六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩。「子曰く」で始まる、論語の一節だ。
つい数日前に、箱根での高校同期の懇親会に参加した。
還暦を超えた旧友が集い、酒を酌み交わせば、いつしか青二才に戻って熱い議論が止め処なく続くことになる。信州の「バンカラ高校」の卒業生は、酒と議論だけでは飽き足らず、年に数冊の「耳順」なる文集を発行して来た。
高校を卒業して半世紀余を経れば、好むと好まざるに拘わらず、お仲間は古希を迎え、文集の名前も「耳順」から「従心」に変更した。孔子に倣って、『七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず』を、自らの戒めにしようとの思いだ。
「従心」のお仲間が集えば、年齢には関係なく気分は高校生に戻るから、不思議だ。酒席の議論の声も、若干は控え目になったのだろうか。そんなお仲間を箱根のお山は、含み笑いの「山笑う」で迎えて呉れた。
とりどりの木々の織りなす山襞に
さくら咲くらし遠くにかすむは
なだらかな箱根の山は笑ふかも
春の陽ざしに淡く芽ぶきて
箱根路の含み笑いの山肌の
襟巻ならむか連なる碧は
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