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小石川後楽園へ

2014-01-19 | 散策

小石川後楽園へ

2011.2に続いて再度訪問しました。

 

前回に続いて、何故か冬場にばかり訪れたようです。

園内には、冬場らしく、松の雪囲いや万両(写真は百両と千両?)、紅白の梅、蝋梅等が清々しい姿を見せていました。きれいな花です。
   

 

ここは、水戸黄門ゆかりの大名庭園で、国の特別史跡、特別名勝です。

入場券裏の説明によると
「この庭園は、寛永年間(1624~1643年)水戸徳川氏の初祖徳川頼房によって作られ、二代光圀によって完成した我が国における代表的な回遊式築山泉水庭園です。
光圀は造成に当たり、明の遺臣朱舜水の意見を用い、円月橋(後の写真)、西湖堤など中国の風物を取り入れ、園名も又舜水の選名によるなど中国趣味豊かな庭園です。
後楽とは、中国の范仲淹の『先憂後楽』の後によったもので、
『民衆に先立って天下のことを憂い、民衆がみな安楽な日を送るようになって後に楽しむ』
と云うことで光圀の政治的信条によったものと云われています。・・・」

 (円月橋)  

この後楽園は、内庭と後庭からなっていて、われわれの言う後楽園は後庭のようです。

光圀公が居たのは内庭です。

内庭は比較的こじんまりと纏まっていました。下はその写真です。




そして、私の気に入っていた「九八屋(くはちや)」は改修工事中でした。

ここは、江戸時代の風流な酒亭の様子を表したもので、
この名の由来は
『酒を飲むのに昼は九分夜は八分にすべし』
という深酒を控えるよう示したものです。

ということは昼酒は認められていたようです。
だから、気に入っていたのですが・・・。


神田上水も残っていました。
泉水公園の出来た所以でしょうか。
苑内には水田や菖蒲園も残っていました。
光圀が農民の苦労を継嗣夫人に教えるために作ったそうです。

現在、地元小学生が田植えや稲刈りをして、その伝統を守っているそうです。