久方ぶりに高校時代の同期生達が伊豆高原に集い、酒を酌み、歓談し、そして次の日には ゴルフに興じ、至福の二日間を堪能させて貰った。
信州・諏訪清凌を卒業して、早くも半世紀余。幹事殿がメールで送って下さった集合写真に、つくづくと見入った。髪も顔の皺もそれぞれ歳相応と云うところであろうか?
ひさかたに相まみゆるも紅顔の
おもかげ見しかな白髪の友に
白玉のうま酒酌みつつ語らふも
従心なるかな矩を踰えぬは
白髪頭を見ていたら、「余寿命」という言葉が頭をよぎり、インターネットで検索してみた。 驚いたことに、人間様の余寿命データや記述は殆んどお目にかかれず、何遍トライしても、材料や機械強度・劣化などに関連した「余寿命」が羅列されるばかりだ。人間の「余寿命」には世の関心が薄いのかしらん? はたまた、人間様の「余寿命」を云々するのは、「不謹慎だという暗黙の了解?」でもあるのであろうか? 平均寿命から年齢を差し引けば、何がしかの数字は計算されるが、到達年齢の余寿命は多分それより長い年数になるのではなかろうか。
思い直して再度検索にトライした。
検索文字を「余命」に代えて検索したら、厚生労働省のデータ「日本人の平均余命」 がたちどころに出て来た。これまで「残りの寿命」など意識もしなかったので、恥ずかしいことながら正しい日本語を知らなかったが、「工業的な残りの寿命などを『余寿命』と云い、人間様の寿命の残りは『余命』と云うらしい!」
日本男子の平均余命は、最長が生後1週間で78.71歳、古希のじい様の「平均余命」は14.51歳、傘寿のご老人の平均余命は8.39歳 と判明した。連れ添いのばば様は、更に数年生き永らえることは云うまでもない。
唐辛子入り焼酎のお湯割りを飲みつつ、この様な駄文を認めていたら、ついつい夜更かしして零時を過ぎてしまった。 送って下さった写真の御礼を書くつもりが、何時の間にか「余命」の 「余談」になったことを詫びつつ、旧友達に同報メールを発信した。
数日して、旧友の一人から返信があった。
曰く、「13年乗り続けて来たマイカーの『余寿命』と、己の『余命』とを勘案して、この際、新車を買うことにした」と認めてあった。
余寿命と余命の違いをこの爺は
初めてしるかも 笑って死ねるや
さて、
己の余命をどのように生きたら、笑って死ねるのだろうか?