黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

気になること2、3

2008-08-21 18:30:35 | 仕事
 ずっと気になっていてきちん書かなかったことの一つに、グルジアとロシアとの「南オセチア自治州」をめぐる戦争のことがある。理由は、「民族問題」と国際情勢とが複雑に絡み合った今度の「戦争」について、オリンピック報道にスペースを奪われ、「情報」が少ないということもあり、書きようがなかった、ということなのだが、2年半前、ヨーロッパの小国(人口196万人)と言っていいスロベニアで1ヶ月過ごした経験から言うと、ヨーロッパにおいて「小国」が独立を保ったままどのような生き方をしていくのか、常にそのような課題を突きつけられている、という実感があった。
 それは、民族問題が即「宗教問題」であり、歴史的な問題でもあるという、一部の政治家による「単一民族」などという阿呆な言い方を簡単に許容してしまうような日本とは、全く異なった感覚をそれぞれの国が持っているという現実、それは明らかに「違和感」をもたらすものであった。スロベニアにいる時、母方の祖父母がフランス人とイタリア人、父親が日本人(祖父母は日本人)、母親がスロベニア人、という人に会ったことがあるが、彼女は当たり前のようにスロベニア語以外にフランス語、イタリア語、日本語がネイティブのように話せ、日本語以外はブロークンな英語しか話せない僕がそのことに驚くと、そんなのは「普通」で、5ヶ国語、6ヶ国語を話す人はたくさんいる、という返事。当然、そこには「宗教問題」も絡んで、事情を複雑にする、ということがある。
 国情が違うとはいえ、そのような「違い」が何故生じているのかを考え、その上でグルジアとロシアの戦争を合わせ考えると、「戦争」という最大の破壊行為がこの地球上から無くならないことに、「無念さ」を抱かざるを得ない。アフガン、イラク、スーダン、ソマリア、そしてグルジア、この地球上から戦火が消えることはないのだろうか。

 もう一つ、麻生自民党幹事長の農林水産大臣が発言したとされる「やかましい消費者」という言葉に対して、これは「関西以西の方言で、やかましいというのは詳しいという意味だ」というような苦し紛れのサポート、百歩譲って、農水大臣の問題発言に対して、関西以西で暮らす「消費者=書身・普通の人」が、あれは「福岡の方言で、<やかましい>というのは、<うるさい>という意味ではなく、<くわしい>という意味だ」というのであれば、なるほどそういうこともあるか、と思う人も入りかもしれないが、公党の幹事長が「あれは方言だ」などと言って発言者をかばうというのは、調子の乗りすぎで、これほど国民を馬鹿にしたせりふはない。
国民はなめられているのだ、と思う。そんな「下劣」な政治家が、次期総裁候補だという、そのような期待を寄せる国民もまた、非難されなければならないのは、言うまでもない。
 政治家の「言葉」が軽い、とは常々言われてきたことだが、今度の麻生さんの「言い訳」も軽く、責任ある人の発言とは到底思えなかった。言葉が軽く使われるというのは、内部的に何かが確実に「壊れ」てきている証の一つでもある。そのことを麻生さん、自覚しているかしら?

 疲れた。続きは明日。

国威発揚?

2008-08-20 06:20:09 | 近況
 北京オリンピックも開幕から10日以上経って、もう終盤に入ったのではないかというような気持になっているが(それは、もう早く終わって欲しいという気持ちの表れと言っていいかも知れない)、何故そのような気持ちになるかと言えば、オリンピック報道に狂奔しているマスメディアの過剰と思える「国威発揚」意識に、もううんざりしているからに他ならない。
「国民すべての期待を背負って」とか「日の丸のために戦っています」とか、「国民のすべてが応援している」というようなアナウンサーやコメンテーターの言葉を連日聞かされ、かつその反面「他国」(特に開催国の中国)を貶めるような発言を平気で行う彼らの姿を見ていると、だんだん「おぞましい気分」になってきてしまい、最終的にはチャンネルを換えることも、この頃はしばしばである。「オリンピックはまさに国債<政治>そのものである」と言ったのは、確かスポーツライターの玉木正之だったと思うが、その言葉を地でいくような「国威発揚」発言、その返す刀で「平和の祭典・オリンピック」などと平気で叫ぶ彼ら、日本のマスメディアはそんなに「ナショナリスト」が多かったのか、と思わずチャリ(ツッコミ)を入れたくなってしまうが、そのような「熱狂的」なオリンピック報道の蔭で、相変わらず「サピオ」などの右派ジャーナリズムは、「ナショナリズム」意識が高揚しているこの際にとばかりに「反中国キャンペーン」を大々的に繰り広げている。
 それらのことと深く関係しているのだと思うが、もう一つ気になって仕方がないのは、選手個々の能力を過大に評価した揚げ句に「大きな期待」を強制することである。例えば、女子マラソンの土佐礼子選手が10キロ過ぎから顔をゆがめながら走り続ける姿に対して、素人だってもう彼女はダメだ、リタイアした方がいいと思っているのに、マスメディアの側は誰一人「もうやめた方がいい」と言わなかったのも、彼女の足の外反母趾が悪化しているということを知りながら、彼女に「過剰な期待」を寄せていたからではないか。そこで思い出すのが、近代オリンピックの開催に貢献したとされるクーベルタン男爵の、「オリンピックは、参加することに意義があるのだ」という言葉である。いささかカビの生えた言葉だとは思うが、「政治」=ナショナリズムと「商売」がこれほどまでに全面に躍り出たスポーツの祭典に対して、原点に返るべきではないか、という「田作の歯ぎしり」ならぬ「田作のつぶやき」を漏らし、天の邪鬼の存在を知らしめるのも一興かな、と思ったのである。
 まだまだ、競技は最終の男子マラソンまで続く。終わるまで、ニュース番組までジャックしたオリンピック報道に対応しなければならないのかと思うと、やはり「うんざり」してしまう。「国」を背負わされた選手たちに同情しながら……。

