日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

皇太子さま どうか親孝行を

2008-02-16 22:59:06 | Weblog
《皇太子さまに長官苦言 「両陛下と愛子さま会う機会を」》(2008年02月13日23時50分)というasahi.comの見出しが目を引いた。

《皇太子さまは昨年2月の会見で「(長女・愛子さまが)両陛下とお会いする機会を作っていきたい」と発言したが、実際に会う回数は増えていないと述べ、「発言なされたからには実行を伴っていただきたい」と話した。 》というのがその趣旨である。そして続く。

《長官によれば、現・天皇陛下が皇太子時代には、昭和天皇のもとを毎週1回訪問するのが定例とされていた。しかし、現在は皇太子さまの発意による訪問は年2、3回にとどまり、昨年も増えていないという。長官は「追及するような話ではない」とし、「殿下ご自身が会見で発言されたことなので、大切になさっていただきたい」と繰り返した。》

皇太子が自らの発意での訪問が年に2、3回とは正直驚いた。皇居と東宮御所はいわば目と鼻の先ではないか。毎週1回のご訪問は忙しいとしても、月1回、皇居に上がるぐらいは苦になるまい。「月参り」である。愛子内親王にお会いになるのを楽しみにしておられる両陛下のお心を思い、喜ばして差し上げようという気持ちになるのが子として自然だろうと思うのに、なにかそれを妨げている事情があるのだろうか。

原武史著「昭和天皇」(岩波新書)には昭和天皇と母親である貞明皇太后との確執の話が出てくる。昭和天皇が皇太子時代のこと、大正天皇の代役を果たさずに祭祀をおろそかにしているように見える、と貞明皇后が苦言を呈されているのである。そういうことからお二人の間がぎくしゃくして、その関係が戦後まで続いていたというから宿痾のようなものである。だからと言うわけではないが、今上天皇と皇太子の間の確執が私は以前から気になっていた。皇太子のかっての「人格否定発言」に対して、今上天皇が《「初めて聞く内容で大変驚き、『動き』という重い言葉を伴った発言であったため国民への説明を求めました」「皇太子夫妻の独立性を重んじてきたことが、様々な問題に気が付くことのできない要因を作っていたのだとすれば大変残念です。」「まだ私に十分に理解しきれぬところがあり、細かい言及は控えたいと思います。」 》(「ウィキペディア」から)とわざわざ文書で述べられたことはきわめて異例で、天皇と皇太子の間のコミュニケーションの欠如がここにまざまざと現れているからである。

この確執を生み出した一因が皇太子妃のご不例と深い関係があるように私は憶測するが、皇室の動静に人並みの関心を持っている私の情報源と言えば新聞に踊る女性週刊誌の広告見出しに尽きるので、皇太子妃に対する私のイメージを作りようがない。私の知ることと言えば皇太子妃が宮中の儀式に参加されることもまれで、何らかのイベントでも国民の前に姿をほとんど現されないと言うことぐらいである。皇太子ご夫妻の存在感が希薄になることは皇室の将来にも大きな影響があるのでは、と私は思うが、いずれ今の若い世代がその答えを出すことだろう。しかしそれは先の話で、当面は皇太子皇太子妃両殿下が天皇皇后両陛下に孝養を尽くされることを祈念するのみである。皇太子は「人格否定発言」の余波を受けて「人それぞれに考え方は異なりますし、また、どこの家庭でも同じように、世代間に考え方の相違はあると思います。しかし、そういったことは話し合いを続けることによって、おのずと理解が深まるものと考えます」と語っておられる。ここで言われた「話し合いを続けること」が行われていなかったからこそ、今回の宮内庁長官の発言になったのであろうと私は思う。やがては日本国の象徴とも日本国統合の象徴ともなられる方に言葉の重みを噛みしめていただきたいものである。

つい年齢丸出しでものを言ってしまったが、私はかって思いがけないところで皇太子にお目にかかったことがある。

1991年の初秋、私はHelsinki大学の仕事仲間に招かれてHelsinkiに1週間ほど滞在してから今度はLondonに飛び、London大学King's Collegeの友人を訪問した。共同研究の打ち合わせである。ホテルを出てHolland Parkを通り抜けてからKing's College Londonに行くことにして公園に近づくとなんと日の丸の旗を手にした人々が三々五々目についた。その理由を尋ねたら、日本の皇太子がお見えになるのでその歓迎に行くのだという返事が戻ってきた。そうなると野次馬根性が頭をもたげてきて、幸い時間もあったので私も皇太子をお迎えすることにしたのである。

Japan Festivalという催しが開かれており、それに合わせてかねてから造築を進めてきた日本庭園がHolland Parkの中に出来上がり、その落成式に日本の皇太子がチャールズ皇太子とともに来賓として出席されたのである。招待客しか式場には入場できなかったので離れたところからセレモニーを眺めていたが、やがて参列者が動き始めたので私もその方向に動いた。すると先に日の丸の小旗を立てた車が停まっている。皇太子の御料車だったのである。車の反対側に回るように指示されたのでそこで待ち受けていると両皇太子がやってこられた。お二人が挨拶を交わされ、皇太子が車に乗り込まれルまでの一部始終を車の幅だけ離れたところから背伸びをして眺めていた。車高が高かったのでカメラを腕を伸ばして持ち上げて当てずっぽにシャッターを切ったのを覚えている。





ともに皇太子妃のことでやがて重荷を背負われることになるお二人がまだその運命をご存じでない頃の一齣である。