「メキシカン・セージ」の花が咲き初めて、既に数週間にもなろうか。これ程長い期間に亘って目を愉しませて呉れる草花は、類い稀だ。この頃は彼方此方の庭先によく見かけるが、そんな事情もあるのだろうか。
「うつろ庵」の庭でも、かなり以前からお仲間だ。当初は露地植えだったので草丈は1.5メートル程にも繁茂した。狭い庭先で余りにも徒長したので、少々お控え頂きたいとプランターと丸鉢に移植した。
驚いたことに、露地からプランターに切り替えたら、翌年の草丈は見違える様に短くなって、露地植えのほぼ半分ほどだ。小振りの丸鉢では更に草丈が短く、精々40センチ程だ。
原産地メキシコの原野で、のびのびと草丈を伸ばし、繁茂していたであろうセージには、プランターや鉢植えはお気の毒な環境に違いあるまい。
「メキシカン・セージ」が育てられる環境で、これ程の変化が見られるとは思いも依らぬことであった。
ましてや人間社会では育つ環境、生活する環境、更には教育環境などがどれ程か人間性に影響を与えることか、改めて深く考えさせられた。
久方にのびのび育つメキシカン
セージに寄り添い言葉を交わしぬ
瞠るかす原野に波打つ紫の
メキシカン・セージを頭に描きぬ
「うつろ庵」のメキシカン・セージはそれなりに
草丈控えて調和を保ちぬ
環境のなせる業かな改めて
この二文字の威力にしびれぬ
紫の衣をまとい白妙の
花咲くセージに多くを学びぬ