「怒声」に怒りが……

2008-08-19 10:17:53 | 仕事
 僕の家は再三再四書いているように、群馬の田舎にある。周りは静かな「半農半住宅」地で、かつて桑畑であった土地に建築した家は、都会に住む人から見れば「別荘」と考えられるような、そんな場所にあるのだが、引っ越してしばらくしてから気が付いたことは、小学校と中学校が近いことの功罪である。小さかった子供のことを考えて、自宅から学校まで歩いて5分という近さと地価も安かったということもあり、そこに家を建てたのだが、昼間家で仕事をしていると、時々聞くに堪えないような「怒声・罵声」が聞こえてきて、心が乱されることがある、ということである。10年ほど前は、ほとんどそのようなことはなかったのだが、2,3年前から男女を問わず、大人(恐らく教師だろうと思うのだが)の「怒声・罵声」がひっきりなしに聞こえてくるようになった。
 今朝も、昨日に引き続いて、「ばか!何やってんだ」といった意味の「怒声・罵声」が聞こえてきて、思わず腰を浮かせるところだった。たぶん、午前中の「部活」指導に来た顧問の教師が発した言葉なのだろうが、グランドから川と道を隔てた我が家まで届く声、「熱血教師」なのだろうが、子供(中学生)を人間扱いしないような、「下品」で「乱暴」な言葉、僕も人様を批判できるほど「上品」で「穏やか」な人間だとは思っていないが、そんな僕でさえ思わず腰を浮かせて、その「怒声・罵声」を発している教師の面前で、「人の子供だろう、もっと言葉遣いに気を付けたほうがいいのでは?」と文句を言いたくなるような、たぶんアメリカなら即刻「侮辱罪」で訴えられるようなことが平気で行われている、飛躍しているように思われるかも知れないが、こんな「師弟=人間関係」が日常的に行われていれば、「秋葉原無差別殺人」のような事件が起こるのも無理ないかな、と思ってしまう。この日常的に発せられる「怒声・罵声」は、何も男ばかりとは限らない。女教師も、「何だてめえ、ぐずぐずしてるんじゃねえ」というような言葉遣いを平気でしている。
 「文化」というのは積み重ねであり、「伝統」を無視して成り立たないことを考えると、男女を問わず中学校の教師が「怒声・罵声」を発するのは、どこかで自分が経験してきたことに間違いなく、自分の「足らなさ」に気が付かないのだろう。時々恐ろしくなることがあるが、こんなことの積み重ねの先に、大学生たちの生活(教師と学生たちの関係)があると思うと、今更僕が何を言っても無駄かも知れない、というような無力感に襲われる。前に僕がゼミ生たちの余りの「ジコチュウ」ぶりを嘆いたら、たぶん同世代と思われる人に「お前は学生に嫌われているのだ」といった主旨のコメントが寄せられたことがあるが、「好き」とか「嫌い」とかの人間的(感情的)レベルが入り込む余裕がないほど、現代の指定(人間)関係は「荒涼」としているのではないか。
 昨日で「夏の甲子園大会」は終わったが、むかし野球エリートとして(学力でなく)甲子園の常連校に進学した年下の友人(卒業時に、5校の大学野球から「特待生」として迎えると誘いがあったという)が、もう「エリート野球」は絶対したくないと言って野球から足を洗い、失敗するとモップで部員の頭を殴った監督の顔は二度と見たくないといって結婚式にも呼ばなかった、というのを知っているが、「怒声・罵声」で運動部の指導ができると思っているとしたら、その教師は余程の「間抜け」である。
 今この文章を書き終わって、ようやくグランドから「罵声・怒声」が聞こえてこなくなったが、午前中の部活が終わったのだろう。僕も「怒り」を鎮めて、「村上龍論」の続きを書こう。
 

