私が理学部の学生であった頃、遺伝学の講義は医学部の教室であった。遺伝の教授が理学部と医学部を兼任していたからであろう。その頃の遺伝学と云えばいわゆるメンデル遺伝学であり私も1000ページを超える田中義麿著「遺伝学」を『座右の書』としていた。いっぽう世間ではルイセンコ学説とかミチューリン農法とかのソ連直輸入の『反メンデル遺伝学』も喧伝されてイデオロギー合戦も華やかだった頃でもある。
この教授は実験材料に蚕やショウジョウバエを選び、実験手段に生化学的手法を取り入れるなどして遺伝学の実験室レベルでの研究に新機軸を出した方である。助教授も当時封切りされた山本冨士子主演の映画「夜の河」のモデルだとかで、注目を集める研究室であった。この教授は研究の最新結果なども講義で紹介されるものだから学生の間にも人気が高く、その極めつけは金属が髪の毛の色を決めるという説であった。本物ではなかろうが「このマリリンモンローの金髪は・・・」と金髪を手にとって学生に示し、この色は○○○(金属名)があるからだ、と仰る。赤毛は△△△で、と続くのであった。
ところがある日衝撃が走った。この実験がまったくのでっち上げだったというのである。われわれ学生は声を低めて憶測を交わし合った。同級生の一人が卒業実験でその教室に所属しており最も頼りになるニュース源であったが、新入りの学生風情に真相が伝わってくるはずもない。せいぜい分かったことは実験をしていたのは教授、助教授、講師、助手と云った大学の正規の身分でない人で、その人がなんだかおかしくて、ムニャムニャ・・・で終わりであった。
この事件がその当時の新聞に報道されたのかどうか私の記憶にはない。『ハイエナ』のごときマスメディアがまだ存在しなかった頃だから世間で知る人は限られていただろう。この捏造事件がどのように処理されたのか、関係者が処分されるようなことがあったのかどうか、私の記憶には何一つ残っていない。考えてみれば平和な時代であった。
ほぼ半世紀を経て今回の『論文捏造事件』が世間で大きく取り沙汰されるようになった分だけは進歩かとも思うが、大阪大学医学部に平和ぼけというか『社会的責任意識の欠如』が続いていることだけは間違いない。今回の処分を含めた対応がそれを如実に示している。
「夜の河」の主人公、舟木きわにモデルが居ることは、「跡 続カメラ京ある記」(朝日新聞京都支局編、淡交新新社刊、1961年)で読んで知って居たのですが。大阪大学教授竹村幸雄にもモデルがいたと云うお話に出会って、大変驚きました。
映画の中で竹村教授は、旧制第三高等学校の同窓会
に出席するのですが、その辺りもモデルの学歴に
習っているのでしょうか?
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