黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

権力者の妄執――安倍首相の「所信演説」を聞いて

2014-09-30 08:51:43 | 近況
 昨日(29日)から始まった臨時国会における安倍首相の「所信表明(演説)」を聞いて(本当は、今朝の新聞でその全文を読んで、であるが)、本当にこの人の頭はどうなっているのか、彼の目に僕たち民衆(国民)の現実=姿は映っていないのではないか、と思わざるを得なかった。
 かげりの出てきた(インチキがばれてきた)「アベノミクス」に代わって、「女性の活躍」と「地方創生」を掲げた今回の演説を聴いて、不思議だと思ったのは、あれほど物議を醸した「集団的自衛権行使容認」や「消費税10%に増税」問題については、一言も触れていないことであり、御嶽山が噴火して多くの犠牲者が出て、改めて日本列島が「火山列島」だと言うことを認識させられたのに、日本でも名だたる火山である桜島と普賢岳(長崎県)を近くに控えた「川内原発」の再稼働を再検討するそぶりも見せず、原発の状況をフクシマ以前に戻そうとする意思を明確にしたこと、である
 おそらく、ガチガチの国家主義者(国民主権否定論者)のブレーンの言いなりに、国民(民衆)の実態を無視した「所信表明演説」を行ったのだろうが、「集団的自衛権行使容認」や「消費税10%増税」に一言も触れず、原発の再稼働を推進することを表明した昨日の安倍首相の演説ほど、国民を馬鹿にしたものはないのではないか、と思わざるを得なかった。この人の言葉は、前から言ってきているように「空疎」で「観念的」であり、現実に根ざさない点を特徴としているが、今回の演説はその最たるものであった。
 安倍首相の言動が「空疎」で「観念的」だということのもう一つの理由は、「女性登用」の見本を示すとばかりに今度の内閣改造で「5人」の女性閣僚を任命したことにも現れている。それは、女性閣僚のうち高市早苗総務大臣ともう一人が、ナチス(ヒットラー)を尊敬する極右団体の幹部と写真に収まりながら、そのことが明らかになると、「政治家はたくさんの人と面会する。一緒に写真を撮った人が何者であるか知らなかった」と弁明したが、常識的に考えて、インタビュー記事を書こうとする人間が何者であるかが分からないで、インタビューに応じる政治家がいるか、と考えれば、高市たちの弁明が「嘘」であることは、一目瞭然である。さらにほど猪は、山谷えり子という国家公安院長である。国連でも問題視された「ヘイトスピーチ」を繰り広げている「在日特権を許さない会」(在日に特権など存在しないのに、誰に吹き込まれたのか、在日朝鮮人・韓国人の「歴史」を無視して「差別」的な言動を繰り広げている、安倍首相の応援団)の幹部とやはり写真に収まりながら、「そんな人は知らない」としらばっくれる厚顔ぶり。つまり、安倍首相の「女性登用」の実態は、単なる自分と同じ「極右」思想を持つ女性たちを登用しただけで、「女性差別」の解消とは全く別物であるということを暴露したのだが、そのことがマスコミをにぎわしているにもかかわらず、安倍首相は「厚顔無恥」そのままに、今回の所信表明(演説)でも「女性登用」を言い続けている。
 忘れていたが、沖縄の普天間基地の辺野古沖への移転に関しても、アメリカの言いなりに、県民の大多数が反対しているにもかかわらず、強引に移転(新基地建設)を進めようとしている。沖縄県民の声を無視して「地方創生」などとよく言えるな、というのが僕の率直な意見だが、いよいよ僕らも「目を覚ます」必要があるのではないか、と思っている。
 彼は、たぶん、今この日本で起こっていることの真の意味を分かっていないのだろうと思う。だから平気で、あれほど反対の多い「集団的自衛権行使容認」や「消費税10%増税」について黙し、「原発再稼働」推進を大声で唱えることができるのだろう。自民党が大勝した先の衆議院選挙及び参議院選挙で、原発に関して「徐々に減らしていく」と公言したことは、どこへ行ったのだろう。
 その意味で、僕らは彼(権力)の「暴走」を許さないためにも、権力に対して「異」を唱え続ける必要がある。沖縄県知事選で、福島県知事選で、僕らの意思を示そう!

