議論のウソ 価格:¥ 756(税込) 発売日:2005-09 |
統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか? 価格:¥ 777(税込) 発売日:2006-10-17 |
「もっともらしい話に騙されるな」系の新書を二冊続けて読んだ。
前者「議論のウソ」は、はじめて書籍として「ゲーム脳批判」をしたので有名なのだけれど、これまでちゃんと読んでいなかった。
オーセンティックな批判が展開されていて、今日でも色あせていない。
もっともらしい「ウソ」の類型を示してくれており、ふむふむと納得。
ぼくとしては、ゲーム脳のことよりも、「ゆとり教育」が学力低下を招いたとする、一般に流布した説を「ムード先行のウソ」として扱った章が興味深かった。
後者「統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか?」は、タイトル通り、統計数字でかなり恣意的に操作できるものをあれこれ教えてくれる。
よく耳にする「経済効果」など、説明されると、ホント?ってくらいいい加減だ。
また、犯罪論の「割れ窓理論」がどれだけ有効かというのは、なんとなく納得。支持者が信じるほどの効果は実証しにくいという。かつて、「緑のマンハッタン」でその「支持者」についてぼくも書いたことがあるから、これは知っておくべきことだった。あの頃、共和党のジュリアーニも、リベラルな「ガーデン」支持者たちも、ともに「割れ窓理論」を信奉していたと言うことか。
統計にあらわれない「地下経済」の章が興味深い。
二冊を連続して読んだせいか、ちょっと疲れたかな。
「騙されるな」「疑え」というメッセージの本が最近どっと出ているので、そろそろ、「騙されるな情報」とどう付き合うべきかという論考も必要になっているかも、と思った。
ひとつ響いた言葉は、小笠原氏の次の言葉。いきなり前書きからの引用で恐縮。
もっと必要なのは、そういう『嘘』であるかどうかという判断自体が場合によっては変わりうるという、多様な次元で多様な結論があり得るという姿勢を貫く強靱さではないか。
こんな時代には、むしろ立ち止まって、本当のところはどうなんだろうと考えてみるのも必要ではないだろうか。反応の早さを競わずに、愚鈍なくらいに判断を躊躇してみる。議論を重ねて、なかなか結論をださない。私は、そんなことが必要だと思っている。
民主主義というのは、多数決ではなく、みんなが議論に参加し、結論を急がず考えてみることではないだろうか。誰かエライ人間なりエリート官僚なりが結論を出して、人々を引っ張っていくのではなく、延々と議論を重ねる中で、みんなが考えるようになる、そうした人が増えれば増えるほど、より民主主義に近づくように思えるからである。
よし、ミンシュシュギ。大事にしようぜ。
と思った次第。