日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

三十年前の大学院女子学生 まさに「後生畏るべし」

2008-02-11 19:55:58 | 学問・教育・研究
この冬はじめて激しく雪が降りしきる三連休の初日(2月9日)、ほぼ三十年ぶりに二人の女性と待ち合わせて昼食をともにした。二人の女性とは私が大学助手をしている頃の大学院女子学生である。その一人はかって私のブログに登場して貰ったことがある現役の大学教授で、もう一人はさる大手製薬会社の研究所でグループリーダーを務めている研究員である。その頃は同じ研究室に所属していたが、私が直接に研究指導をしていたわけではなく、教官の一人として何やかや口を挟んでいたのだろ。口幅ったく言えば、私が勝手に人生指南役を買って出ていたのかも知れない。それがこのたび、とあるきっかけから連絡を取り合って再会の運びとなったのである。

待ち合わせの場所ではすぐに分かった。私は大きく変貌していただろうが、彼女たちは人生の花盛りで成熟した女性の落ち着きを漂わせているものの、顔つきにそのころの面影がはっきりと認められた。しかし、人間としての中身が大きく変わっていることをやがて否応なしに実感させられたのである。

教育や研究の現場でまさに働き盛りの日々を送っている彼女たちの生き生きとした話に耳を傾けていると、仕事から離れて10年にもなる私の中に眠っていたあるものが刺激で目を覚ましたのだろうか、いつの間にか私も多弁になっていた。それにしても30年という時の流れは大きい。あのときの初々しい女子院生が今やそれぞれの世界で人の上に立ち、人を引っ張っていくという社会で必要欠くべからざるリーダーになっているのである。偉くなったんだなあというのが率直な思いであった。

人間が成長するのは当たり前のことである。その当たり前のことに何を感心しているのだろうと言われるかも知れない。この30年間、もし彼女らと年に一度でも何らかの会合で顔を合わせておれば、お互いの成長というか変化が自然と頭の中にたたみ込まれて、それに合わせてつきあい方も次第に変わっていったことだろう。それがなかったからこその私の反応であったと言える。そして、私が京都に移ってから毎年講義を始めるのに先立って、学生たちに「後生畏るべし」という言葉を説いていたことを思い出したのである。

「後生畏るべし」とは論語の中に出てくる孔子の言葉にある。宮崎市定著「論語の新研究」(岩波書店、1974年)からそのところをコピーさせていただく。

227 子曰。後生可畏。焉知朱者之不如今也。四十五十而無聞焉。斯亦不足畏也已。
 (訓)子曰く、後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆるなきは、斯れ亦た畏るるに足らざるなり。
 (新)子曰く、若い學徒に大きな期待をもつべきだ。どうして後輩がいつまでも先輩に及ばないでいるものか。併し四十歳、五十歳になって芽のふかぬ者には、もう期待するのは無理だろう。
 後生は単なる若者ではない。先生に對する後生であって、學間に従事する後輩であろう。

ここにも宮崎氏の意訳があるが、「後生畏るべし」のところだけをたとえば日本国語大辞典(小学館、初版)は、「後から生まれてくる者は、これからどれほどの力量を示すかはかり知れないから、おそれなければならない」と説明している。この言葉を説明することで私の学生に対する姿勢を述べたのであるが、それと同時に、だからあなた達も紳士淑女として振る舞って欲しい、と付け加えるのであった。学生たちはまじめな受講態度で私の期待に応えてくれたと思うが、このたび30年前の女子院生に再会して、孔子のこの言葉が今にも当てはまることに自信を深めたのである。

ビルの10階にあるガラス張りのフレンチレストランの外は音もなく雪が降りしきって、視界も閉ざされるほどである。ご婦人方を雪女か鶴の化身かと勝手な空想をも楽しんでいた。