日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

磯崎憲一郎著「終の住処」を読んで

2009-08-16 18:58:37 | 読書
著者が現役の商社マンであることでも話題になったこの芥川賞受賞作品を読むために、文藝春秋九月特別号を買った。

これは読みづらい。1ページ上下2段、ほぼ36ページにわたって活字がびっしりと詰まっている。それでも目を通さなくちゃ、なんせ芥川賞である。ところが早々このようなくだりが現れる。

 新婚旅行のあいだじゅう、妻は不機嫌だった。彼はその理由を尋ねたが、妻は「別にいまに限って怒っているわけではない」といった。

やっぱり怒っているのである。でも夫でない赤の他人の私がこんな不条理の怒りになぜお付き合いをしないといけないのだ、と思った途端、一挙に読み続ける意欲が萎えてしまった。それでも先を追う。話はこの新婚時代から始まり、製薬会社に勤めている主人公の一代記が断片の積み重ねで進行する。

気まぐれな妻の不機嫌が狂言廻し。そういう状況を読者に納得させようと冒頭の不条理な叙述が必要であったようだ、と私なりに納得するが、十一年間妻と口を利かなかったという話も、そのような流れの語り口で出てくる。妻と口を利かなかった十一年の間に彼はけっきょく八人の女と付き合ったて、それなに? である。といって一人ひとりの付き合いの中身が語られるわけではない。そんな低級な覗き趣味の人はお呼びではない、とばかりに私はまたもはじき飛ばされる。

この小説を終わりまで読み通すことの出来る人は、どれくらいいるのだろう。さらにその中で面白かった、といえる人はまたどれくらいいるのだろう。このような「読み巧者」に面白みをじっくりと説き聞かせて貰うと私も開眼するかもしれないが、九人の選者による「芥川賞選評」を見ても、評価している選者の言葉は私には高踏的すぎてピンとこない。もっとも納得したのは高樹のぶ子さんの次の言葉だった。

 受賞作「終の住処」は、何十年もの歳月を短編に押し込み、その殆どを説明や記述で書いた。アジアの小説に良くみられる傾向だ。日本の短編はもっと進化しているはず。

作品はさておき、磯崎氏が商社マンとしてデトロイトに駐在して、世界最大の鉄鋼ユーザー相手に大きな商談をまとめたとあり、私も短期間ではあるがデトロイトで生活していたので、少し親近感を覚えた。さらに、磯崎氏の勤務する商社名を最近なにかで目にしたと思ったら、なんと、その会社案内の立派な冊子のイラストを表裏表紙も含めて私の次男が描かせてもらっているのである。もう余計なことは申しませんので、どうか息子をお引き立てのほどを。