黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「<盗作>の文学史」を読む

2008-08-31 10:53:45 | 仕事
 前から読みたいと思っていた「市場・メディア・著作権」と副題された栗原裕一郎著『<盗作>の文学史』(3800円+税 新曜社刊)を昨日から読んでいたのだが、読了してまず思ったのは「この著者は文学というものをどう考えているのか」ということであった。
 というのも、「索引」を含めると492ページという大部の著作で取り上げた「盗作」を問題視された作品を果たしてきちんと読んでいるのか、この本は「盗作」や「盗用」、あるいは「剽窃」の疑いを掛けられた作品に関する「情報」によって書かれたもので、それが本当に「盗作」なのか否か、自分の判断を捨象しているのではないか、と思ったからに他ならない。しかも、その「情報」も不十分で、僕がこれは問題だなと思ったのは、「盗作」疑惑をかけられた現存作家に例え断られルようなことがあったとしても、なぜ「取材」しなかったのか、彼ら・彼女らにも「言い分」があったのではないか、という点である。経験的に言って、メディアはそのメディアの「性格」「傾向」「思想」によって、いくらでも白を黒と言い、黒を白ということがある。だから、その「情報」に対する判断は、まず自分のその作品への「読み=鑑賞」があって初めて可能なのであって、他人の「情報」をいくら集めても、「事実めいた」ものは書けても、「情報」を「正しく」伝えられないのである。そのことにこの栗原裕一郎という物書きは気が付いていないのではないか、とおもったのである。
 現に友人として、また批評家として「盗作問題」に関わってきた人間としてこの本を読むと、どうもセンセーショナリズム(もちろん、マスコミジャーナリズム的に)に気を取られて、あるいは著名人の「言動」や著名メディアの「情報」しか見ておらず、それらによって「偏った」判断を行っているのではないか、と思わざるを得ないのである。例えば、僕も巻き込まれた井伏鱒二の「『黒い雨』盗作疑惑」問題に関して、「盗作」を言い出した広島在住の老歌人豊田清史の言説が全くの「言いがかり」で、結論的には「目立ちたがり屋」の「世迷い言」であったというのは、この本の中でも取り上げられている相馬正一(太宰治・井伏鱒二の研究者)をはじめとして、広島在住の研究者や文学者(井伏が「黒い雨」を書くきっかけになったとされる「重松日記」の著者重松閑間氏の息子の証言なども含まれる)、あるいは僕(僕は、相馬正一より早く彼とは全く別な形で合計して200枚ぐらいの豊田清史批判を書いている)によって完膚無きまでに批判されていることに、全くこの本は目配りしていない。今夏ヒロシマから送られてきた雑誌(短歌誌)を見ていたら、自分の著書や書いた文章によって「被爆場所」がくるくる変わる被爆歌人豊田清史の「いい加減さ」を批判する実証的な文章が載っていた。今まで同じ歌人として我慢していたのだが、昨今の言動が余りにも「目に余る」ので書いた、と記されていた。そのような人物の「捏造」「誹謗中傷」をあたかも「正義」の如く取り上げて井伏批判を展開した猪瀬直樹や谷沢永一の「言」を大きく取り上げているこの本は、それだけ見ても「信用できない」と言わねばならない。
 もう一つ、立松和平の『光の雨』事件についても、この小説の根幹をなす「連合赤軍事件・問題」には一切触れず、もっぱらどのようにこの「盗作事件」が処理されたのかに費やされており、事件が沈静化した後立松が全力を投入して書いた『光の雨』について、「盗作」が云々された「すばる」誌連載の作品とどう違うのかの検証さえ行わず、スキャンダルとしてしか扱っていないという、「文学」と無縁の説明になっている。また、一番新しい「盗作」疑惑に関して、2007年10月30日の「毎日新聞」に寄せられた茨城県の主婦の文章を、札幌在住の小檜山博がJR北海道の社内誌に連載している掌編小説で「盗作」(極似)していたという問題、現地で話を聞けば、当時北海道で部数獲得競争を繰り広げていた「毎日新聞」と「北海道新聞」(小檜山は長い間北海道新聞の社員だった。今でも小檜山と北海道新聞は切っても切れない関係にある)の「あおり」を受けたのではないか、ということで、およそ「文学」とは関係ない話になっている。このような本を出すということは、散り方によっては作家生命を脅かすことだってあるだろう。そのことを考えれば、栗原のフォローは足らなかったのではないか、と思和ざるを得なかった。それに僕の知る戦後文学の巨人による「盗作」問題(多くの文壇関係者には周知のこと)について1行も触れていないのも、ちょっと腑に落ちないことである。
 忙しいのに、ついつい読んでしまった。誰しもスキャンダルが好き、ということか? だから「文学」は面白い、とも言えるのだが……。

