久間防衛相の大臣辞任は、久しぶりに政治家の言葉の重みを世間に知らせた出来事であった。参議院選直前という時期でなければ、との思いが久間氏にあることだろう。
久間氏がいったいどのような主旨で開かれた講演会で話したのか知りたくて調べたところ、「麗澤オープンカレッジ メールマガジン」(2007.6.1.Fri Vol.34)に以下の記事が出ていた。
◇研究センター主催 セミナーのご案内(無料)―――――――――◆
□比較文明文化研究センター
第3回比文研セミナー
日 時:6月30日(土)10:00~12:00(9:30開場)
場 所:麗澤大学校舎 1号棟6階 1503教室
講 師:久間 章生 氏(防衛大臣)
先 着:80名
■参加費:無料
■申込先:事前のお申し込みが必要です。
麗澤大学研究支援担当
聴衆80名とはごくこぢんまりした集まりで、今日も講演の場面が放映されるテレビ画面を注目していたら、黒板のある教室で久間氏が教壇に登り、年配の方々を相手に話をされていた。考えてみれば一国の防衛大臣の話を、このように差し向かいで聞くことができるとは、なんと贅沢なことだろう。久間氏も一人一人に語りかけるように話をされたのではないだろうか。私は7月1日のエントリーで《防衛大臣という要職にある方としては、発言の及ぼす影響への配慮が足りないという点で想像力の欠如が明白であると云える。大臣の品格を取り沙汰されても致し方あるまい。》と述べたが、ここで「比較文明文化研究センター」主催セミナーの文字が私の注目を惹いた。その認識の是非はともかく、「アメリカの側に立てばこうであった」と、話が出ても不思議ではないな、と感じたからである。とすれば久間氏が「説明が足りなかった」といわれたのも、それなりの意味を持つが、いずれにせよマスメディアに煽られた世論の「イケイケドンドン」の勢いを読み切れなかったのは政治家として悔やまれることであろう。
ところで、久間氏の『しょうがない発言』問題に触発されて取り上げたいのが、私にとって意味不明瞭の広島原爆慰霊碑碑文である。
安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませぬから
「安らかに眠って下さい」の意味は明瞭である。問題はそれに続く「過ちは繰返しませぬから」の部分である。主語が見えない。主語を必ずしも明示しないのは日本語の特徴である。しかし古文読解の素養を秘かに自負し、かつ主語を曖昧に出来ない英文で数多の学術論文を書いてきた私は、躊躇なくこの碑文の主語は『われわれ日本人』と断言する。そして「なんて卑屈な言いぐさだ」と私は憤慨するのである。私には「過ちは繰返しませぬから」の部分は「身の程も知らずに超大国アメリカに刃向かうような過ちは繰り返しませぬ。後生ですから二度と私たちに原爆を落とさないでください」とアメリカに懇願しているように聞こえてくる。
私は全学連世代に属する。大学の教養時代に学生自治会から代表として全学連大会に派遣されたこともある。その頃声高く歌ったのが「原爆許すまじ」である。歌詞は一番から四番まであるが、その一番と四番をあげる。
ふるさとの街焼かれ
身よりの骨うめし焼土(やけつち)に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの街に
はらからのたえまなき
労働に築きあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
世界の上に
原爆慰霊碑碑文と同じく、「許すまじ原爆を」の主語は隠れている。しかし主語がわれわれ日本人であることを疑う人が一人でもいるであろうか。「われわれ日本人は二度と原爆を許さないぞ」と宣言しているのである。この明確なメッセージにくらべて「過ちは繰返しませぬから」のひ弱さは如何ともしがたい。その様なものがなぜ罷り通ったのだろう。
この碑文は当時一般から応募された文案を元に、広島市長の移植を受けた雑賀忠義広島大学教授が撰んだとのことである。しかし慰霊碑の除幕以降、この碑文への疑問が提出されてきた。当然のことであろう。その経緯は原爆慰霊碑碑文論争(年表ヒロシマより)によくまとめられている。その疑問の一つを下に引用する。
《ラダ・ビノード・パル判事が碑文に疑問表明。「『過ちは繰返しませぬから』とあるのは日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭。落としたものの手はまだ清められていない。この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が東洋侵略のために起こしたものであることも明瞭である。・・・」》
私には少なくともこの意見の前半はすなおに通じる。これに対して
《雑賀忠義広大教授がパル判事に抗議文を。「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」》
いやはや、感情的な言葉である。そしてこの引用を見る限り、議論はかみ合っていない。しかしこの雑賀氏の説明でも、「過ちを繰返さないと誓う」の主語は「広島市民である・・・・われわれ」となっているではないか。となると『過ち』は上の私の受け取り方になっても矛盾はしない。その後論争は紆余曲折の経過を辿るが、結局広島市は碑文の真意を伝えるために、日本語と英語の説明板を設置することにして、このように記している。
《碑文は全ての人びとが原爆犠牲者のめい福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている》
「過ちは繰返しませぬから」にこれほどまで言葉を補わないといけないとは恐れ入ったものである。碑文として失格、「われわれは二度と原爆を許さないぞ」と言っておればそれで済むものを。
原爆慰霊碑碑文論争(年表ヒロシマより)によれば慰霊碑建立が決定されたのは1951年2月21日、まだ日本が連合国の占領下にあった。そして碑文が決定したのは1952年7月22日で、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日の直後である。占領軍による言論統制への恐れを抱いてい怯懦な心が、まだ独立を回復出来ていなかったのだろうか。
