日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

英国の友人夫妻との二日間 広島原爆資料館 厳島神社 北淡震災記念公園 すき焼き

2010-06-13 22:44:57 | 旅行・ぶらぶら歩き
かっての仕事仲間で友人でもある英国人が会議で京都にやってきた。皇太子さま どうか親孝行をの中で「London大学King's Collegeの友人を訪問した。共同研究の打ち合わせである」と述べたことがあるが、その友人である。二回ほど自分で試料を持って京都の研究室までやって来て、私の考案による当時世界で一台しかないユニークな装置を使って一緒に実験をし、何編かの論文にまとめたものである。現在はSheffieldで研究をすすめているが、その彼が夫婦でやって来た。六年ぶりの再会である。

11日は京都から新幹線のぞみに乗った彼らと打ち合わせどうり新神戸で合流、と言っても自由席の別々の車両に乗ったのか車両内を見回した限り見つからない。車上で、でなければ広島駅の降りたプラットフォームで、と取り決めていたのでそのまま広島に向かった。後で聞くと彼らは3号車でに乗っていて、私たちが2号車に乗り込む後ろ姿を見て安心したそうである。


広島駅からタクシーに乗って原爆ドームに行き、原爆死没者慰霊碑を訪れて改めて碑文の「過ちは繰返しませぬから」にしっくりしないものを感じた。何故か、を以前に述べたことがある。「あなごめし」の昼食を済ませて広島原爆資料館に向かう。すべての展示とそれに添えられた英文の説明書を丹念に読んで行くものだから私は時々失礼して椅子に腰をかけたりしていた。彼女が特に関心を持ったのは、何故広島が原爆投下地として選ばれたか、ということであった。と言うのも彼女の父親は軍人で戦争中日本軍の捕虜となり、仙台にある捕虜収容所に入れられていたのである。そのようなこともあってか、彼女は日本に対して複雑な思いを持っていたようであるが、6年前に私たちと数日過ごし、また日本を旅行して回って日本に対する見方をが変わったとは後で聞いた話である。原爆投下地として候補に上った三箇所のうち、広島だけが捕虜収容所の無いことから最初の候補に選ばれたということを説明文で知り、納得したようであった。原爆資料館で2時間はたっぷりと費やしたがまだ日は高い。タクシーで広島駅に戻り今度はJRで宮島口に向かい、フェリーで宮島に渡った。


ちょうど大潮の干潮時に出くわしたものだから厳島神社の大鳥居の周辺は干潟になり、参拝客が歩いて鳥居まで行っている。私たちもそれに加わった。私自身厳島神社を訪れたのは今回が初めてなので、こういう機会を彼らに与えられたことになる。ところが彼らにとって厳島神社はガイドブックを見ただけでは行こうと思うような対象では無かったようである。しかし風光明媚なことと厳島神社の朱色のたたずまいは印象的だったようで、昔ながらの機械式ライカを愛用している彼には大鳥居などはよい被写体であった。一方、彼女がめざとく見つけたのが後白河法皇行幸松(遺木)のひび割れの隙間に硬貨が押し込まれていたことだった。Sheffieldの家は築230年で、その頑丈な梁のひび割れに古い硬貨が沢山埋め込まれているとのことで、似たような風習?に興奮していた。再び広島駅に戻り新幹線で帰途につく。私たちは新神戸で降り京都に向かう彼らを見送った。後で聞くと、私たちと入れ替えに新神戸から乗り込んだ日本人夫婦の男性が横に座り、彼らが話し合っているの聞いて英国人と見当をつけて話しかけてきたそうである。その男性はかってロンドン大学に留学していたとのこと。すでに京大を退職しているが、神経科学?の会議を神戸で開くための相談に神戸を訪れ、京都に帰るところであったそうである。旅での思いがけない出会いを喜んでいた。

二日目の12日は正午に在来線で神戸駅まで来てもらい、車で明石大橋を渡って北淡震災記念公園を訪れた。英国ではいわゆる地震はなくて、あっても弱いtremorであると言っていた。辞書で引くと「弱い地震」とある。断層のずれの大きさと地震の規模との関連が今ひとつ飲み込めないようであったが、震災体験室で震度7と余震震度4の揺れを体験して言葉を失っていた。わが家に戻ってきたのはもう4時で、あとはのんびりと寛いでいただくことにした。

Sheffieldは鉄鋼業の栄えた都市だとのこと、だから戦争中はドイツ軍の空襲で大きな被害を受けたそうであるがあまり古い建物は少なく、被害を受けた大聖堂などもヨーロッパの他の都市、特にドイツの都市で行われたようなすっかり元の形に再建するようなことはされずに、すっかり新しい建築物となったようである。現在も金属加工業が主要産業で、刃物産業が栄えているとのことだった。ということでペーパーナイフをお土産に頂いたが、イギリスの言い伝えではナイフや鋏のような刃物をプレゼントとして人に贈ると、それまでに築き上げてこられたつながりが断ち切られるのだそうである。でも刃物が土地の名産品であるだけにどうしても人に上げたくなる。ではどうすればいいのかというと、一番安い値段で買い上げて貰うことにするそうである。そこで私も1円で譲っていただいた。これで目出度しめでたしである。お返しには夫婦がほぼ同じ背丈なので、二対がほぼ同じ長さになるような輪島塗の夫婦箸を選んでおいた。

すき焼きでもてなしたが、脂の多いいわゆる霜降りの肉と、肉質が多いもも肉とを用意した。見慣れていないと霜降りは異様で、脂を警戒する人にとっては敬遠したくなるような代物でもあるからだ。ところがそれがKobe beefなのかと聞くので(本当は何肉なのか知らないが)そうだと答えると、好みがそちらに集中するので驚いた。やはり美味しいものは美味しいということなのだろうか。

彼らと話していると英国人と話しているような気がしない。日本人と同じようなことを言うからである。仕事に就かずぶらぶらしている若者が多い。働く意欲が減退しているので徴兵制度を復活して社会への貢献を忘れないよう鍛え上げるべきだと過激なことを仰る。政変に国の借金もまたしかり、日本も英国病を患うぐらい成熟したということなのかと思ったりする。研究予算も厳しいらしいが、それでも今回の会議には研究室から女性研究者ばかり4人も連れてきて、と彼女が彼をからかうように言う。対抗意識を出すわけではないが、私も先日生野コリアンタウンを朝鮮語教室の女性4人と探訪した時の写真を見せた次第である。

彼はあと3年半すると定年ということなので、一弦琴を奏で庭にも案内したりして今の暮らしをいかに享受しているかを身を以て少しは示したつもりであるが、さあ、どのように伝わったことやら。時間があっというまに過ぎ9時になったので、地下鉄の駅まで歩き、JR三宮駅の新快速まで送り届けた。最初は三日間お付き合いをする予定にしていたが、今日13日ぐらいは二人でゆっくりしてもらった方がいいだろうと思い、その代わり昨夜は遅くまで引き留めたのであった。今日は梅雨入り初日で一日中雨であったが、休養にはちょうど良かったと思う。





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1 コメント

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Unknown (yy)
2010-09-03 22:13:15
広島駅から路面電車で原爆ドームに行けばよかったのに
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