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ミニ同期会の前に 駒込~上野公園 散策

2014-04-26 | 散策

ミニ同期会の前に 駒込~上野公園 散策


今日は大学の頃の友達8人と夕食を共にすることとなり、上野の西郷さんの前に6時集合しました。

私は、例のごとく早めに出て、東京の街を散策しました。

散策したコースは次の地図の赤線です。約8Kmでしょうか。

駒込駅からスタート。
駅前の六義園は何回も行っているので、今回は素通り。

先ずは、本郷通りを南へ、吉祥寺へお参りしました。

なかなか立派な門構えです。

正式名称は、曹洞宗 諏訪山 吉祥寺 です。

ここは、僧侶の養成機関で、一時は一千名余りの僧侶が学んでいたそうです。
昌平黌(東京帝大の前身)と並び称された学問所です。

   

そして、ここに二宮尊徳の墓碑がありました。

説明板によると、

「天明七年~安政三年(1787~1856)。
相模の人、通称、金次郎。江戸末期の農政家。

人物が認められて小田原藩領下野国 櫻町の荒廃を復興したことで知られる。

その後、常陸その他の諸藩の復興に農政家として 、また政治力によって寄与するも、・・・」

立派な墓碑が建っていました。

その庭に、大きなセンダンの木が植えてありました。

黄色い実が沢山ついていました。

 『栴檀は双葉より芳し』 とか。
その意味は、神童は小さいころから違うそうです。だから、私には関係ありません! 

大きな木でした。毎朝ラジヲ体操に行く公園にもありますが、それより数倍も大きい木でした。

『楝』(おうち)の別名があり、邪気を払う霊木だそうです。

さて、ここには、江戸南町奉行の鳥居耀蔵や榎本武揚の墓もあるそうです。
大分探し回りましたが、解りませんでした。

榎本武揚さんの墓にはお参りしたかったが、鳥居耀蔵さんの墓には興味ありません。
彼は、蘭学者を目の敵にして追い回した男です。高野長英氏も被害者の一人です。


さて、大分時間をとりまして、次は目赤不動尊にお詣りしました。

  

御承知のように、江戸には五色不動尊があります。

目黒不動、目白不動は有名です。他に、目赤不動、目青不動、目黄不動です。

私は、目青不動尊(世田谷区太子堂)だけは、まだお詣りしていません。


そこから、本駒込駅に向かうと、駒込土物店跡が残っていた。

ここは江戸三大市場の一つに数えられていたところです。

江戸初期には、駒込茄子の産地でもあり、他に大根、人参、牛蒡などが土のついたまま売られていたそうです。
土物店(つちものたな)と呼ばれ親しまれていたのは、そのためだそうです。

その横の路地を散歩しながら、白山神社に行きました。

どうも、その路地は曰くありそうな通りです。 
古い地図で見ると、門前街などが たむろしていたようですが・・・。

そして、白山神社にお詣りしました。

  

大分疲れて来たので、先を急ぎましょう。
 

次は、“八百屋お七” で有名な大円寺です。
お七は確か鈴ヶ森の刑場で火炙りの刑に処されたそうですが、 

その後、この地に迎えられ、ねんごろに供養されたようです。

   (ほうろく地蔵)

「・・・天和二年(1682)におきた天和の大火の後、
恋仲になった寺小姓恋しさに放火の大罪を犯し、
火炙りの刑を受けた “お七” を供養する為に建立された地蔵様です。

寺の由来書によると、
お七の罪業を救うために、熱した焙烙(ほうろく)を頭にかぶり、
自ら焦熱の苦しみを受けたお地蔵さまとされている。・・・」

どうも、冤罪臭いですね。可哀そうです!

 

そして、ウロウロ歩いて、根津神社にお詣りしました。
丁度 “つつじ祭り” の最中でした。
  

ここに来ると、いつも想い出すのが文京学園様です。

園長さんが、ここの浮世絵を集めておられ、
私どもが納めていた地図帳の表紙に使っておられました。 

年々、浮世絵を変えられておられました。
よくこんなに浮世絵があるものだな~、と感心していました。

 

そうしてやっと、上野公園に辿りつきました。

いろいろ思い出のある公園です。


最後に、西郷さんの銅像の前で、仲間達8人と会いました。

後は、呑めや、歌えやで、二日酔い!