日本百名山 40、赤城山(1828m)
「赤城山は、登山というより逍遥(しゃうよう)という言葉のあたる、大きなプレイグランドであって、その中心は、山上の火口湖の大沼(おの=おおぬま)である。
それをめぐって、黒桧(くろび)山、地蔵岳、鈴ヶ岳の三つが、鼎の形に立っている。
黒桧山が最高といっても、湖畔から二時間とかからずその頂上に立つことが出来る。
頂きは草山で眺望は素晴らしい。・・・
上野から高崎までの車窓で、一番私たちを楽しませてくれるのは赤城山である。
見事なのは、伸び伸びと裾野へ引いた稜線であって、おそらくこれほど大きな根張りは、他に例が少なかろう。」
(高崎駅より)
設定: カメラ:PAN、レンズ:50mm、風景:浅春の山、高さ強調1.5倍。
登山コースは赤線です。
「今は箕輪から簡単に入れるようになったが、当時は普通水沼から鳥居峠を越えて大沼湖畔に出た。
黒桧山に登ったり湖畔を散策したりして、帰路は敷島に出たこともあった。
二本楢を経て片品川の方へ降りたこともあった。・・・」
(新潮社刊、深田久弥著『日本百名山』より引用)
赤城山といえば、国定忠治を連想します。
新国劇で演じられた名セリフは
赤城の山も今宵限りか、
かわいい子分のてめえ達とも別れ別れになる旅出だ。
この名セリフを残して、幕府の役人に追われ、赤城の山を下りて行ったそうです。
本名は長岡忠次で、群馬県伊勢崎市国定町の豪農の生まれとか。
家督は弟の友蔵に譲り、本人は渡世の世界で暴れまわったようですが、。
最後は東吾妻町大戸で磔の刑に処せられたそうです。享年41。
天保の飢饉の時は周囲の百姓たちのいのちのつなにもなったとか・・・。