「原則」はどこへ行ったか(その2)

2008-08-30 10:31:58 | 仕事
 久し振りに本屋へ行き、注文しておいた本や新たに初段から抜いた本、併せて2万数千円を支払い、その後今書いている「村上龍論」にどうしても必要な資料をコピーするために県立図書館に寄ったのだが、そこで旧知の図書館員に捕まり、30分ほど話しをして帰路についたのだが、家に帰ってコーヒーを飲みながらテレビのニュースを見ていて、思わず「なんじゃ、こりゃ」と叫んでしまった。
 昨日飛び込んできた民主党離党―新党(改革クラブ)結成という、現在を覆っている諸問題をどこかに置き忘れたような「政変劇」(過大評価かな?)について、「原理・原則」はどこにあるのだと言ったばかりなのに、政党助成金狙い(及び政治の舞台における「主役」願望)の新党結成を瓦解させる「姫井議員の翻意」、思わず笑ってしまったのは、彼女が民主党からの離脱を思いとどまったのは、民主党から立候補して当選した自分への選挙民の付託に気が付いたからだという弁明である。しかし、笑いが終わった後、猛烈に腹が立ってきた。というのも、この姫井議員の弁明は、彼女の地元である岡山県民を愚弄する発言であり、同時に国民と国会議員との関係全体(つまり、民主主義の制度)に対する「無知」をさらけ出した発言に他ならないと思ったからである。
 国会議員ともあろう者が、選挙民(国民)と議員との関係も知らず、従って公党を離脱することの意味もわからず、(たぶん、与党自民党から相当「甘い汁」が約束されての行動だろうと思うが)いかにも「目立ちがり」的な行動を取って、「不倫騒動」などで下落した自分の存在を、何とか失地挽回しようとしたのだろうが、彼女の一連の行動は、他の4人による「新党結成」と同じように「茶番劇」でしかなかった(それにしても、その茶番に加担した民主党の幹部たち、この茶番劇も含めて新党結成問題そのものが、解散・総選挙を睨んだ与党自民党の策略だったとしたら、見事に踊らされたとしか思えないが、どう思っているのだろうか)。
 敢えて差別的な言い方をするが、昨日記者会見した新党結成組も彼らを「裏切った」姫井議員も、共に「政治=政局」に踊らされ「原理・原則」をどこかに置き忘れてきた「阿呆・バカ」としか、僕には思えなかった。彼らは、どんな「理念」があって国会議員になったのか。「理念」なんて関係ない、自分たちは「金」と「名誉」のために国会議員になったのだと言うのであれば、もう何をか況やである。速やかに表舞台から退場してくれることを願う他ない。
 そして、「原理・原則」を忘れて国民(選挙民)を愚弄しているという点では、太田農水大臣の「事務所費問題」も酷い。公設秘書宅を事務所代わりにして諸経費を計上していた問題、誰が見てもこれは税金から支払われる国会議員の経費(歳費も含む)を「証せない理由」によって「ネコババ」したということ以上のことではない。この問題でこれまでにも自殺した大臣や辞任した大臣が何にもいるというのに、本当に「懲りない面々」だと思う。加えて、記者会見での領収書片手の「弁明」で、「人件費はプライバシーに関わる問題なので公表できない」だと言っていたが、「弁明」とは言え、この人の人権感覚(国民をどう思っているのか)はどうなっているのか、先に問題になった「消費者はやかましい」発言と併せて考えると、大臣はもちろん国会議員に最も相応しくない人物としか言いようがないが、福岡県民の皆さん、あのような人を選挙で選んだあなた方がバカにされるのですよ、と言いたくなってしまう。
 本当に現政権は「末期症状」を呈し始めたな、と思う。僕らは今「よりマシな」政治しか選択できないが、その「よりマシな」政治の早く到来することを願うばかりである。
 と言いながら、我が身は果たして「原理・原則」を守っているのか、という思いのあることも記しておかないとバランスが取れないだろう、と思っているのも事実である。

