ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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クレシェンドの瞬間は教えることができない

2012年11月10日 | ツールとしての音楽

14歳の頃、父の友人に買ってもらったベートーベンのバイオリン協奏曲のレコードが、バレンボイムのものでした。
(まだ14歳の子どもだった。 今はもっと子どもだけどね。(笑)) 

” 次の音を念じていると、本当にクレシェンドになるんだ。"

" クレシェンドの魔術を欲するなら、どうにかしようと欲することだ。"

日常を忘れられるほどのクレシェンドの瞬間を教わることはできない。

しかし知識と感性を結集すれば、意志( will )を持てば、どうにかなるのか。

若いlang lang(大切なのは、まず「身体を割る」ことなのだ。)を交えて熱く語るバレンボイムさん、齢を重ねた方の口から語られる言葉には何かがある、と思う。

Barenboim talks about music

 

音楽と人間と宇宙~世界の共鳴を科学する~
エレナ・マネス

ヤマハミュージックメディア

この本のなかでも、バレンボイム氏の言葉が引用されています。

私たちはきわめて視覚的な社会に暮らしているので、耳から入る情報よりも、目から入る情報に意識がいってしまう。
しかし、人は生まれるまで何も見えないが、耳は子宮の中でも聞こえていて、目より一歩先にスタートを切っている。
さらに、目は耳と比べてコントロールしやすい器官だが、耳はそうはいかない。
"私の外見が気に入らなければ 目を閉じれば私の姿は消えます。
でも私の声が好きでなかったとしても耳は自然に閉じることはできません。
音は人間の身体に浸透するのです。”

視覚体験に依存しない、共感覚とも呼ばれる世界(共感覚 ~ food for thought♪)、
地球上のすべてのものは振動するから 音楽体験(耳体験)は人間の生理機能との結びつきが強い、というのは真実かもしれない。

バレンボイムさんの言葉、おもしろいので続けます。

依存というのは一つが上にいる限り、下にいるものが出てくるから否定的なものだ。
自分は完全に独立していると考える一つの声は、こう言う。
「私は独立している。私はひとりだ。
 私はメロディだ。
 私はリズムを気にしない、そんなのどうだっていい。」
依存と独立、その二つの間に第三の方法がある。
伴奏もなくひとつの楽器で演奏されるひとつのメロディでさえ、それ自身と対話している。

最後にミッキー ハート氏の言葉を引用しておきます。
クオンタム理論にも似ている。(内的リズムと外的リズムを同調させること~同期現象(引き込み)について
この本でも場の量子論が引き合いに出されているが、その辺りにはまだまだ解明されていない領域が沢山ありそうだ。
人間は光のようなものではないか ~ ゴルフィー仮説(多次元境界仮説)

~ きみたちはリズムの世界にいる多次元的な振動体だ。リズムがいいと何でもうまくいく。
  この最高のリズムが生み出す最高の感覚を受け止めて、それで何かいいことをしてくれ。
  子どもを抱きしめろ。親切になれ。
  音楽は素晴らしいもの、魔法だ。

ミッキーハートではないが、ジャンプするエルトンを。
花嫁にキスはあんまりいいことでもなさそだけど.
Elton John - Kiss The Bride (Night Time Concert, 1984)

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