「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「虎杖・いたどり」

2015-11-08 17:24:32 | 和歌

 石垣の上に咲いていた「虎杖・いたどり」の花に、目を瞠った。
規則正しく並んだ節毎の葉と、淡い花穂をかざす姿の対比にほれぼれと見惚れた。



 もっと近づいて花のリアルな姿を写したかったが、高い石垣に遮られてそれも叶わず残念だった。しかし、それが却って憧れの思いを掻き立てたのかもしれない。
「いたどり」の茎はかなり逞しいが、節々の花穂の重さで茎が撓み、やっと水平に保っている姿が何ともいじらしいではないか。

 田舎で育った虚庵居士の子供の頃は、何処にでも「いたどり」が自生していた。
春先のすくすくっと伸びる太めの茎は、素手でポキンと簡単に折れて、皮を剥いてよく食べた。淡い酸味が誠に爽やかで、子供達には人気だった。

 それにしても、「虎杖」を「いたどり」と読ませるのは腑に落ちない。
転んで擦り傷を負うと、葉を揉んで擦り傷を治療してくれた母の面影が偲ばれる。
痛みがスッと消えるので、「痛み取り・いたどり」は子供ながらに理解できた。

 枕草子でも、「虎杖」の読みかたには疑問を呈していたことを最近になって知った。かの清少納言も、虚庵居士と同様に「虎杖」に頭をかしげていたというから、千年を隔てての共感に思わず笑みがこぼれた。


           微かにも夕陽をうけていたどりの

           花穂は浮かびぬ石垣の上に


           律儀にも並べた節葉に花穂かかげ

           重さに堪えるいたどり愛しき


           ひざの傷にいたどりの葉を揉み添える

           母の面影 偲ぶじじかな


           腑に落ちぬ「虎杖」の読みは 千年を

           へだてし吾も 清少納言も