「原則」はどこへ行ったのか。

2008-08-29 10:05:36 | 近況
 札幌に行っている間は、久し振りの北海道ということもあって、朝から晩まで次から次へと「資料」を集めるために文学館へ行ったり、人と会ったり、久し振りに「勤勉」な日々を過ごしたので、ゆっくりテレビを見たり新聞を読んだりする時間を取ることができなかった。
 その意味で、アフガンでNPO法人「ペシャワール会」の活動家が誘拐された末に殺害されるという事件についても、ちらっと頭を過ぎった程度で、僕なりの見解を持つことができなかった。そして昨日、札幌からの飛行機の中で新聞を読み、「犯人逮捕」の報に接し、また様々な人がいろいろな見解を寄せていることを知った。そして、被害者の伊藤和也君が「高い志」を持ってアフガン復興のために活動してきたこと、多くの人が指摘してきたように、僕も彼の志と活動は「崇高」なものであり、今時の若者にしてはものすごく立派だと思った(彼以外にも世界中に同じような志を持って現地に飛び、活動している若者のいることを僕はいくらか知っているが、そのような若者が多く存在すること、このことも僕らは忘れるべきではないだろう)。
 ところが、帰宅途中のカーラジオのニュースが伝えるところに拠れば、町村自民党幹事長は、「だから、テロ撲滅のためのアフガン支援が必要なのだ」と、伊藤君の死を臨時国会における最大の課題である「アフガン・テロ特措法」の延長問題に利用しようという意図が丸出しの見解を述べたという。「政治」というものが、常にマキュアベリスティック(便宜主義)なものであることは百も承知していたが、「おいおいどうしたんだよ、自民党は」とツッコミを入れたくなるくらい、ぞの二枚舌ぶりに驚いてしまった。というのも、イラク戦争が激しさを増していたとき、ボランティアでイラクの子どもたちに援助の手をさしのべていた高遠菜穂子さんや湾岸戦争からイラク戦争にかけてアメリカ軍が使用した劣化ウラン弾について調査するためにイラク入りした「サッポロ・プロジェクト」のメンバーが、「ゲリラ」に拘束されたとき、自民党や与党の政治家たちは何と言ったか。流行語にもなった「自己責任」ということばであった。
 「崇高な志と活動」という褒め言葉と「自己責任」という突き放した言い方、伊藤君の活動と高遠さんの活動、どちらが立派で、どちらが下劣だ、と誰が言えるのか。原則無き政治、これもモラルが解体している証なのではないか、と思う。
 原則無き政治、といえば、大相撲のモンゴル場所を報道するマスコミの姿勢にも、この「原則無き」姿勢を痛感せざるを得なかった。朝青龍が「仮病」で2場所休場させられたとき、「辞めるべきだ」と大声を上げていたマスコミが、今度は一変して「凱旋将軍」であるかのように報道している姿を見て、改めてこんなところにも「モラル・ハザード」が及んでいるのだと再認識せざるを得なかった。掌を返すように、という諺はこんな時に使われるのだと、実感した。「長いものには巻かれろ」という諺も、思い出した。
 原則無き政治、のもう一つの出来事、これも昨夕飛び込んできた「3人が民主党を離党し、新党結成」というニュース。びっくりしたには、当選以来「不倫騒動」などでマスコミに追いかけられ続け、民主党の評判を下落させた姫井議員がそのメンバーの一人に入っていたことだが、そんなスキャンダルとは別に、民主党を離党したメンバーのうち二人が「比例区」での当選組だということ、周知のように比例区は個人名での投票も影響あるが、基本的(原則的)には「政党名」によって当選するという選挙の仕組みである。選挙民は、離党組の議員たちにも「民主党」の議員として全うすると思って投票したはずである。それが、途中で離党する。「改革クラブ」などと格好いい名前の政党になったが、僕など「次の選挙」で当選が覚束ないが故に、今の内に「政党助成金」をもらって(あるいは、与党に協力することで、「次」がねらえると思って)離党した、言ってみれば「崇高な理念」も何もない、単なる「私利私欲」のための離党、モラル・ハザードの極致を見た感じで、何をか況やである。
 原理・原則を踏み破らない、難しいことだが、これこそ僕らがあの「政治の季節」で学んだ最も大切な「仁義=モラル」ではないか、おのれを律せねば、と思った昨日・今日である。

