるのが得意な桜井さんは、
  目で見るというより、素の状態を感じるから、存在がわかるのだ、と言っています。)
 素の状態を感じるとは、その場その場に合わせる、ということ。
 なにも八方美人になれと言ってるのではない。そこにあるのは打算であって自然の流れは存在しない。
 都合のいいもの、悪いものを含めて、場に合わせること、
  を日々やっていると、 素の状態でものごとを判断できるようになる。

<勝負の流れ>
 勝負の流れには、正しいものもあれば間違ったものもある。
 常に正しいことをしていれば、ちゃんと流れに乗れるというほど、勝負は単純なものではない。
 それが"正しい流れ"なら正着(せいちゃく)を打っていれば流れに乗れる。 
 " 間違いの流れ "が起こっているときには、
 間違いの手や悪い手を打ったほうがいい結果になることがある。

 でも、そういった場面では、悪い手を使って勝ちに行くのではなく、あえて敗者になったほうがいい。
 間違いの流れに悪い手で乗ってしまうと、正しい流れが来たときに合わせられなくなってしまう。
 いかに正しい流れに合わせられるか、が自分の力の試しどころ、
 間違いの流れに乗ってはいけない。
 それが、負けないことにつながっていく

<軸の立った人>
 "動"から始まる動き。
 動の中に起こっていることを俯瞰して見ることができる"静"。
 それを超えたところにある"流れ"。

 風や雲、川を見ていれば、自然の流れを感じることができる。
 それと同じような流れの感覚を自分の中に見つけていけば、
 おのずと、流れを感じる、「軸の立った人」になる。


 木を見たときにどこに軸を感じるだろうか。
 木の幹の部分に軸を感じるのは、人間の主観でしかない。
 (素の状態で見ていないということ。) 
 木は幹がしっかりしているから立っているのではなく、
 大地の中にしっかりと根を張っているから立っている。

 軸というと、まっすぐ一本に伸びていくものをイメージするが、そうではない。
 軸には形やサイズはなく、広がっていく。 その広がりが無限の可能性を生む。

<気づきの度量が広がっていけば感覚も磨かれていく>
 多くのことを感じ、気づけるようになるためには、
 人間関係以外のところから、 ありのままの自然界から気づいていくことが一番いい。
 大自然の中でなくてもいい。
 街中を吹き抜ける風から天候の変化に気づく、
 道端に咲く一輪の花に季節を感じ、気づく。

 自然と本能の相互作用で感覚を磨いていくと、
 人は元気や勇気など、さまざまな気を自分の中に持つようになる。
 多彩な気を持っている人は、やがて気遣いのできる人間になるもの。
 勝負というものは常に変化している。
 自分の方程式にこだわっているとついていけなくなってしまう。
 固定観念をその都度消し去り、
 何がどう変わっていくのか、 気づくことができる人は、流れの変化に合わせていける。

※ おぼろげな記憶しか残っていませんが、昔読んだ、宮本武蔵の五輪書に通じるものを感じます。
  的を射抜くように言い得ることは難しくても、
  流れや気、といったものの存在は、多くの人が感じるところ。
  ならば、単なる好奇心や興味だけでなく、愚直にその感覚を磨くことをそろそろ始めてもよいのでは、と思いました。
  軸の立った人、というフレーズは新しかった。
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