騙されないために――本の紹介

2014-09-25 09:13:20 | 仕事
 北海道の畏友島田氏の紹介で、北海道の地で地道に「改憲阻止」の運動を展開する人たちの存在を知った。その人たちは、「親子で憲法を学ぶ札幌の会」に集まっている人たちで、自分たちがこれまでに学んできた「日本国憲法」や「集団的自衛権」、「特定秘密保護法」について、ブックレットを出し、「集団的自衛権行使」などがいかに「憲法違反」であるかを、専門家がわかりやすく説明している。
 たぶん、このような「草の根」的な護憲運動は全国各地で展開しているのだと思うが、そのような市民の「護憲運動」を安倍政権は必死になって押し潰し、日本を「戦争のできる国」に改変しようとしているように見える昨今、僕らはこの「親子で憲法を学ぶ札幌の会」のような運動を「我がこと」として、支援する必要があるのではないか。以下、「本(ブックレットと詩集)」の紹介をする。

①『憲法は私たちの宝物。――なぜって、それは―』
 第1章 憲法は国民を守り、国家を縛るもの(札幌公務員受験学院法律系講師 高橋幸一)
 第2章 戦争の歴史を反省して生まれた日本国憲法(親子で憲法を学ぶ札幌の会 安川誠二)

②『集団的自衛権で本当に日本は安全になるの?』
 第1章 戦争参加につながる集団的自衛権(高橋幸一)
 第2章 歯止めとしての憲法9条を守り、育てよう(安川誠二)

③『特定秘密保護法っていったいナンだ!?』
 第1章 国民の『知る権利』を侵害する特定秘密保護法(高橋幸一)
 第2章 日本は「ブラック国家」への道を歩むのか(安川誠二)

 

 各ブックレットとも「5冊以上」で送料無料。1冊200円。
 注文先:〒番号064-0801 札幌市中央区南一条西23-1-15-1411
     安川誠二(電話:080-5593-3203)

 
 安倍極右政権による最近の動向に「危険」な臭いをかぎ取ってはいるが、それは何故なのか、と思っている方、是非読んでみてください。非常にわかりやすく「解説」されています。
 なお、実は画像はないのですが(夕方、画像を追加しました)、もう1冊、旭川市で自然食品の店を経営している森山幸代さんの「平和と自然への思い」を綴った詩集『風は止まっていない』も併せて紹介しておきます。この詩集には、「嘘ばっかり言って」や「叫ぼう」など、フクシマを受けて書かれた作品も多く収められていて、読み応えがあります。定価「1000円」で「芽吹きの森舎」(TEL・FAX0166ー32ー1668)の方にFAXで申し込めば、送ってもらえるとのことです。


騙される側の罪(4)――原発・沖縄・経済・等々

2014-09-22 10:54:21 | 仕事
 このところ、僕の2年間の武漢生活は一体何だったのか、と考えることが多く、最終的にはもしかしたら僕は自分でも分からないうちに「罪」を犯してしまったのではないか、とも考えるようになってしまっている。では、僕が武漢で犯した「罪」とは何か。それは、結論的に言えば武漢(華中師範大学外国語学院日本語科大学院)の「しきたり」を破って、日本式の「改革」を行ったことなのではないか、ということである。
font color="pink"> 誰だって、「しきたり」の中で安住していれば、「波風は立たない」し、「権威」も保たれるし、変な「努力」をしないでも済むから、「楽ちん」である。それなのに、日本では当たり前=常識の「日本方式」を提案したものだから、学生は喜ぶが、元来「守旧派」である教師たちはあわてふためき、何とか「改革」の波に乗ろうとしたが、その「改革」には「痛み」が伴うことを知って、何とか「嵐=改革の波」が過ぎないかなと思っていたら、「うるさい奴」は2年で辞めてくれた。これでも「元」に戻れる、と安心しているのが現在、ということになっているのではないか。僕が2年間の武漢生活とは何であったのか、と考えてきた所以である
 だから、僕の武鑑での生活は「改革」という大義名分の下で行われたものであったが、その内実は「強者」である僕が「騙す側」に立って行ったものだったのではないか、との思いに囚われることが多く、それは現在の日本が自公政権という「強者」=騙す側によって、様々な局面で国民が「騙される側」になってしまっていることと相似形なのではないか、という思いに誘う。あるいは、権力による巧妙な操作によって、「騙される側」が「騙す側」に転化させら、とは言いながら、そのことに大多数の国民(騙される側)が気付かないという状態に現在はあるのではないか。
 前から言ってきているように、来年刊行予定の『村上春樹批判』の本のために(もちろん、それだけではないのだが)、集中的にフクシマ関係の本を読み直しているのだが、これも前に言ったことだが、安倍首相が東京オリンピック趣致のために「フクシマは完全にコントロール下にある」と公言しているが、実は全くコントロールされておらず、汚染水問題、廃炉問題、補償問題、等々、何一つ「収束=解決」していない現段階で、原発再稼働が画策され、原発輸出も実現しそうになっている。
 たぶん、権力(安倍政権)は、「国民を騙した。うまくいった」と内心ほくそ笑んでいると思うが、責任の半分は「騙された側=国民」にもあるのではないだろうか。だから、次には「絶対騙されないぞ」という心の有り様こそが大事なのではないか、と思う。
 このことに関しては、沖縄問題(普天間基地移設問題)についてもしかり、アベノミクスという「弱い者=貧乏人」いじめについてもしかり、その「まやかし」を知らずに唯々諾々と「いつか自分のところにも回ってくるのではないか、という淡い希望を持ち続ける国民も、もういい加減「目を覚ます」べき時期に来ているのではないか、と思わざるを得ない。
 その意味で、僕らはもう少し「騙される側の罪」について、真剣に考えるべきである。そうでないと、気が付いたらいつの間にかとんでもない状況のただ中にいる、ということになるかも知れない。
 そして、どうしたらこのような窮状を打破できるのか。その正否は、一人一人の「決断」に掛かっているのではないかと思うが、ともあれどうやら安倍自公政権は「騙す側」であるから、どんな時でも「騙されないぞ」と決意・決断して、次に意思表示できる時を待つしか方法はないのかも知れない、と思っている。
 そろそろstrong>、「決起」の時が迫ってきているのではないだろうか。