札幌2日目

2008-08-28 07:21:46 | 仕事
 朝から雨模様。10時に旧知の批評家北村巌氏と会い、喫茶店で近況報告が寺雑談(議論)。札幌在住の北村氏とは、彼が学校職員をしていた20年ほど前に、僕が『祝祭と修羅―全共闘文学論』(彩流社刊)を出したことからコンタクトを取ってきて、小樽文学館で「小林多喜二」について講演した際に会って以来の間柄で、彼が北海道庁職員として北海道立文学館の学芸員であったとき、僕を文学館に呼んでくれ、「北海道の文学―三浦綾子を中心に」という内容で話したこともあった。現在彼は定年前に退職し、批評一筋の生活をしている。『島木健作論』で北海道新聞文学賞も受賞している「文学の徒」とも言うべき人である。午前中に彼と会ったのは、昼に会う約束をしていた北海道新聞文化部の編集委員の佐藤孝雄氏に紹介するということがあったからである。
 話は、今裁判で係争中の道立文学館における「パワハラ」問題に及び、さすが元道立文学館の学芸員、僕がインターネットで知っているのとは別な見解を出してくれ、「なるほど」と思うことが多かった。しかし、午後3時に道立文学館で「三浦綾子資料」を見せていただき、理事長の神谷忠孝氏(元北大教授)とも旧交を温める予定の僕としては、当然裁判の話に及ぶであろうことを思うと、複雑な気持ちになったのも事実である。
 というのも、この道立文学館における「パワハラ」問題は、訴えた本人はまったく知らない女性なのだが、彼女の父親はまだまだ僕が駆け出しの批評家だった時代から、実家が僕の家から500メートルしか離れていないということもあって、(僕としては)親しく付き合ってきたつもりの著名な近代研究者(批評家)の亀井秀雄氏で、彼のブログで裁判の経緯を見守ってきたということがあり、何が何だか「他人」にはよくわからない部分がたぶんに存在すると思っていたからに他ならない(詳細を知りたい人は、ネットで「亀井秀雄」を検索し、「この世の眺め」という亀井氏のブログを読んでほしい)。昨日会った北海道新聞文化部の記者たちも、裁判の双方をよく知るがゆえに、「触らぬ神にたたりなし」といった態度であったことも頭に残っており、僕としては「関心」はあるが、そのことに直接「関わらない」と態度に決めていたのである。
 案の定、昼を北海道新聞の佐藤氏、北村氏とラーメンを食べ、コーヒーを飲みながら情報交換をした後、道立文学館を訪ねると、約束の時間より30分も前から待っていてくれた神谷氏と副館長の平原氏とを交えて、結局は「パワハラ」裁判の話になり、なるほど「当事者」はこのように考えるのか、「情報」というのは、当たり前だが「表」と「裏」があり、一筋縄ではいかないものだということを痛感させられた。僕としては、亀井氏の側にも訴えられた平原氏はじめ道立文学館の側にも加担するつもりはなく、半可通の意見ほど危険なことはないと思って、文学館側の意見をもっぱら聞き、そして主目的であった「三浦綾子資料」を見せていただき、2時間ほどの文学館訪問を終わったのだが、正直に言って「疲れた」。
 夜は、前から会いたかった北海学園大学の准教授田中綾さんと午前中に会った北村氏の三人で会食。田中さんは、面白い短歌論や歌人論を書く学者(批評家)で、僕のところに著書や論文をよく送ってくれていたので、旧知の間柄という北村氏が会わせてくれたのである。物静かな女性で、僕と北村氏が結局道立文学館の「パワハラ」問題で喧々諤々の議論をしているのを見守っていただけだが、僕のよく知る批評家の「知られざる情報」を聞き、ここでも「なるほど」と納得し、心地よい疲れの中、ホテルに帰って熟睡。
 疲れた。
 

札幌1日目

2008-08-27 09:31:48 | 仕事
 本州(関東)は雨模様だったのに、1時間ちょっとのフライトで千歳空港に降りたら青空、何か「久しぶり」ということで、ホテルにチェックインした後、歩いて北海道新聞文化部へ、電話やメールでは何度も連絡取り合っていたデスクの野村さん(六ちゃん)と社の2階の喫茶ルームで久闊を交わし、近況報告、そこへ僕を北海道新聞へ結びつけた谷口氏が合流、彼は北大国文出身だが、読書家であると同時に進取の精神旺盛な人で、今はメディア局の副局長の椅子にある。彼とは野村氏とよりさらに久しぶりに顔を合わせるということもあって、話は尽きなかったのだが、事前に約束していた出版社の「柏艪社」へ。
 そこでは「増補版 三浦綾子論」の出版について、どのような形で刊行するか,等々、担当編集者と大雑把な打ち合わせをし、細部は今後の話し合いで、ということになった後、出版社の代表(社長)と地方出版の難しさや面白さについて話し、意気投合することが多かった(なんと、この出版社の社長は、神奈川県逗子の出身で、もともとは翻訳家で10年ほど前に札幌に来て出版社を起こし、今では北海道を代表する出版社になっている)。この出版社とは、札幌在住の作家小檜山博氏の全集を出したことから知り合ったのだが、代表と話しをするうちに、「増補版 三浦綾子論」をこの社で出すことの異議を痛切に感じるようになった。ついでにということではなく、ちょっとした仕事も頼まれてしまった。詳細については、具体的になったらこの欄で紹介するが、非常に面白い企画である。
 打ち合わせは6時半の終わり、その後は小檜山氏と合流し、小檜山氏行きつけのすし屋で食事兼飲み会、11時まで盛り上がること切りがなく、その後すすき野のバーで1時半まで。久しぶりに夜の会で、疲れきったという感じだったが、心地よい疲れであった。
 今日はこれからもう一度北海道深部者文化部へ行って、昨日会えなかった記者(編集委員)に会い、その後道立文学館へ行き「資料」を探し、理事長の神谷忠孝氏と会う約束になっている。忙しい1日になりそうだが、雨の札幌も、まあいいか、という気持ちである。

