正月が明けて、鏡開きを迎えた。
昨今では「鏡開き」などと言う言葉自体が、殆ど使われなくなって久しい。虚庵居士の子供の頃は、まだ古い仕来りが継承されていたのを思い出す。「門松やしめ飾り」を取り外すのは、鏡開きの日が目安だった。年末から床の間に飾ってあった「お供えの重ね餅」も、父親と一緒に鎚で割ったのが懐かしい。
鏡開きから程なくして、小正月を迎える。年末は、どこのご家庭でも女性たちは「お節料理」の仕込みに忙しく、年始はまた新年の祝いの酒肴準備等もあって、奥方達にとっては体を休める暇もない。正月が過ぎたら、女性達にも寛ぎの時間を持たせたいとの、古人の粋な計らいが小正月だ。
取り外した「門松やしめ飾り」は、昨今では生ゴミとして処理する向きが圧倒的だが、嘗てはそんな不作法は許されなかった。小正月に子供達が「門松やしめ飾り」を持ち寄って、「どんど焼き」で焼き清めたものだ。
「どんど焼き」は処によって「左義長・さぎちょう」とも呼ぶ。平安時代の宮中では、清涼殿の庭に青竹を束ねて立て、それに扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いながらこれを焼いたという。この左義長が民間に伝わり、どんど焼きとなったとも云われている。
正月・鏡開き・小正月・どんと焼き、人間味のある「こよみ」を古人は残してくれたが、我々はそれを手放そうとしていないだろうか。
人の世の諸事など知らぬと言いたげに
すまし顔なる莟の薔薇かな
凍えるや莟の花弁の色合いを
案じて交わす妻とのひとこと
陽を受けてやがて花弁の開きなば
安堵の吐息に揺れて応えぬ
愛しくも咲にけるかも冬ばらと
言葉を交わすじじとばばかな
このあした鏡開きを寿ぐや
うす紅にばらは咲くかな
いましばし寛ぎいませ陽だまりに
もてなし無けれど 小正月まで