騙される側の罪(3)

2014-09-13 08:34:20 | 仕事
 このところ集中して「3・11フクシマ」関連の本を読み直してきた。文学者がフクシマに関してどのような発言をしてきたのかについては、すでに昨年刊行した『文学者の「核・フクシマ」論――吉本隆明・大江健三郎・村上春樹』(2013年3月 彩流社刊)を書く際に様々な角度からに検討したのだが、今度">>『村上春樹批判』(刊行時期など詳細はまだ決まっていないが、すでに中国語版は翻訳が済んで刊行をまつばかりになっており、中国語版とは少しバージョンを変えて刊行しよう、と版元と確認している)という本の刊行が決まったということもあって、フクシマに関して科学者はどう捉えていたのかを知りたくて小出裕章の本(『原発にウソ』扶桑社新書、『原発はいらない』幻冬舎ルネッサンス新書、佐高信との対談『原発と日本人』角川新書)を中心に読んできたのである。村上春樹のいわゆる「反核スピーチ」がいかにためにする講演であったか、を科学者の言説から明らかにしたいと思ったからである。
 そんな折、フクシマから3年経って、ようやく福島第一原発の当時の所長・故吉田昌郎のフクシマに関する「聴取記録」の全文が公開された。吉田元所長の「聴取記録」を読んで、すぐに思ったのは、小出裕章の著書を読み直していたということもあったからなのか、フクシマの爆発による犠牲者がゼロであったのは奇跡的(偶然の産物)でしかなかったこと、また原発というものは、本質的に「手に負えない存在」であって「人間と共存できないもの」ということであった。
 吉田氏が壊滅的な爆発を防ぐために東電本店の指示に逆らって事故を超した原発に海水を注入し続けたことはよく知られているが、しかしその吉田氏がマグニチュード9の大地震など想定していなかった、またそれに伴って起こった大津波も「想定外」と思ったということを知り、フクシマ後「救世主」のように扱われてきた吉田氏もまた「原発推進派」の原子力科学者であり、東電本店の「経済(利益)優先」の原発政策を是認してきたフクシマの「責任者」の一人であることを想起して、改めて「核は人間と共存できない」という原理を再確認せざるを得なかった。
 その意味で、吉田元所長の「聴取記録」などフクシマの関係者に対する「聴取記録」が公開されたのと軌を一にして朝日新聞が「吉田調書」に関する報道「東電社員が吉田所長の命令に違反して撤退」(5月20日付け)は、「誤報」だったと「謝罪」したことなど、誤解を恐れずに言えば、確かにその時東電社員たちのほとんどが、事故の処理ができず次の爆発を怖れて、また放射能汚染を怖れて第2原発に「退避」したのだから、右派のメディアが「誤報だ、誤報だ」と騒ぐほどの問題ではない、と僕は思う。つまり、「命令違反」であるかどうかなどが問題なのではなく、要はその時(今も)フクシマは人間の手ではどうにも処置できないほどに「暴走」しており、福島第一原発の関係者のほとんどが「事故」の対応ができずに、「逃げざるを得なかった」ということこそ、問題にすべきだと僕は思うのである。
 何やら、「慰安婦問題」と重ねて、ここぞとばかりに右派メディアを中心に朝日新聞たたきが華僑を迎えたという印象を持つが、「退避」という事実を「命令違反で、撤退」と書いただけで、朝日新聞が「謝罪しなければならないのであれば、東京オリンピックの招致に躍起となり、「フクシマは完全にコントロールされています」と世界に向かって宣言した安倍晋三首相こそ、「汚染水問題」が象徴するようにフクシマが未だ収束していない現実を鑑みれば、「謝罪」すべきである。 また、「新閣僚インタビュー」で、「原発再稼働と核廃棄物の最終処分問題(再処理問題)とは関係ない」といった主旨の発言をした、原発について全く「無知」な経産大臣小渕優子も、国民に対して「謝罪」すべきである
 どうやら、「極右」安倍政権は、反対派の代表と目されている朝日新聞を「たたく」ことで、いよいよ戦前と同じような「言論封殺」に乗り出したのではないか、と僕には思える。昨今の地方自治体による「政権寄り」の言論対策(護憲派や反原発派の集会に会場を貸さなかったりする傾向)を見ていると、余計そのように思える。
 何とかしなければ、と切に思う。
 