札幌へ行ってきます。

2008-08-26 05:35:44 | 文学
 今日これから2泊3日で札幌へ行ってきます。同率文学館へ行って、今年で没後10年になる三浦綾子に関する「北海道の資料」を集めるのが主目的であるが、その他に三浦文学と関わりの深かった元北大教授(現道立文学館館長)神谷忠孝氏及び作家の小檜山博氏と会い、直接「北海道における三浦綾子評価」について聞くという作業もある。
 なぜ、三浦綾子記念文学館のある旭川でなく札幌なのか、と思われる人もいるかも知れませんが、「資料」は元より「人」という情報はやはり北海道の中心である札幌に集まっているという事実があるということと、他にこれまでの付き合いから「情報」を手に入れやすい北海道新聞文化部の記者にも会うということ、さらに「小檜山博全集」(全7巻)を出した柏艪社の編集者にも会い、僕の本(三浦綾子論)のことについて打ち合わせを行う、ということがあるからに他なりません。
 久し振り(5,6年ぶり)の北海道(札幌)、楽しみでもあるのですが、ひたすら文学館で資料を集め、人と話をするばかりの2泊3日、「観光」など思いも及ばず、北海道新聞社の近くにある大通公園でトウモロコシを食すことができれば御の字である(それさえ、覚束ないかも知れない)。もっとも、ラーメンは数回食べることになるだろうから、それが唯一の楽しみになるかも知れない。
 時間です。行ってきます。札幌でのことは、PCを持って行くので、そちらで書けたら書きます。

宴の後―北京オリンピック余話(感想)

2008-08-25 09:43:57 | 仕事
 北京オリンピックが中国国家を挙げての「国威発揚」「対外PR」事業であり、多くの国民に少なくない「犠牲」を強いたことは、例えば、些細なことであるが、4月に刊行されるはずだった僕の中国語訳『村上春樹論』が未だに刊行されない、という事実からも垣間見ることができる。
 当初、拙著『村上春樹論』の中国語訳は、以前その刊行をお知らせした『大江健三郎伝説』と旬日をおかず刊行されるはずで、どんなことがあっても北京オリンピックの開催前にということで翻訳者にもその旨が伝えられ、急がされたのだが、翻訳者の一人が北京外国語大学の日語系の先生であったことから(もう一人は、筑波大学大学院に留学中の山東芸術大学講師王海藍)、準備段階からオリンピック関連に動員され(『大江健三郎伝説』の訳者である北京大学日語系講師の翁家慧によれば、北京の大学は普通の年より2週間ないし20日ほど前倒しで夏休みになり、外国語ができる教師や学生は皆オリンピックに動員されたとのことである)、そのため拙著の翻訳の仕上げに時間を割くことができず、そのために次第次第に刊行が遅れ、今になってもいつのなるのかわからない、という状態にある。版元は、できるだけ早くに、と言っているのだが、僕にはいかんともし難い状態にある、ということである。
 そんな私事に関わるオリンピックの「余波」は、僕にとっては重要だが、全体的には些細なことである。しかし、昨年6月に北京に行ったときに各所で目撃した、オリンピック施設だけでなくその他の関連事業のために「地方」から出稼ぎにきた(動員された)労働者たちは、「宴」が終わった後のこれからどうするのだろうか、バブル経済の「うまみ」を一度味わってしまった地方出身の労働者たちが、「宴」が終わったからと言って、素直に「地方」へ帰るとは思われない。それは、日本列島改造論(72年)以来日本の各地から「出稼ぎ」に来た人々がその後どのような軌跡を辿ったかを知れば、自ずと想像できる。中国各地から北京や上海などの大都会に集まってきた多くの出稼ぎ農民たちは、その多くがきらびやかな都会の表層とは無縁な下層民としてこれからの時間を過ごすようになるのではないか(中国当局は認めていないが、イエロー・ペーパーに拠れば、大都会では既に「ホームレス」が出始めているという。)。「高度経済成長」がいつまでも続かないというのは、日本の例を持ち出すまでもなく、世界経済(資本主義体制)の鉄則である。ならば、「オリンピック景気」が去った後の中国経済がどうなるか、拙著の刊行によって関係が蜜になった中国だからではないが、いささか気になる。
 また、国内に目を転じると、相変わらず野球チームの星野監督が「敗者の弁」を(要求されての結果だと思うが)語っていたが、およそ自己の責任において「敗因」を分析して「次」(オリンピックとは限らない)に生かそうとする気持ちが全く感じられない「弁解」に、僕としては辟易せざるを得なかった。そして、僕が一番気になったのは、他の競技のオリンピック選手はみんな「選手村」で生活していたのに、野球チームだけは全員ホテル住まいだったという。これで果たしてチームワーク(結束力)を手に入れることができたのか。確かに、全員がプロ野球で高額な年俸をもらっている選手ばかりであったかも知れないが、どんなスポーツでも必要な「ハングリー精神」が野球チームにはないということを、各国のチームに知らしめることになり、それで後れを取ったのではないか、とも考えられる。そんなチームの根本的な在り方さえ正すことのできなかった星野監督(以下、星野監督の「お友達」で組織された首脳陣)に、他チームを圧倒する戦術(作戦)が取れようがなく、負けるべくして負けたのが野球だったのではないか、と思う。星野監督は「頭を丸めて」(実際にしろと言っているのではない、比喩である)、いくつものテレビ・コマーシャルに出て「金稼ぎ」をするのを辞め、真剣に反省した方がいいでしょう。
 もう一つ、僕らがオリンピックのメダル獲得に一喜一憂している間に、どうも「閉塞感」が漂っていた政局が動き出したようで、解散・総選挙が早まるのではないか、と思われる。「数の横暴」を阻止し、「停滞感」を打破するために、ようやく「民意」を示す機会を私たちは持つことになるが、ここで大切なのは、目先のことではなく、長いスパンでこの国のことを考え、それで「民意」を示すことだと思う。このことについては、また改めて書くことになるだろう。

