戦後初の三冠王で南海(現ソフトバンク)、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也さんが11日に84歳で逝去した。
解説者時代はユーモアたっぷりの好好爺イメージが前面に出ていたが、筆者の世代では「ささやき戦術」「ぼやき」「野村再生工場」などの表現が浮かぶ。
さらに、故・沙知代夫人とのエピソード抜きでは氏の人生を語ることは不可能だ。
実のところを言えば、野村克也さんの波乱万丈人生をつぶさに知っていたわけではない。 そんな自分でも訃報に接して絶句してしまった。
第一報は家人からの下記メールだった。
「僕にとって一大事です。 元南海、野村監督死去享年84歳」
正確にはとうに監督でなかったけれど、生涯において名選手であり、”人を遺すを上とする”監督すなわち指導者であった。
沙知代夫人が亡くなった直後の憔悴ぶりが酷かったノムさん、少しばかりその後に元気を取り戻したかに見えたのは、育てた人達に囲まれて心の安らぎと喜びを得たからか。
心より御冥福をお祈りいたします。