久しぶりに筆を持って、画仙紙に向かった。
プロの書家であった義兄・清華のお弟子さん達が、義兄の逝去後もグループを結成し、二十年を超えて書の研鑽を続けておられる。同人展を開催するので賛助出品せよと、幹事役・俊山先生から丁寧な依頼状を頂いていたが、多忙な日程に追われて筆を執るいとまもなく、締切ギリギリになった。
書に限らないが、日頃から研鑽を積み重ねていても、なかなか思いどおりの作品を創るのは並大抵ではない。まして、やっと時間を作って筆を執っても、作品を創るなどと意気込むのは、凡そ烏滸がましい限りだ。清華兄は日展や山梨書道協会、或いは故津金寉仙師が主宰した書藝大観などを活躍の場としていたが、本質を弁えぬエセ芸術やポピュリズムに走る書芸術の会派を厳しく批判していたのを思い出す。そんな義兄が生きていたら、筆を執る姿勢そのものに厳しい叱声があることだろう。しかしながら、「お世話になった皆様に、些かなりともお応えしなくては」との、義理堅い思いに駆られる一両日でもあった。
思ひ通りに働かぬ筆先と格闘した。
ギリギリの時間のなかで辿り着いた一枚だが、恥を忍んでお届けすることにした。素材には、偽らざる現在の思いを和歌二首に託した。今年のお書初めに添え書きした和歌であるが、以前にこのブログでも「明日あるを」との表題でご紹介した二首である。
明日なきと思えばひたぶる夜なべかな(奈)
い寝るを忘れて何をのこすや
明日あるを(遠)おもえば(ハ)この世はゆたか(可)なれ
けふを限りの(能)命にあらねば(ハ)
あすのためけふのなすべきことなせば
ほのかにあけそめ あすはきにけり
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