大言壮語・過信・その他諸々―北京オリンピック終わる

2008-08-24 11:53:46 | 近況
 ついついオリンピック報道に時間を奪われてしまったこの2週間であったが、先ほど競技の最後を飾る「男子マラソン」が終わって、決して熱心な観客ではなかったが、この2週間をつらつら思い起こして、日本選手団の在り方について、気になることがいくつかあった。
 そのことについて、箇条書きする。
1.余りに「勝敗」に拘りすぎ、である。「勝者」がいれば「敗者」がいるという のがスポーツではないか。にもかかわらず、「勝つ」ことに拘りすぎているので はないか、と思った。もちろん、開催国中国やその他の国も日本に劣らず「勝  利」に拘っているように思えたが、余りに「勝利」に拘ったが故に、「敗者」に 対する想像力(思いやりと言い換えてもいい)が欠如していたのではないか。こ れは、「格差社会」が進行中の日本をまさに反映したものだと思うが、どうだろ うか。
2.過信が目立った。例えば柔道の男子など、1回戦で敗退するアテネ五輪メダリ ストたちの姿をあれほどまでに見せつけられると、「敗因」は選手を始め関係者 自身の内部に生じた「驕り・過信」以外にない、と思えてならなかった。男子柔 道だけではなかった。男子体操や陸上競技の一部、水泳だって北島康介が2つの 金メダルを取ったために見えなくなっていたが、競技以前の水着問題一つとって も、僕には「驕り」が透けて見えて仕方がなかった。また、先ほど終了した男子 マラソンもそうであったが、女子のマラソンは「期待」されていただけに、あの 惨敗ぶりは、選手の責任(驕り・過信)というより協会関係者の「怠慢」(過信 から生まれたもの)が原因であり、それ以外の何ものでもなかった。怪我をした 選手を、何故競技直前まで隠していたのか、なぜ「補欠」の選手を早くから準備 させておかなかったのか、理解できないことばかりであった。
3.もうこれは「怒り」を通り越して「呆れる」しかなかったのだが、野球チーム の惨敗ぶり、これは何であったのか。北京へ出発する前は、いかにも「金メダ  ル」獲得が当然であるかのような言動を繰り返していた星野監督以下スタッフた ち、銅メダルさえ取れなかったことが分かった昨日、星野監督は「国民」に向か って「申し訳なかった」と詫びを入れていたが、僕にしてみれば詫びるのは国民 に対してではなく、まず選手に対して自分の采配ミスを詫びるべきだったのでは ないか。また、敗北の理由として、「ストライクゾーンの違い」などということ を(星野監督の代わりに)マスコミはこぞって書き立てていたが、そんなことは これまでの経験から当たり前のことで、そのことを知らなかったというのであれ ば、それは「過信・驕り」からくる「怠慢」の何ものでもない。あれほど「一番 輝くメダルを取る」と豪語していた星野監督、彼の采配ミスについては専門家が あれこれ言っており、そのすべてが知ろうとの僕にも納得できるものであった  が、彼は自分の責任をどうとるのか。「敗戦の将、兵を語らず」などということ で、口をつぐんでもらっては、大言壮語した手前、人間としても恥ずかしいこと になるだろうから、是非きちんと「敗戦の弁」を語ってもらいたいと思う。
4.聞くに堪えない中国批判。1964年の「東京オリンピック」当時を憶えてい ない人が多いのではないかと思うので言いづらいのだが、あの時の政府、各自治 体及び競技団体を巻き込んだ「狂想曲」は、僕の実感からすると今回の北京オリ ンピックに負けずとも劣らずであって、もしあの時のことに対する反省(謙虚な 態度)があれば、重箱の隅をほじくるような「批判」など必要ないのに、「中国 嫌い」の国民感情に阿る形で中国批判を繰り返していたマスコミ・ジャーナリズ ムの在り方、気になって仕方がなかった。「排外主義」的な態度を繰り返してい った先にあるのは、「奴は敵だ、敵は殺せ」という戦争の論理ではないか。その ことに対して一顧だにしないマスコミ・ジャーナリズム、これも大いに気になる ことであった。過剰な「期待」を寄せ、負ければぼろくそにけなす。そんなこと の繰り返しが、星野監督のような態度を生み出したのかも知れない。
5.その他、男女ともバレーボールの惨敗ぶり。「メダルを取る」と豪語していた 監督や選手たちは、今どう思っているのだろうか。
 と、ここまで書いてきて、ふと思った。こんな「日本批判」を書くと、またぞろ「ネット右翼小僧」たちの標的にされるのではないか、と。でも……、まあ、いいか。