 

「騙される側の罪」(その2)

2014-09-05 10:10:19 | 仕事
 5人の女性閣僚を登用して、「新しさ」を演出しようとしたのだろうが、登用された女性閣僚のいずれもが「安倍シンパ」と呼ぶべき、およそ「フェミニズム(女権拡張主義)」などとは無縁な、「男性原理」を象徴する「戦争への道」を肯定してきた(安倍首相の主張に同調してきた)女性たちばかりで、安倍改造内閣がよりタカ派になったことを如実に示す以外の何者でないのは、「女性閣僚の大幅登用」にほんの微かだが期待していたことの「愚」を今は痛感している。
 特に、最年少の小渕優子新経産大臣については、まだ幼い子供の母親だということ、またこの間の「子育て」で、「フクシマ」や「放射能」について敏感なのではないか、とこれも微かな期待を寄せていたのだが、原発再稼働・原発輸出の熱心な安倍首相に選ばれただけあって、今朝の「閣僚インタビュー」のニュースを見ていたら、「原発再稼働は急がなければならない」といった主旨の発言をしていて、「ああ、お前もか」と思わざるを得なかった。
 概して、保守派の政治家たちは、財界――保守派への「政治献金」を再開するという。「企業献金」を止める代わりに「税金」から「政党交付金」を払うという政策はどこへ行ってしまったのか。何とも国民を馬鹿にした財界の発現である――に後押しされた「原発再稼働」に賛成だが、フクシマのことをどう思っているのか。未だに15万二を超える人が住み慣れた我が家や故郷を離れて「避難生活」を強いられているのに、また、福島第一原発の汚染水処理をはじめ「廃炉作業」だってままならないという現実が存在するというのに、そのようなことは彼らの目に入らないのだろうか。
 フクシマで出た放射能汚染物質の「中間保管所」(といってるが、これまでの保守政治のやり方を見ていれば、30年経ったら、「最終処分場所」が見つからないから、「中間」ではあるが「延長しよう」、ということになるのは必定である)が決まったから、もうフクシマは「収束」したと思っているのだろうか。元原子力ムラの住人だった人間(田中某)が委員長を務める原子力規制委員会が「再稼働OK」と言ったから、何の根拠もない「世界一安全な日本の原発」は「再稼働」もOKだし、「輸出」もOK,その「OK」をだすのが経産省(経産大臣)だとしたら、あのかわいい顔をした(差別的な言い方だが)小渕優子は、安倍首相の「傀儡=操り人形」としてしかその役割を果たせないのではないか。
 僕らは、外見に騙されてはならない。あの「かわいい顔」をして(ソフトな感じで)「原発再稼働」「原発輸出」を命令する(であろう)小渕優子に、「騙されてはならない」のである。
 いささか神経質は言い方になったかも知れないが、僕らはもう一度戦後まもなく「騙される側の罪」について言及した伊丹万作の思想について、噛み締めるべきだと思う。
 それは、「日本国家法」第9条の条文をきちんと素直に読まず、国連憲章で「集団的自衛権を認めているから、安倍政権の集団的自衛権行使容認は間違っていない」などと半可通に言い募る輩と決別する思想を鍛えることでもある

