日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「日本分子生物学会若手研究助成 富澤純一・桂子基金」のニュースを見て

2010-12-05 19:20:45 | 学問・教育・研究
今朝のasahi.comに次の記事があった。

生命科学担う若手に計1.5億円支援 大先輩の富澤さん

 日本の分子生物学の草分けであり、DNA複製の研究で数々の業績をあげた元国立遺伝学研究所所長の富澤純一さん(86)が、若い研究者の支援に役立ててほしいと、私財の1億5千万円を日本分子生物学会に寄贈した。同学会は基金を設立し、今後10年間、毎年5人に300万円ずつ贈る。

 名称は「日本分子生物学会若手研究助成 富澤純一・桂子基金」。今年1月に亡くなった妻桂子さんの名前も加えた。桂子さんは生前に「社会貢献ができたら」と口にしていた。「若い人が楽しんで研究して、新しいものを生み出してくれたら」と富澤さん。使い道は研究費に限らず、生活費にあててもいいという
(2010年12月5日0時54分)

私が1968年の秋、米国留学を終えて阪大理学部生物学科に帰任したときには富澤先生が遺伝学教室の教授として着任される前後であったように思う。当時私たち若手の仲間内で生物学教室の将来を担っていただける輝ける星としての期待を口にするものの多かったことが記憶にあるから、着任直前であったのかも知れない。

その頃の生物学教室では何かあるとワーキング・グループが作られて、教室運営にかかわる数々のことが論議されるのが常であった。その何かのワーキング・グループに着任間もない富澤先生と私も委員の一員として加わったことから、次第に忌憚なく意見を交わすようになった。しかし根っからの実験屋である富澤先生には、このような委員会での論議に時間を潰されることはきわめて苦痛であられたようで、そう言うことに私たち若手が巻き込まれることをも大いに危惧しておられた。その基本的姿勢に理念として私はまったく同感であったが、一方、戦後民主主義教育を受けた第一期生としては、教室の民主的運営に積極的に参加するすることが責務であるとの認識も持っていた。私の目には先生が直情的な方と映っていただけに、本音で話しができる手応えのある先生であった。上の記事の使い道は研究費に限らず、生活費にあててもいいというとのくだりりに、今、先生が目の前におられるように感じた。昔と変わらない若手に対する心遣いがひしひしと伝わって来たからである。

1960年代の終わりから70年代にかけて、大学は最悪の時期を迎えた。大学紛争の勃発と広がりである。理学部の建物が学生により封鎖され、もちろん研究はストップしてしまった。そして富澤先生が阪大、というより日本の大学、に見切りをつけて米国のNIHに移られたのを私は至極当然のことと受け止めた。その先生の消息にこのように接してなんだか嬉しい一日であった。


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