日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

敗戦の日 玉音放送 朝鮮から持ち帰った飯盒

2009-08-15 20:44:09 | Weblog
世間では今日8月15日が「終戦記念日」として通用しているようであるが、私はこの言葉がしっくりこない、と言うよりごまかしのようで嫌いである。1941年12月8日、日本が米英二国に宣戦布告して大東亜戦争を始めたのは私が国民学校一年生の時であった。そして世界を相手に四年あまり戦争を戦い、結局戦争に負けて降伏したのが1945年8月15日なのである。この日は紛うことなく敗戦の日、終戦なんてそんな柔な言葉で語られる日ではない。戦争を始めそして負けることがどういうことなのか、昭和天皇の玉音放送のなかにもこのように出てくる。

加之(しかのみならず) 敵は新に残虐なる爆弾を使用して 頻に無辜を殺傷し惨害の及ぶ所 真に測るべからざるに至る 而も尚交戦を継続せむか 終に我が民族の滅亡を招来するのみならず 延て人類の文明をも破却すべし

原文は「玉音放送が流れた日」(学習出版社)で見ることが出来る。その部分を借用して掲載する。



戦争の恐ろしさ、そして空しさ。負けたものの身になってこそ一層こたえるというものだ。終戦、戦いが終わって即平和、なんて。怖かったことに、怖いことに、ただ目を瞑るだけのものである。戦争の悲惨さを絶対に忘れない。それこそが平和の大切さを心の底から願う原動力になる。その戦争の悲惨さを骨身に染みこませた世代が次第に消えていく。終戦という誤魔化しのことばにますます煽られて。

日本が戦争を始めてそして負け、戦争の愚を思い知らされた敗戦の日、となぜこの8月15日を呼ばないのだろう。それを終戦記念日なんて言われると、少なくとも私はおちょくられているような気になる。

今日の朝日朝刊に中国大陸からともに引き揚げてきて、その後の生活をも支えたすき焼き鍋の話が紹介されていた。わが家にあるのは飯盒である。在朝日本人の回想 引き揚げ船「こがね丸」でで述べたことであるが、引き上げの途中、引き揚げ船から紐でたらし、海水を汲み上げてご飯を炊いたその飯盒である。


お寺さんがわが家に月参りで来られるときは、母はこの飯盒でご飯を炊いて仏さんにお供えしていた。吊り手もガスの炎で焼き切れてしまった。今も妻がその習いを引き継ぎ、お下がりを雑炊などにしていただく。そしてこの飯盒にまつわるあれやこれやのエピソードを反芻する。戦争の愚かさを忘れないために。