「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「小寒の紫紺のぼたん」

2012-01-08 20:18:00 | 和歌

 霜月のまたの呼び名を「神帰月・かみきづき」とも言うと、二か月ほど前に「神帰月の木瓜」に書いて、「季節外れに咲いた木瓜」の花をご紹介した。

 神帰月・師走・如月と花の乏しい季節だが、虚庵夫人が季節外れの花を探したわけではあるまいが、「紫紺野牡丹・しこんのぼたん」の鉢植えを手に入れて、満面の笑みを湛えて帰宅した。それ以来、クリスマス寒波にも耐えて花を咲かせ続けてきたが、小寒を迎えて流石に黄葉となったが、未だに紫紺の花を咲かせる生命力には、感嘆だ。

 背丈は一メートルにも及ばぬ、見るからにひ弱そうな灌木だが、寒気に耐えられる逞しさは、何処に秘めているのであろうか。人間社会でも、外見はごく軟弱そうではあるが、厳しい環境の中で極めて積極的に、雄々しく立ち向かう姿に接し、目を瞠ることがある。彼がどのような鍛錬を積み重ねたかは知る由もないが、ものの捉え方、考え方そして事に及んでの取り組み姿勢など、本人が意識して自ら鍛えた結果であることは紛れもあるまい。その様な姿を拝見するだけでも、こちらが無言の訓えを頂く虚庵じじである。

 紫紺野牡丹は花が咲いた際に、蕊が乱れるので当初は好みに副わなかったが、これほどまでの逞しさを見せられて、敬服すると共に「いとおしさ」がこみ上げてきた。


 

          花の無き霜月・師走・睦月なれど

          紫紺のぼたん健気に咲くかも


          年越えの寒気に耐えて咲く花は

          いとどいとしき 愕きを超えて 

          
          首すぼめ寒さ耐えなむこの朝に

          野牡丹 紫紺の花ひらくとは  


          陽を浴びて戯れるらしそれぞれに

          しべ踊るかなその声聴かなむ