「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「酔芙蓉の涕」

2011-09-11 11:30:03 | 和歌

 木槿や芙蓉の時節をむかえた。

 何れも真夏の炎天下の日差しに堪えて花を付けるが、芙蓉は木槿に比べれば、花を付けるのがほんの少しだけ遅いようだ。木槿はどの株を見ても沢山の枝を空に向けて伸ばし、それぞれの真っすぐな枝に沢山の莟を付けて、次々に咲き上る。誠に逞しさに溢れた花木だ。お隣の国・韓国の国花だそうだが、彼らにはそのような逞しさ,生命力が堪らない魅力なのであろうか。

 芙蓉の花は、木槿(無窮花)と見比べても花そのものは見分けが付かぬほどよく似ているが、虚庵居士はどちらかと言えば芙蓉が好きだ。芙蓉の葉は五角形で、木槿よりかなり大きく、箒状に真っすぐ立ち上がる木槿に対して、芙蓉の枝ぶりは懐がゆったりと広いのが特徴だ。この写真の酔芙蓉は、早朝には純白の花びらを開くが、太陽が真上に来るころから淡い紅色がさして、午後には斯くの如く酔芙蓉そのものに変身する。一年三百六十六日、酩酊状態の虚庵居士にとって、酔芙蓉は将に注しつ注れつするお仲といったところだ。

 ご酒をたっぷりと頂いた後は、だらりと酔い潰れるのが世の呑兵衛の姿であるが、酔芙蓉に限ってはその様な節度ない姿は見せないから、これまた虚庵居士にとっては立派なお師匠様だ。日が暮れてしたたかご酒を頂いた後は、花びらを乱すことなく丸め込み、翌日には自ら花の命を全うするから見事なものだ。




 

          しろたえの衣をまとい咲く芙蓉と

          共に酌むかなかんばせ染めつつ


          相見れば君も酔うらしかんばせを

          はや染めにけりまだ陽も高きに


          夕立に紛れて何に涙するや

          一日限りの朋のいのちは


          花びらに湛える涕は誰がため

          君が思ひを如何にや受けなむ