「小さな共同体」を想う。

2008-08-18 15:30:38 | 文学
 今朝の朝日新聞を見ていたら、あの「公害」の忌まわしさを象徴する「水俣病」の患者さんたちと寄り添い、資本制社会の企業(チッソ)が「利益」を挙げるためにはいかに人間性を無視した行為を行い得るるかを告発した『苦界浄土』の作者・石牟礼道子さんが、「無差別殺人」などに代表される昨今の様々な社会事象について、日本の風土と合致した「小さな共同体」(詳しい説明はなかったが、要するに「隣近所」「隣組」といったニュアンスの共同体を指しているのではないか、と思う)が日本のどこからも「消えてしまった」せいではないか、と言っているのが目についた。
 石牟礼道子さんがインタビューアーに答える記事は久し振りだと思うが、相変わらず鋭い指摘だな、と感心させられた。僕は今のところに住んで35年以上経つが、かつて行政区が「村」であった田舎で長く暮らしていて、痛感するのはまさに石牟礼さんが指摘した「小さな共同体」、つまり「隣近所の付き合い」がだんだん希薄になり、今や「寄付」とか「道普請」とかいった「形式的」なものだけが残るという状態になってしまっている。例えば、僕の家のあるところには、かつての畑にゆとりを持って7軒ほどの家が建っているのだが、かつて僕らが若かった頃は、村のスポーツ行事だとか会合にほとんどの過程から最低1名が参加し、その時に各家庭の事情などを差し障りのない範囲で話し、その結果、どこの家庭に何年生がいるとかお祖父さん(あるいはお祖母さん)は健在であるとかの「情報」が自然に入ってきたものである。が、現在では裏の家の子供がどこの大学へ行っているのかも知らない(知らされない)状態になっている。
 もちろん、他所から転入してきた僕など、いつまで経っても地元の人から見れば「余所者」で、その意味では「小さな共同体」の住み難さを嫌と言うほど味あわされたものだが、しかし何かの行事が終わった後に、会費制でちょっとした飲み会をするような関係がなくなってしまった昨今、これでいいのか、と思わないわけにはいかない。たまにあっても、老人ばかりで、若い人は皆無という状態。そんな状態を受けて、よく家人と話しをするのだが、今大学生になった近所のあの子この子と街中で顔を合わせても、中学生や高校生の時代になると会うことが極端に少なくなって顔が分からなくなっているので、相手が挨拶してくれない限りどこの誰だか分からないのではないか、ということがある。こんな状態だから、都会のアパートにおける一人暮らし老人の「孤独死」と同じことが、早晩「田舎」でも生じるのではないか、と思っている。
 とこんなことを書くと、僕の家庭菜園に苗を持ってきてくれたり、収穫物を届けてくれる近所の農家の人たちとの関係はどうなっているのか、と思われるかも知れないが、そこは「田舎暮らし35年の知恵」というものがあり、散歩がてらの「探索」を繰り返す内に、どちらともなく声を掛け合い、その結果「仲良し」になり、野菜作りや種まきの時期、手入れの方法などを教えてもらうことができる、というわけである。お返しに、僕が仕事で地方や外国に行ったとき、ちょっとしたおみやげ(酒などが多い)を持って行く、ということをする。積極的に「やりもらい」を行っているのである。その意味では、僕ら家族は「小さな共同体」を自分たちの周りに作っていると思っているが(相手がどう思っているかは分からないが)、身近なところから「共生」をささやかにでも実践していかないと、もう日本はだめになるのではないか、と思ってのことである。
 本来は学生と教師の間、あるいは同僚との間にもこの「小さな共同体」は形成されるべきなのだろうが、「利害」が絡んでくるからなのか、どうも絶望的な状況にあるように、僕には思える。淋しいけれど、それが現実なのかも知れない。
 しかし、石牟礼さんが言うように、もう一度「小さな共同体」の持つ意味を考えないと、日本は本当にダメになるかも知れない。今、3年前にベストセラーとなった村上龍の『半島を出よ』(上下巻)について書いているのだが、2010~2011年の日本社会を舞台とするこの近未来小説について、考えれば考えるほどその「リアルさ」に圧倒される。9月末までに『村上龍論』を仕上げる予定になっているのだが、この『半島を出よ』論でも様々な角度から作品の持っている価値を考えているので、なかなか筆が進まない。別な仕事も待っているので、早く仕上げないと「糞詰まり」状態になってしまうのだが……。