碑文の解釈を巡って30年も論争が続いていたのに、久間発言が数日で片付けられたところに『政治問題化』の怖さがある。
久間氏がいったいどのような主旨で開かれた講演会で話したのか知りたくて調べたところ、「麗澤オープンカレッジ メールマガジン」(2007.6.1.Fri Vol.34)に以下の記事が出ていた。
◇研究センター主催 セミナーのご案内(無料)―――――――――◆
□比較文明文化研究センター
第3回比文研セミナー
日 時:6月30日(土)10:00~12:00(9:30開場)
場 所:麗澤大学校舎 1号棟6階 1503教室
講 師:久間 章生 氏(防衛大臣)
先 着:80名
■参加費:無料
■申込先:事前のお申し込みが必要です。
麗澤大学研究支援担当
聴衆80名とはごくこぢんまりした集まりで、今日も講演の場面が放映されるテレビ画面を注目していたら、黒板のある教室で久間氏が教壇に登り、年配の方々を相手に話をされていた。考えてみれば一国の防衛大臣の話を、このように差し向かいで聞くことができるとは、なんと贅沢なことだろう。久間氏も一人一人に語りかけるように話をされたのではないだろうか。私は7月1日のエントリーで《防衛大臣という要職にある方としては、発言の及ぼす影響への配慮が足りないという点で想像力の欠如が明白であると云える。大臣の品格を取り沙汰されても致し方あるまい。》と述べたが、ここで「比較文明文化研究センター」主催セミナーの文字が私の注目を惹いた。その認識の是非はともかく、「アメリカの側に立てばこうであった」と、話が出ても不思議ではないな、と感じたからである。とすれば久間氏が「説明が足りなかった」といわれたのも、それなりの意味を持つが、いずれにせよマスメディアに煽られた世論の「イケイケドンドン」の勢いを読み切れなかったのは政治家として悔やまれることであろう。
ところで、久間氏の『しょうがない発言』問題に触発されて取り上げたいのが、私にとって意味不明瞭の広島原爆慰霊碑碑文である。
安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませぬから
「安らかに眠って下さい」の意味は明瞭である。問題はそれに続く「過ちは繰返しませぬから」の部分である。主語が見えない。主語を必ずしも明示しないのは日本語の特徴である。しかし古文読解の素養を秘かに自負し、かつ主語を曖昧に出来ない英文で数多の学術論文を書いてきた私は、躊躇なくこの碑文の主語は『われわれ日本人』と断言する。そして「なんて卑屈な言いぐさだ」と私は憤慨するのである。私には「過ちは繰返しませぬから」の部分は「身の程も知らずに超大国アメリカに刃向かうような過ちは繰り返しませぬ。後生ですから二度と私たちに原爆を落とさないでください」とアメリカに懇願しているように聞こえてくる。
私は全学連世代に属する。大学の教養時代に学生自治会から代表として全学連大会に派遣されたこともある。その頃声高く歌ったのが「原爆許すまじ」である。歌詞は一番から四番まであるが、その一番と四番をあげる。
ふるさとの街焼かれ
身よりの骨うめし焼土(やけつち)に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの街に
はらからのたえまなき
労働に築きあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
世界の上に
原爆慰霊碑碑文と同じく、「許すまじ原爆を」の主語は隠れている。しかし主語がわれわれ日本人であることを疑う人が一人でもいるであろうか。「われわれ日本人は二度と原爆を許さないぞ」と宣言しているのである。この明確なメッセージにくらべて「過ちは繰返しませぬから」のひ弱さは如何ともしがたい。その様なものがなぜ罷り通ったのだろう。
この碑文は当時一般から応募された文案を元に、広島市長の移植を受けた雑賀忠義広島大学教授が撰んだとのことである。しかし慰霊碑の除幕以降、この碑文への疑問が提出されてきた。当然のことであろう。その経緯は原爆慰霊碑碑文論争(年表ヒロシマより)によくまとめられている。その疑問の一つを下に引用する。
《ラダ・ビノード・パル判事が碑文に疑問表明。「『過ちは繰返しませぬから』とあるのは日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭。落としたものの手はまだ清められていない。この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が東洋侵略のために起こしたものであることも明瞭である。・・・」》
私には少なくともこの意見の前半はすなおに通じる。これに対して
《雑賀忠義広大教授がパル判事に抗議文を。「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」》
いやはや、感情的な言葉である。そしてこの引用を見る限り、議論はかみ合っていない。しかしこの雑賀氏の説明でも、「過ちを繰返さないと誓う」の主語は「広島市民である・・・・われわれ」となっているではないか。となると『過ち』は上の私の受け取り方になっても矛盾はしない。その後論争は紆余曲折の経過を辿るが、結局広島市は碑文の真意を伝えるために、日本語と英語の説明板を設置することにして、このように記している。
《碑文は全ての人びとが原爆犠牲者のめい福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている》
「過ちは繰返しませぬから」にこれほどまで言葉を補わないといけないとは恐れ入ったものである。碑文として失格、「われわれは二度と原爆を許さないぞ」と言っておればそれで済むものを。
原爆慰霊碑碑文論争(年表ヒロシマより)によれば慰霊碑建立が決定されたのは1951年2月21日、まだ日本が連合国の占領下にあった。そして碑文が決定したのは1952年7月22日で、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日の直後である。占領軍による言論統制への恐れを抱いてい怯懦な心が、まだ独立を回復出来ていなかったのだろうか。
碑文の解釈を巡って30年も論争が続いていたのに、久間発言が数日で片付けられたところに『政治問題化』の怖さがある。