黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「<盗作>の文学史」を読む

2008-08-31 10:53:45 | 仕事
 前から読みたいと思っていた「市場・メディア・著作権」と副題された栗原裕一郎著『<盗作>の文学史』(3800円+税 新曜社刊)を昨日から読んでいたのだが、読了してまず思ったのは「この著者は文学というものをどう考えているのか」ということであった。
 というのも、「索引」を含めると492ページという大部の著作で取り上げた「盗作」を問題視された作品を果たしてきちんと読んでいるのか、この本は「盗作」や「盗用」、あるいは「剽窃」の疑いを掛けられた作品に関する「情報」によって書かれたもので、それが本当に「盗作」なのか否か、自分の判断を捨象しているのではないか、と思ったからに他ならない。しかも、その「情報」も不十分で、僕がこれは問題だなと思ったのは、「盗作」疑惑をかけられた現存作家に例え断られルようなことがあったとしても、なぜ「取材」しなかったのか、彼ら・彼女らにも「言い分」があったのではないか、という点である。経験的に言って、メディアはそのメディアの「性格」「傾向」「思想」によって、いくらでも白を黒と言い、黒を白ということがある。だから、その「情報」に対する判断は、まず自分のその作品への「読み=鑑賞」があって初めて可能なのであって、他人の「情報」をいくら集めても、「事実めいた」ものは書けても、「情報」を「正しく」伝えられないのである。そのことにこの栗原裕一郎という物書きは気が付いていないのではないか、とおもったのである。
 現に友人として、また批評家として「盗作問題」に関わってきた人間としてこの本を読むと、どうもセンセーショナリズム(もちろん、マスコミジャーナリズム的に)に気を取られて、あるいは著名人の「言動」や著名メディアの「情報」しか見ておらず、それらによって「偏った」判断を行っているのではないか、と思わざるを得ないのである。例えば、僕も巻き込まれた井伏鱒二の「『黒い雨』盗作疑惑」問題に関して、「盗作」を言い出した広島在住の老歌人豊田清史の言説が全くの「言いがかり」で、結論的には「目立ちたがり屋」の「世迷い言」であったというのは、この本の中でも取り上げられている相馬正一(太宰治・井伏鱒二の研究者)をはじめとして、広島在住の研究者や文学者(井伏が「黒い雨」を書くきっかけになったとされる「重松日記」の著者重松閑間氏の息子の証言なども含まれる)、あるいは僕(僕は、相馬正一より早く彼とは全く別な形で合計して200枚ぐらいの豊田清史批判を書いている)によって完膚無きまでに批判されていることに、全くこの本は目配りしていない。今夏ヒロシマから送られてきた雑誌(短歌誌)を見ていたら、自分の著書や書いた文章によって「被爆場所」がくるくる変わる被爆歌人豊田清史の「いい加減さ」を批判する実証的な文章が載っていた。今まで同じ歌人として我慢していたのだが、昨今の言動が余りにも「目に余る」ので書いた、と記されていた。そのような人物の「捏造」「誹謗中傷」をあたかも「正義」の如く取り上げて井伏批判を展開した猪瀬直樹や谷沢永一の「言」を大きく取り上げているこの本は、それだけ見ても「信用できない」と言わねばならない。
 もう一つ、立松和平の『光の雨』事件についても、この小説の根幹をなす「連合赤軍事件・問題」には一切触れず、もっぱらどのようにこの「盗作事件」が処理されたのかに費やされており、事件が沈静化した後立松が全力を投入して書いた『光の雨』について、「盗作」が云々された「すばる」誌連載の作品とどう違うのかの検証さえ行わず、スキャンダルとしてしか扱っていないという、「文学」と無縁の説明になっている。また、一番新しい「盗作」疑惑に関して、2007年10月30日の「毎日新聞」に寄せられた茨城県の主婦の文章を、札幌在住の小檜山博がJR北海道の社内誌に連載している掌編小説で「盗作」(極似)していたという問題、現地で話を聞けば、当時北海道で部数獲得競争を繰り広げていた「毎日新聞」と「北海道新聞」(小檜山は長い間北海道新聞の社員だった。今でも小檜山と北海道新聞は切っても切れない関係にある)の「あおり」を受けたのではないか、ということで、およそ「文学」とは関係ない話になっている。このような本を出すということは、散り方によっては作家生命を脅かすことだってあるだろう。そのことを考えれば、栗原のフォローは足らなかったのではないか、と思和ざるを得なかった。それに僕の知る戦後文学の巨人による「盗作」問題(多くの文壇関係者には周知のこと)について1行も触れていないのも、ちょっと腑に落ちないことである。
 忙しいのに、ついつい読んでしまった。誰しもスキャンダルが好き、ということか? だから「文学」は面白い、とも言えるのだが……。