靖国神社参拝・ナショナリズム

2008-08-17 06:50:57 | 近況
 毎年、「8・15(敗戦記念日)」に靖国神社に参拝する国会議員や閣僚の姿がテレビなどのマスメディアで取り上げられ、時の東アジア情勢(中国・韓国との関係)などとの絡みで様々に報道されるが、いつも僕が「何故?」と思うのは、例えば今年参拝した小泉元首相や安倍前首相など要職にあったほとんどの政治家が、報道陣に「どういう思いで参拝したのか」と問われて、確信犯的な「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長:島村宜伸元文相)に所属する政治家たちは別にして、誰もまともに答えようとしないことである。今年も保岡法務大臣、「消費者がやかましい」と発言して物議を醸した太田農水相、郵政選挙で離党経験のある野田聖子消費者行政推進担当相の3閣僚が参拝したというが、3人とも何故参拝したのかその理由を報道陣に語ることなく、神社を後にしたという。
 もっとも、石原東京都知事のように「日本が水運に向かわんように」と分かったような分からないような頓珍漢な言葉を残して神社を去った政治家もいたようだが、いくら戦争における犠牲者の「御霊」を祀っているとは言え、先のアジア・太平洋戦争を「聖戦」と捉え、一貫して日本の「正当性」を信じ続けてきた靖国神社に参拝するというのは、どういうことなのか、「戦争」は「絶対悪」の一つであり、「戦争」をなくすためにこそ人間の生きる意味があるのではないかと考えてきた僕にしてみれば、例えば野田聖子などというこれから「消費者問題」に取り組んでいかなければならない――ということは、食料を大量に輸入している中国やアジア諸国との関係を真剣に考えなければならないということであり、それ以前に「平和憲法」の下で教育を受けたはず、ということもある――若い政治家が参拝理由を明らかにしないまま「問題」の靖国神社に参拝する、不思議で仕方がない。野田議員が地盤とする岐阜一区の選挙民たちはどう思うのか(もしかしたら、岐阜一区の選挙民に阿て、敢えて参拝したのかも知れないが、もしそうであれば、野田聖子という国会議員は「選挙」のことしか頭にない、とんでもない議員ということになる)。そんなことを思うと、「8・15」にまつわる「おぞましさ」が倍加するが、その「おぞましさ」は戦争の犠牲者が靖国神社に祀られている「英霊」だけでなく、「敗戦記念日」の時にも書いたように、2000万人にも上るアジア全域の人々であり、また敗戦後の飢餓と混乱の世の中を生きなければならなかった日本国民全体である、という認識から生まれたものである。
 それにしても、関係者が戦争の犠牲者であるから参拝したという人は別にして、旧日本軍の軍服を着たり、進軍ラッパを吹き鳴らしながら参拝する人たちは、どのような心境なのか、彼らの姿を見ていると「おぞましさ」が先に立って、戦争から帰ってきた父親の心がどこか「壊れてしまった」と感じ続けてきた僕には、ほとんど理解できない。彼らの一人は、取材していた若い東京新聞記者に「お前は左翼だろう?」と言ったという。この言葉を聞いて、「左翼」という言葉がかつての「アカ」と同じ意味で使われている現実を知り、慄然とすると共に、このようなレッテル貼りによって社会が「おかしな方向」に動かされていくのか、と改めて思わざるを得なかった。
 そんな「8・15」にまつわる狂想曲を眺めていると、改めて日本の「ナショナリズム」がどうも「偏頗」で「狭小」なものとして顕現してきているのではないか、と思わざるを得なかった。時は「北京オリンピック」、「ナショナリズム」が最も喧伝される時、靖国神社参拝と北京オリンピック、どちらの「ナショナリズム」を前面に出してのイベント、僕らは冷静に考える必要があるだろう。