気になること2、3(その3)

2008-08-23 07:02:02 | 近況
 この「気になること2,3」の最初に「グルジアーロシア」戦争のことについて書いたが、実はもう一つ、北京オリンピックの成績に一喜一憂している日本人に冷水を浴びせるような「戦争」に関する報道があったこと、このことはまさに「気になること」の最大のものであった。
 それは、「NHKスペシャル」の「日本軍と阿片」というもので、内容を簡単に紹介すれば、先のアジア・太平洋戦争(中心は、満州事変から太平洋戦争までの「十五年戦争」)において、戦費を調達する目的で、日本軍が大量に「阿片」を買い付け、それを中国大陸で売りさばいた、そしてそのことで「儲けた金」がなければ、太平洋戦争に突入することはなかったのではないか、というものであった。先のアジア・太平洋戦争を「聖戦」であったとする靖国神社(の思想、漫画家の小林よしのりや他の「自由主義史観」派が吹聴している考え)を「正当」とするような風潮が蔓延し始めている昨今、多くの日本人が知らなかった「事実」を豊富な「資料」を駆使して明らかにした「NHKスペシャル」、8月15日の敗戦記念日から2日後の17日だからこそ放映できたのかも知れないが、北京オリンピックの最中である、日頃はNHKの「弱腰」や「中途半端な態度」を批難している僕も、この「日本軍と阿片」には脱帽せざるを得なかった。
 日本がアジア各地や中国大陸、あるいは太平洋各地で繰り広げた戦争において、例えば「三光作戦」と言われた主に非戦闘員に対して行われた「焼き、殺し、奪う」という作戦については、古くは評論家の平岡正明が言及し、僕も3年前に出した『戦争は文学どう描かれてきたか』(八朔社)で具体的な戦争文学作品を通して、その非人道性について指摘してきたが、日本軍が人間存在を「否定」する阿片を戦争の道具として使用してきたことについては、これまで誰も指摘してこなかったのではないか、と思う。もちろん、「風の噂」のようなことは、これまでにもあった。僕も、先の本を書くときに読み漁った戦争関係の本の中にそのことに触れているものがあったので、「知識」としては「そんなことがあったかも知れない」という程度の知識はあったが、今度の「NHKスペシャル」のように、豊富な「資料=事実」を駆使しての戦争(日本軍)告発は、快挙と言っていいかも知れない。
 関東軍副参謀の板垣征四郎、参謀東條英機、彼らを中心としての中国大陸における「阿片作戦」、上海、天津などに阿片窟を作っての密売、「戦争」というものがいかに平気で「非人間的」な仕業を行うか、どのような理屈(「国家のため」とか「家族のため」と言ったような大義名分・建前)を考えようが、「戦争」という破壊行為は、建物や環境を破壊するだけでなく、人間存在の根底まで破壊すること、このことを明確に「NHKスペシャル」は、抉り出していた。
 金メダルを取ったからといって新聞社が「号外」を出すような北京オリンピック狂想曲を演じている日本で、この「NHKスペシャル」をどれほどの人が視聴したかは分からないが、「グルジアーロシア」戦争で戦車が街中を走る光景や飛行機から投下される爆弾の束を見て、そこに「NHKスペシャル」を重ねたとき、図らずも「戦争」の非人間性が自ずと明らかになるのではないか、と思った。
 それにしても、先のアジア・太平洋戦争を「聖戦」と嘯いてきた人たちは、この「日本軍と阿片」をどんな気持で見たのだろうか(それとも、こんな「反日本(軍)」番組など、端から見ないか?)。一度彼らの見解を聞きたいものである。でも、絶対話さないだろうなー。

