日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

神戸女学院あれこれ

2010-10-21 18:44:23 | 昔話
昨日は内田樹さんの講演を聴きに、久しぶりに神戸女学院を訪れた。阪急電車宝塚線の門戸厄神駅で下車、表示に従っててくてく歩く。坂道に差し掛かり正門をくぐってキャンパスに入ると一挙に勾配が険しくなる。汗が思いっきりで始めたので、これはやばいと立ち止まってはシャツの下まで手を伸ばし、厚手のタオルで汗を拭った。この異常に暑かった夏、女子学生も同じようなことをしていたのだろうかとふと思う。私が以前ここを訪れたのは少なくとも30年以上も前のことである。今回が2回目の訪問になるが、前に来たときは駅からの距離が長いとか坂道が急だとか、そんなことは思っってもみなかったはずである。30数年の重みを感じた。

30数年前は図書館にやってきた。阪大にも無かった化学文献が、近いところでは神戸女学院にあることが分かり、電話したところどうぞおいで下さいとのことだったので、図書館を訪れたのである。簡単にコピーを取れる時代ではなかったので、要点を手書きで書き写したと思う。天井の高い広々とした閲覧室なのにほとんど人がおらず、こんなところで毎日時間を過ごせたら天国だな、と思った覚えがある。傘立てのような立派な陶器製の便器を男子トイレで見たときにあれっと思った。なんと、神戸元町にあるきんつばで有名な高砂屋の喫茶店(そのころは元町本通りから少し南に下がったところにあった)にあった便器と同じだったのである。

神戸女学院大学のホームページには次のような沿革が記されている。

1933(昭和8)年
西宮市岡田山キャンパスに移る。伝道者・建築家ヴォーリズによってスパニッシュ様式の校舎が完成。現在の文学館、理学館、図書館本館、音楽学部1号館、講堂・チャペルを含む総務館などは当初の建物。

図書館はあのヴォーリズの建物だったのである。なぜスパニッシュ様式なのかそれなりの謂われがあるのだろうが、その昔、米国のカリフォルニア大学サンタバーバラ校にいた頃に慣れ親しんだスペイン風の建物に街並みを今回も思い出して懐かしさを覚えた。

それにしてもキャンバスに緑豊かな自然が満ちあふれているのが印象深かった。この中を歩いているとまるで山砦を跋渉する思いがする。実に起伏が多いのである。こういうところで在学中に足腰を鍛え上げた女子学生は、やがては健康な赤ん坊をバンバンと産み落としてくれそうに思えた。そういえば昨日内田さんの講演を聴いたときにも、講堂の木製ベンチの間隔が狭く、否応なしに背筋をまっすぐに伸ばして坐らざるを得なかったことを思い出す。腰を鋳型にはめたように長時間直角に折り曲げていたので、講演が終わって立ち上がるのに往生したが、若い女子学生の姿勢を正す訓練にはもってこいである。彼女らが電車の座席に腰を下ろしている姿は、行儀の悪い若者の中にあって、さだめし異彩を放つことだろう。

そして神戸女学院にまつわる思い出はさらにさかのぼる。私が教養部の二回生で自治委員をしていたときに、文学部から女子学生が新入り委員として加わった(のだと思う)。自治委員はクラス単位の投票で選ばれていたから、なにか人目を引くところがあったのに違いない。その彼女が神戸女学院(高等部)出身ということで一躍注目を集め、私も「クノッソスの美女」なる美称を献じた。エーゲ海に栄えたミノス文明の遺跡がクレタ島に多く残るが、そのクノッソス地方から出土した陶器に描かれていた乙女の横顔が彼女のイメージにピッタリだったのである。幸い仲間の、と言っても五、六人であったが、賛同を得て彼女のことを秘かにそう呼ぶことになった。ところが夏休みを終えた頃だろうか、自治会室に衝撃が走った。「クノッソスの美女」が心中をはかり、彼女だけが絶命して相手は生き残ったというのである。動機の詮索などをはじめとして大騒ぎとなり、寄るとさわると侃々諤々、口角に泡を飛ばし合ったが、なかには「ほんまはわしに気があったんや」と言い出すものまで現れたりした。そういえば私も彼女と文学論議を何回か交わした覚えがある。文学部だから、というぐらいの理由だった。自治会でなければ接点が考えられないので、そうだったと今では思っているが、今や真実を確かめようがない。彼女がその後自治会室に姿を現すことはなかった。わが青春の一齣である。

こういう昔話を始めるとまた次が出てきそうなので、「昔話」というカテゴリーを新しく作ることにした。


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