本日は「敗戦記念日」

2008-08-15 11:01:10 | 近況
 昨日も書いたが、本日は「敗戦記念日」(「終戦」という曖昧な言い方は、先のアジア・太平洋戦争の性格をも別なものにしてしまうのではないか、と思う)。今朝の各新聞は1面の端に「政府公報」(厚労省所管)として「本日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日です。本日(8月15日)、日本武道館において、政府主催の『全国戦没者追悼式』が行われます。国民の皆さま、それぞれの職場やご家庭などで戦没者に対して、正午から一分間の黙とうをお願いします」の文が掲載している。いつ頃から「政府」主催の「全国戦没者追悼式」が行われるようになったかは定かに記憶していないが(八月一五日に行われるようになったのは、僕が中学生の頃からとおぼろげに記憶している)、毎年の天皇や時の首相が演説するその内容から、ここで言う「戦没者」は「日本国民」に限られているようで、アジア・太平洋戦争の本質(=侵略戦争、決して「自衛」の戦争ではなかった)を考えると、毎年のことながら「違和感」を抱かざるを得ない。
 というのも、日本人の戦没者(軍人・軍属:230万人、市民:80万人)の何倍ものアジア人が(約2000万人と言われる)アジア各地、中国大陸で戦争の犠牲になった事実を踏まえれば、この「全国戦没者追悼式」では、アジア各地で犠牲になった人たちへの「追悼の言葉」があってしかるべきなのに、そのような発想が微塵も見られないからに他ならない。もちろん、最近の天皇や首相の言葉には「アジアの人々に多大な不幸を強いた」といったような「抽象的」な言葉を使った「反省」も見られなくはない。「歴史」認識に関する中国・朝鮮(韓国)との違いを考慮しての言葉だと思うが、中国や韓国がからの批判を承知で、先の大戦を「正当化」する靖国神社を首相や閣僚が参拝してきた事実を考えれば、アジア各地で生じた約2000万人もの犠牲者を本当に悼んでのことでないことは、火を見るより明らかである。
 その意味で、僕らは今日の「敗戦記念日」にあって、63年前のことであるが、もう一度「負けるべくして負けた」先のアジア・太平洋戦争について思いを巡らし、かつ二度とあのような「不幸」な経験をしないよう(起こさないよう)、強く思う必要があるのではないか。「1分間の黙とう」などではなく、今日1日ずっと「戦争」のことを考える方が、余程大切なことである。そして、300万人以上の日本人戦没者を悼むと同時に、約2000万人のアジア人の死者に対しても「哀悼」を捧げ、過去の「歴史」に対しても何が「真実=事実」であるのか、自分の頭で考えて欲しい。努々「小林よしのり」や「藤岡某」とかいった「自由主義史観派の言動に従うなどということはやめてもらいたい。
 つまり、どんな客観的な事実も無視して、自分の信じる道を行く、といった風な美談まがいの歴史認識は、もう打ち止めにしてもらいたい、ということである。確かに、今開催中の北京オリンピックを見れば分かるように、どの選手も「国」を背負っているように見え、観客もまた「国威掲揚」を促すような態度を見せて、それが当たり前のようになっているが、果たして本当にそれでいいのか。昨日の柔道鈴木選手のように、「国」を背負ってしまった重圧に耐えきれず、アテネ五輪の金メダリストにもかかわらず、為す術もなく1回戦で敗退してしまったということもある。「国」など背負ってろくなことはない、というのは「神風特攻隊」などの戦争末期の特攻戦術が余すことなく僕らに教えてくれていることである。
 正午になったら、アジア・太平洋戦争の「すべて」の死者だけでなく、現在もなお戦闘が続くアフガン戦争やイラク戦争の死者にも哀悼の意を捧げよう。反戦・反核の強い意志を込めて!

「死者の時」

2008-08-14 10:24:20 | 文学
 昨日の東京新聞を見ていたら、文化欄に「社会時評」を連載している作家の高村薫が「戦争を遠い記憶にしない」と題して、8月が「戦争」や「戦争による死者」について考える月であり、年中行事化や風化が叫ばれているが今日であるが、8月6日・9日の「ヒロシマ・ナガサキ」から8月15日の敗戦記念日まで「記憶し続けることを自らに強制する」必要があると言い、次のように締め括っていた。
 <戦争も核兵器も、私たちはいまのところ直接に体験することができないし、人 は体験しないものを心身に刻むことはできない。体験のない戦争について考える のはどこまでも理性であり、理性を発動させる意志である。今日薄れているのは 記憶よりも、私たちの理性と石田と思う。>
 この高村の文章における「理性」を「論理」とし、「意志」を「反戦・反核の思想」と読み替えれば、彼女の考え方は僕の考え方に近いと言える。もっとも僕は、「戦争」(この場合は、「アジア・太平洋戦争」であって、日本が深く関わった戦争という意味で広く捉えられた、朝鮮戦争やベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争ならば、「間接的」ではあるが、それなりの体験をしている、と思っている)のことを考える場合、高村薫が言う「理性」と「意志」の他に、「想像力」が必要だと思っているが、それは現代人(特に若い世代)に戦争や核被害についての「想像力」がないが故に、高村薫が次のように言うような現象が起こっていると考えているからに他ならない。
 <戦争があったことも知らない若い世代には、平和は退屈なものであるらしい。 彼らは未来の殲滅戦争と廃墟を描くアニメーションで非日常の夢を代弁させ、日 常の厳しい社会生活には「希望は戦争」という虚無で相対し、それもできなけれ ば、ネットの掲示板に「殺す」「破壊する」と書き連ねる。六十三年間も続く平 和は、戦争がつくりだす本ものの破壊と死のかわりに、架空の暴力を用意して、 人間の破壊願望を満たしているのである。そして、私たち社会もそれを黙認す  る。>
 更に言えば、もちろん「過去の戦争やヒロシマ・ナガサキ=歴史」から何も学んでこないのは、何も「若い世代」だけではない。「大人」たちだって学ばない人はたくさんいる。特に「政治家」の場合は、「選挙」ということがあるからなのだろうか、学ぼうとしない人たちが多い。「南京大虐殺は幻だ」などと戯けたことを声高に言い、「核武装論」を唱える、こんな政治家が一国の指導者であったり、自治体の首長であったりする。一般的には「不変=普遍」だと思われる思われている小中高の教科書だって、大江健三郎の「沖縄ノート」の記述に関する裁判が起これば、沖縄戦における「集団自決」の記述を改めることに象徴されているように、その記述が時々の「権力」に左右されるという現実、今年の「八月十五日」を明日に控えて、僕らはもう一度高村薫が言う「戦争を遠い記憶にしない」という言葉を改めて噛み締める必要があるのではないか。
 いかに「戦争」や「ヒロシマ・ナガサキ」が人間の普通=当たり前の営みに版下出来事であり、それらをこの地上からなくすことはどんなに必要なことであるかについて、僕は二年前に『若い人向け」にということで、『戦争は文学にどう描かれてきたか』(1800円 八朔社)と『原爆は文学にどう描かれてきたか』(1600円 同)という2冊の本を同時に出したが、小さな出版社であるが故に、この2冊の本のことについては残念ながらあまり知られていない。読めば、いろいろ知らなかったことを知ることができるようになり、石原慎太郎などの言葉がいかにデマゴギーに満ちたものであるかが分かると思うのだが……。