気になること2、3(昨日の続き)

2008-08-22 11:50:35 | 仕事
 昨日の続き。
 実は昨日一番書きたかったのは、このことで、それは最近の人間(日本人、老若男女を問わず)は「謙虚さ」が足らないのではないか、ということであった。実は、昨日我が研究科の大学院(博士課程)の8月期入学試験があったのだが(もう1回、2月にも試験はある)、面接官として試験に臨んだ僕が試験中ずっと感じていたのは、「近ごろの人は(若いか年を取っているかは別にして)、どうしてこんなに自信家なのか、たいした能力があるとも思えないのに」というものであった。大学院博士課程の入学試験ということで気張っており、「弱み」を見せたくないと思ってのパフォーマンスとも思え、その点に関しては、遙か昔の自分の体験に照らしても、そうだろうな、と理解できなくはないのだが、全体としては「謙虚さ」のかけらも感じさせない「自分本位(ジコチュウ)」で、思わず「そんなにみんな分かっているのなら今さら大学院など入る必要なんかないだろう」と思わずツッコミを入れたくなるような状況に、辟易せざるを得なかったのである。
 どうも最近の人は、「市中に賢人在り」ということを知らないようで、例えば大学院で学ぶ場合、当然「論文」を書かなければならないのだから、先行研究(あるいは「参考文献」)に当たるというのは、必須の条件なのに、その先行研究への言及がおざなりになっている、ということがある。コピー&ペーストでレポートやちょっとした論文を書くことに慣れてしまった今の学生に、コピーした「先行研究」(論文)がどのように血の滲むような努力の末に生み出されたのか、想像力を働かせればすぐ分かることなのに、コピー&ペーストという「安直さ」に慣れてしまった人には、そのような想像力さえ働かなくなってしまっているのかも知れない。
 地道に文献を読み、そしてそこから得られた知見と自分の本来の考えとをぶつけ合って、そこからまた新たな考えを生み出していく、つまり弁証法的な思考方法が
「研究」のみならず、私たちの生活全般にわたって必要とされていることなのに、そんな生き方の「方法」にさえ思い及ばない人たちの増加、これは由々しきことなのではないか、と思う。
 繰り返すが、「謙虚さ」がなくなってしまった世界、それは「争闘」の世界であり、声の大きい奴が「勝ち組」になる世界と言っていいだろう。そうなれば、人間関係はますます索漠としたものになり、「潤い」がなくなる。極端に聞こえるかも知れないが、秋葉原無差別殺人のような事件が起こるのも、それはこの人間社会から「潤い」がなくなり、ということは「謙虚さ」がなくなるということでもあるが、社会全体が殺伐としたものになっていることが遠因になっているのではないか、思う。人間一人ができることなどたかだか知れている、だからこそ「共同」・「共生」の大切さを知ることが必要なのだ、と僕は思うが、どうもそのような考えは「古い」と言われかねないのが現在、本当にこれでよいのか。
 あなた(君)の周りに、あなた(君)より優れた人がたくさんいる(もちろん、それと同じくらいどうしようもない「バカ」「アホ」もいる。「注」しておくと、この「バカ」「アホ」は学校の成績のことではないから、その点は間違わないように)こと、そのことに気付き、己の言動に対して「謙虚」になる。そうしたとき、初めて見えてくるものがあるのではないか、と思う。「謙虚さ」を失った勇ましい言動は、それなりに面白いが、ただそれだけでしかないというのもまた事実であること、肝に銘じた方がいいのではないかと思う。
 併せて、蛇足的に言っておけば、謙虚という言葉の反対語が「傲慢」であること、このことの意味もまた改めて考える必要があるのではないか、と思う。更に言えば、ネット小僧たちの「匿名性」の陰に隠れた言いたい放題もまた、彼らの精神から「謙虚さ」が失われ、「傲慢」になっていることの現れ、と見ることが出来る。いずれにしろ、それもこれも「壊体」しつつある社会の最後の「足掻き」なのではないか、と思っている。