かなり優秀なサッカー少年の親と雑談をしていて、ふとかんじたことがあって問いかけ。
仲間と一緒にやっているのが楽しいというのではなく、サッカー自体が好きじゃないとダメ、という価値観って、少年サッカーの保護者やら、指導者のあいだでは、普通なのだろうか。
というのも、それが「当たり前」というふうな話が何度も出てくるから。それも、たまたま日を置かず会った複数の人の話の中で。
サッカーにせよ、野球にせよ、団体スポーツの醍醐味って、やはりチームじゃないとできないこと、だと思う。
個人がいくら技術を追究しても「サッカーがうまい」とはいえても「強く」はなれない。
その時、こいつらと一緒にやりたい!という気持って当然生まれてくるし、絆って大事だよ、と思う。
いや、そういうことじゃない。
小学生くらいの子って、やはり、友達との交流の場としてのサッカーなり野球なり、というのは大事で、「あいつ(ら)がいるから、ぼくもやる」というのは、とても正当な理由だと思うのだ。なぜって、そういう成長段階だから。
サッカー自体とか、野球自体、というものは、本来どこにもないんじゃないかと思うがゆえに、仲間がいる風景の一部としてサッカーが好きというのは、当然、アリなんじゃないかな、と、どことなく釈然としなかったわけです。
自分が感じている違和感を、うまく掬い上げられていないけれど、いかがなもんでしょうか。
仲間と一緒にやっているのが楽しいというのではなく、サッカー自体が好きじゃないとダメ、という価値観って、少年サッカーの保護者やら、指導者のあいだでは、普通なのだろうか。
というのも、それが「当たり前」というふうな話が何度も出てくるから。それも、たまたま日を置かず会った複数の人の話の中で。
サッカーにせよ、野球にせよ、団体スポーツの醍醐味って、やはりチームじゃないとできないこと、だと思う。
個人がいくら技術を追究しても「サッカーがうまい」とはいえても「強く」はなれない。
その時、こいつらと一緒にやりたい!という気持って当然生まれてくるし、絆って大事だよ、と思う。
いや、そういうことじゃない。
小学生くらいの子って、やはり、友達との交流の場としてのサッカーなり野球なり、というのは大事で、「あいつ(ら)がいるから、ぼくもやる」というのは、とても正当な理由だと思うのだ。なぜって、そういう成長段階だから。
サッカー自体とか、野球自体、というものは、本来どこにもないんじゃないかと思うがゆえに、仲間がいる風景の一部としてサッカーが好きというのは、当然、アリなんじゃないかな、と、どことなく釈然としなかったわけです。
自分が感じている違和感を、うまく掬い上げられていないけれど、いかがなもんでしょうか。