お盆

2008-08-13 07:03:37 | 近況
 お盆が来ると思い出すことがある。それは、8月13日(今日)の「迎え盆」に家紋の入った提灯をもって墓に行き、そこで提灯に火をともして家まで帰り、その提灯の火で、家の門口に用意された野菜で作った動物(馬など)と共においてあった麦藁に火を付け、その火で仏壇のろうそくに点火することであり、また16日の「送り盆」の時には、仏壇のろうそくから提灯に火をつけ、墓まで消えないように持って行く、一連の盆行事のことである。お盆中は、殺生することを避ける風習があったので、連日近くの川へ行ってヤスでついたり釣りをしたりする子供の「遊び」も自粛され、子供も何となくおとなしく過ごしていたものである。
 そんなかつての「盆行事」も今では全く廃れ、墓参りさえ余り行われないことがあるという(これは、僕の家の墓がある住職の話でもあるが、都合があって盆の最終日に墓参りをしなければならなかったとき、何軒かの家の墓には供花も線香の燃えかすもないのを目撃したことがある。僕の家の墓は田舎にあるのだが、余程の事情がない限りほとんどの家が13~15日の間に墓参りをする)。今流行りの「スピリチュアル」何とか、に加担するわけではないが、日本人の間に「先祖を敬う」風潮や大袈裟に言えば「宗教心」が希薄になってきていることは、非科学的と言われるかも知れないが、最近気になって仕方のないことの一つである。
 それというのも、僕が最近訪れたスロベニアでもベトナムでも中国、アメリカでも通過中に見た墓地のほとんどの墓には、現地の人に聞くと特別な日ではないということだが、花などが飾ってあり、墓参する人の姿もずいぶん見かけた。キリスト教とか仏教とかの区別なく(と、僕には思えた)、墓(先祖)に対する思いが日本人と違うのではないか、と思ったものである。
 こんなことを書くと、またぞろ「悪いのは日本人だけか」といった風なナショナリストからの批判を受けるかも知れないが、自分が今在ることの意味を広く考えたら、自分を生み出してくれた先祖や関係する人たち(親戚など)への思いを強く持つこともまた必要なことなのではないか、と思うのである。「ジコチュウ」に陥るのも、自分の存在が他との関係で成り立っていることに無自覚であり、他への関心が希薄だからなのではないか、と思えてならない。「ジコチュウ」と墓参りは直接的には関係ないかも知れないが、まず自分の周りの人たちに対してどのように対応するか、とうことを考えたら、墓参りを機に、自分の今在ることに思いめぐらせるのも、いいことなのではないか。また、僕の家の墓が田舎にあるせいか、古いけれど立派な墓石を見ると、必ず何基か「戦死者」の墓がある。いつの戦争によって亡くなったのかは、墓名碑や墓の後ろ(横)の文字を読めば分かるが、墓参りのついでにこの国の「歴史」について思いを巡らせるのも、自分一人で生きているのではない、ということを確認する意味でも大切なことなのではないか、と思うが、どうだろうか。
 古臭い、と言われるかな?
 これから恒例となった僕の家と家人の家の墓参りに行ってきます。同じ群馬県内なのですが、かなり離れているので1日がかりです。