「騙される側の罪」

2014-09-03 08:53:25 | 仕事
 世の中、安倍内閣の「改造人事」で喧しいが、「女性閣僚の登用」を謳い、5人の女性を閣僚に据えたようだが、その顔ぶれを見れば、少なくとも「女権の拡張」を主張する者などはおらず、国連から勧告された「ヘイトスピーチ規制」を利用して国会周辺の反権力デモを規制しようとした高市某とか、「安倍首相を上まわるような「筋金入り」の「超保守派」稲田某だったり、歴史認識ゼロのにもかかわらず「拉致問題」に関しては何故か「強硬姿勢」を崩さない山谷某とか、安倍首相にしてみれば「我が意」を体現してくれる女性を、寄りによって選んだとしか思えない「女性閣僚の登用」である。
 あの漫画ばかり読んでいる(マンガが悪いというわけではないが)副総裁はじめ「重要閣僚の留任」というのも、集団的自衛権行使容認を初めとする「極右」安倍政権が引き続くということ以外の意味はなく、自民党幹事長の交代にしても、自民党ハト派の出身というふれこみも、法務大臣の時の言動を見ていれば、彼谷垣氏は結局安倍晋三首相の「イエスマン」でしかなかったことがわかり、今後の自民党がますます安倍首相(総裁)の意のままに動くだろうと予測させる人事である。その安保政策が安倍首相と異なると言っていた石破茂氏が、最終的には「トップの意に従う」と言って安倍首相の軍門に下ったことを思うと、新幹事長谷垣氏に何ができるのか。谷垣氏は、師の「ハト派」を代表する加藤紘一元自民党幹事長に、どんな申し開きをしたのか?
 というように、安倍内閣の「改造人事」には、マスコミ・ジャーナリズムの喧噪とは裏腹に「虚しさ」しか感じないのだが(このブログの読者もそうなのではないかと思いますが)、僕がこの「内閣改造人事」のニュースに接していて、何度も何度も自分に言い聞かせていたのは、「騙される側の罪」のことであり、「もう絶対自分は騙されないぞ」という思いと共に、「国民も騙されないぞ」と思っているのではないか、思っていて欲しい、という思いであった というのも、この「改造人事」では、ますます原発再稼働が進むだろうし、来日中のインド首相と安倍周桑との会談で、いよいよインドへの原発輸出も現実味を帯びてきた、と思いが募り、フクシマの汚染問題―避難(被曝問題)や廃炉作業が一向に進まないにもかかわらず、原発の「安全神話」がまたぞろ大手をふるって巷にあふれる事態を迎えているように、僕には思えるからである。フクシマが起こる前、誰もが「日本の原発は世界一安全」という神話に騙されていたが、そのような「神話」がフクシマによって木っ端みじんに吹き飛んだと思ったのだが、その「安全神話」の普及に加担していた故吉本隆明の「全集」が売れているという事実が如実に物語るように、国民は再度「騙されている」ように、僕には思えてならない――いかに吉本隆明の「原発論」がデタラメであったかについては、繰り返すが拙著『文学者の「核・フクシマ」論――吉本隆明・大江健三郎・村上春樹』(2013年3月 彩流社刊)を見て欲しいと思う。日本の戦後文学者がいかに原発に「騙されてきたか」が分かるだろう――。
 それともう一つ、「内閣改造人事」に白けてしまったのは、昨日の東京新聞が報じていたのだが、この前の広島安佐南区・北区における土砂災害で避難した「留守宅に入った泥棒は、在日韓国人・朝鮮人だというニュースには、驚くというより、日本人の「モラル」及び「ナショナリズム」は何故このように歪んでしまったのか、その「異常」としか言いようがない心の有り様に、暗く悲しくなったということがあった。先の東日本大震災の時も、同じように避難家屋に泥棒が入ったといことはあったが、その犯人が「在日韓国人・朝鮮人」という、根も葉もない「デタラメ=嘘」(記者が調べた結果)がツイッター上で飛び交っているという事実、たぶん「ヘイトスピーチ」を繰り返している人たちと同じメンタリティーを持った「ネトウヨ」の仕業なのだろうが、これもみな安倍首相をはじめとする「極右=ウルトラナショナリスト」が我が物顔で活動している昨今の「政治状況」を物の見事に反映するものである。 あれやこれやを考えると、何とも「嫌ーな気持」になるが、敷かし、ここで僕らはもう一度「騙される側の罪」について考え、もう決して「騙されないぞ」と深く思うことが必要なのではないか。そして、機会があれが、必ず「反撃する」という欠を固めることも、である