コメントの返事ができません。どなたか、アドバイスを。

2008-08-12 19:08:25 | 近況
「Unknown」三から、アドバイスをいただいたのですが、隠された4桁の数字を読み取って「投稿」をクリックしても、投稿できません。原因は何でしょうか、おわかりの方、教えてください。
 ですので、以下は「Unknown」さんへの、僕の返事です。

 たぶん、あなたはお若い方なのだろうと推測しますが、若い人の考え方をあなたが代弁しているとは思いませんが、なるほどそうか、歴史の捉え方が僕らとあなたたちとは違うのかも知れない、と痛感しました。
 僕は戦後生まれ(1945年12月)で、父親が戦争に行った世代で、近所にガキ連中や同級生の中にたくさん「父なし子」がいる環境で育ってきましたので(僕の一番親しい友人は、1945年8月8日、旧満州奉天生まれで、父親の顔を全く知りません。昭和20年8月8に、満州・奉天生まれが何を意味するか、くどくどと書きませんが、そのような子供がたくさnいる中で僕は育ちました)、小さい頃から「反戦」は当たり前の考え方だと思って、今日にまで至っています。「殺すな!」がたぶん僕の一生を貫く倫理になるだろうと思っています。
 そのような人間であるが故に、何十万人もが一発の爆弾で亡くなり、同じぐらいの人が「被爆者」として何十年も苦しい思いをすることになった「ヒロシマ・ナガサキ=核戦争・核兵器」はどんなことがあっても許すことのできない武器で、日本人はその被害をまともに受けた唯一の存在として、どのような世界情勢(極東情勢)になったとしても、最後の最後まで「反核」「核廃絶」「核武装反対」を貫き通さなければならないのだと思っています。 
 このことは、朝鮮を植民地化したこと、つまり他民族を隷属させることの「間違い=悪」を告発することと通底します。僕らは、あなたたち若い人たちは知らないかも知れませんが、ガキの頃、日本がアメリカに占領されたこと(植民地化と同じ状況)によって、屈辱的な思いをしました(アメリカ兵に向かって汚い服を着て「ギブミーチョコレート」と乞食のように叫んだのは、僕らです)。
 ですから、あなたが朝鮮の植民地化は「世界情勢的に見て国家国民を守るためにもの」であった、という論理は承伏できません。日本帝国主義の「野望=膨張政策=侵略」を肯定したら、日本人350万人の死者と日本人以外のアジア人全体で2000万人以上の死者をだした先の太平洋戦争(アジア・太平洋戦争)も認めなければならないことになってしまいます。そうなれば、果たしてアジアの近隣諸国と今後も友好を保っていけるか、「共生」していけるか、という大きな問題もデッドロックに乗り上げてしまいますし、僕の考えからもそのような態度は認めることができません。
 どうぞ「Unknown」さんも、「自由主義史観派」を喜ばせるような考え方について、再考してみてくれませんか。
 なお、「後コメント」について、なたが仰るように4桁の数字を読み取ってから「投稿」をクリック捨ているのですが、何度も数字が出て、その都度同じ動作を行っても投稿できないのです。他に何か原因があるのでしょうか。今回も3度試みましたが、ダメでした。

困りました。そして昨日のこと。

2008-08-12 06:39:52 | 近況
 困りました。「コメント」欄から僕の「返事」が送信できなくなりました。もしどなたか、原因がおわかりの方、教えて下さい。それで、近々の「コメント」欄に意見を寄せてくれた「Unknown」さんへの僕の考えを、ここに書きます。
<Unknownさんへ>
 あなたの仰るとおり、「レッテル貼り」を得意としているのは、マスコミです。「真実」を伝えると称して、電波通信法という「縛り」があるから仕方が内面もあるが、権力に阿るような「報道」に傾きがちなマスコミは、結果的に表層的な「レッテル貼り」に終始しがちです。そしていつの間にか、あなたの言うように僕らは「洗脳」されてしまうということもあるのではないか、と思います。
 ですから、僕らはマスコミ・ジャーナリズムによる「報道」(トピックスのお知らせ)に関しては、それは「考えること」の入り口=きっかけにすぎない、といった姿勢を堅持すべきなのではないか、と思っています。また、事情が許すならば、複数のメディアから「情報」は手に入れることも、「レッテル貼り」の害から免れる一つの方法だと思います。
 なお「核問題」に関してですが、あなたの「事実認識」は少し違っているのではないでしょうか。確かに、日本はアメリカと「日米安全保障条約」という軍事条約によって「同盟国」(というより、実際は軍事的に日本がアメリカの「従属国」になっていると言った方がいいでしょう)になっていますが、そもそも「日米安保条約」そのものが冷戦時代の産物で、旧ソ連や中国、北朝鮮といった「社会主義国」に敵対する(アメリカの太平洋戦略の一翼を担う)ために結ばれた条約です。そのことを前提に北朝鮮と日米の関係を考えると、アメリカ(とそれに追随する日本)は朝鮮戦争以来の「敵国」である北朝鮮に対して、相変わらず「仮想」ではなく「現実」の「敵国」として捉えており――北朝鮮に対して「悪の枢軸」と言ったり「テロ支援国家」というレッテルを貼って、敵対しているのは、ご存知の通り――、アメリカと異なる過去の歴史(朝鮮植民地化の歴史)を持ちながら、アメリカの尻馬に乗って北朝鮮を「仮想敵国」としているのは日本です。北朝鮮が日本を「仮想敵国」にしているのは、順序が逆だと僕は思います。日本が北朝鮮と未だに国交樹立しないのは何故か(今日本政府が一番気に掛けているのは、中国の時と同じように、日本の頭越しにアメリカが北朝鮮と「国交樹立」してしまうことだということを考えても、日米・北朝鮮の微妙な関係が理解できるでしょう)。
 核問題は、以上のような国際政治と密接に関係して存在すると僕は思っていますが、アメリカが保有している核だけでも、人類を何度でも絶滅できるという事実を考えると、北朝鮮に「一方的」に核開発の中止を求めるのは、やはりおかしく、アメリカ(日本)はまず自国の核軍縮をどう進めていくかを提示した上で、北朝鮮の核開発中止を求めなければ、説得力に欠けると思います。これは、イラクに一方的に「侵略」したアメリカが「グルジア戦争」でロシアを非難しても説得力に欠けるのと同じです。
 もちろん僕は、核存在こそ人類の未来を閉ざすものであって、絶対に認めることができない、という立場からこのことを書いています。

 以上ですが、今日ここに書きたかったのは、一昨日、昨日と所用があって茨城県北部と福島県南部へ650キロほどのドライブを行い(ガソリン価格が高騰していて、相当な痛手であった)、その途中で「草野心平記念文学館」に立ち寄ったことについてである。「草野心平記念文学館」については、草野心平が戦時中詩人の「萩原恭次郎」(朔太郎ではない。雑誌「赤と黒」などに関係したアナーキスト詩人。詩集「死刑宣告」は、当時の読者の度肝を抜くものであった)の関係で前橋に住んだことがあり、若い人たちと共に「学校」という雑誌を刊行していたということがあって、かねてより機会があれば行ってみたいと思っていたのである。
 記念文学館は、「いわき市」(旧「平市」)にあるということで安直に考えて「案内」に従って出掛けていったのだが、田舎道(山間の道)を行けども行けども、「こんなところに文学館などあるの?」といった感じで、不安になりながらいわき市の中心部から車で30分、ようやく小高い山の中腹に瀟洒な建物が見えてきて安堵する、といった風情。
 平日の朝10時、こんな時間に文学館を訪れる酔狂な人も少ないのではないかと思いつつも、僕ら以外に誰もおらず(広い駐車場に車は1台も止まっておらず)、ゆっくり見学できた。僕はこれまでにもかなり多くの文学館を訪れているが、その中でも上位にランクされると思われるほど、よくできた文学館で、折しも「石川啄木特別展」が開かれていたのだが、展示も気の利いたものになっていた(展示物の解説に「中村稔」<前日本近代文学館館長>の名前が多いので、もしかしたらと思い、帰り際に展示物はどこから借りてきたのか、とお聞きしたら、「近代文学館から」と答えてくれたので、やはり、と思わざるを得なかった)。草野心平に関する「常設展」の方も本当によくできており、このところ僕がよく行く「朔太郎祈念 前橋文学館」や「群馬県立土屋文明記念文学館」と比べても、展示の仕方などにも工夫が見られ、その点でずいぶん感心させられた。
 ただ、文学館が本来的に持っている機能であるはずの、文学科独自の草野心平に関する刊行物が皆無であったこと、またいくら草野心平の生家が近くにあるからといって、あれほどの「山奥」に文学館を建設することの是非、等々考えさせられることが多かった。近くにローカル線が走っているようであったが、最寄りの駅からは「徒歩」以外で訪れることが困難と思われ、結局車以外ではアクセスできない文学館は、何のために、誰のために、作られたのか。草野心平記念文学館は開館10周年ということであったが、これまでにどれほどの人が訪れ、どのような催し物を開催してきたのか、聞いてみたかったが、気の毒に思い、結局聞くことができなかった。
 2年前に深く関わった前橋文学館もそうであったが、バブル期に各地に建設された多くの文学館、今「民営化=指定管理者制度の導入」や行政改革のあおりを受けて、その存続や運営方法が「曲がり角」にきているのではないか、と思われる。その意味で、現代文学の「変質」も文学館の在り方から見えてくるのではないか、と思った昨日であった。