黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

総選挙・ゼミ合宿

2009-08-29 05:19:26 | 近況
 現在朝の5時20分。いよいよ明日が総選挙という今日、ずっと前に決まっていた恒例の卒研ゼミ合宿に出掛ける。大学に10時集合、そのあと合宿用の資料をコピーして10時半に出発、の予定。今回は、2泊3日で北茨城の平潟漁港の民宿、そこはここ何年か使っている場所で、食事がうまいのと24時間いつでも源泉掛け流しの温泉があるのが魅力になっている。一人3時間ほどの持ち時間でゼミ生は6人いるから、合計で18時間のゼミ(ディスカッション)を行うのは結構大変で、朝から晩まで机の前で話をする者には、いつでも天然温泉に入れるというのは、大変嬉しいことである。
 ということで、明日の投票日には自宅にいないので、2日前「期日前投票」に行ってきた。久しぶりの期日前投票だったのだが、驚いたのは、新聞報道にあるように、期日前投票をする人が多い、ということだった。人口1万人強の地区(旧純農村地区)で、前に期日前投票したときは、会場に入る前からあとまで、僕ら夫婦しか投票しなかったのに、今回は4日前だというのに、会場に入ったら先客が二組おり、終わって帰ろうとしたらやはり二組投票に来ていた。
 それだけ今回の選挙に監視を持つ人が多いということなのだろうが、その関心がどこにあるか? その意味と結果は明日の夜判明すると思うが、推測すれば、現状に対する危機感や(不安を持ちながらも)何らかの変化を求める人が多いということなのだろう。吉と出るか凶と出るか、明日の結果が楽しみだが、合宿中なので大勢が決まった深夜にならないと結果が分からないというのは、少々不満ではある。
 では、合宿に出発します。

「月光」購読の御案内

2009-08-27 04:59:58 | 文学
 季刊文芸誌「月光」のご購読をお願いできればと思い、御案内いたします。写真は小さいですが、「全307頁、定価1700円+税」というもので、「特集 中原中也」を初めとして内容は充実しています。編集委員(他に福島泰樹、立松和平、太田代志朗、竹下洋一)としてこの雑誌に関わっている僕が言うのもおかしいですが、雑誌ができて改めて読み直すと、「特集」の中の福島泰樹と村上護(種田山頭火の研究者としてよく知られている)との対談「中原中也私史録」が、今まで知られていなかった大岡昇平の中原中也像形成の「真実」等を伝えていて、大変面白かった。従来の大岡昇平による中原中也論に「改変」を迫るほどに迫力のある「裏話」になっている。蒙を啓かれる思いがした。中原中也研究者・愛好者は(大岡昇平研究者・愛好者も)、一読する必要のある対談になっている。
 前回にも書いたが、僕はここに「主題が屹立してくるとき」という30枚ほどの評論を載せている。ネット上で騒がれる(このブログでも一時大騒ぎになった)創作上の「盗作・盗用」について僕なりの考えを提示し、なおかつ「改作」によっていかに「主題」が屹立してくるか(キャラ立ちしてくるか)について、立松和平の例の「盗作・盗用」疑惑を招いた『二荒』から『日光』への「改作」を例に論じたものである。併せて、この欄で繰り返し述べている「ネット社会の<闇>」、つまり匿名性の問題についても持論を展開している。
 なお、「月光」第2号は11月下旬発売で、「特集」は宮沢賢治。そこに僕は1950年代の後半に展開された『雨ニモマケズ』をめぐる小規模な論争について、「『雨ニモマケズ』論争・私見」という題で書き、もう一つ担当する「文芸時評」に例の村上春樹の『1Q84』をめぐる様々な現象と僕自身の『1Q84』論を併せた文章(40枚ほど)を載せる予定になっている。
 第3号(2010年3月刊行)は特集が「全共闘と文学」で、既に大方の書き手も決まり、執筆依頼状を出す状態になっている。この「特集 全共闘と文学」の刊行に併せて、49歳という若さで亡くなった『パルチザン伝説』の作家・桐山襲の著作集(全集並)全3巻が刊行される。福島泰樹氏、立松和平氏、僕の三人が編集委員として各巻に『解説』を書くことになっている。
  ―― ―― ―― ――
 さて、『月光』ご購読の御案内ですが、もちろん書店に注文すれば書くこともできますが、刷り部数の関係もあって大型書店の店頭にしか並ばないかも知れませんので、「黒古のブログを見た」と言って、版元へ直接言ってくだされば(できれば、1年間4号分をまとめて注文してくだされば)、相当に割引(2割か2割5分引き)して販売してくれることになっています。
 <注文先>
 勉誠出版 〒番号101-0051東京都千代田区神田神保町2-20-6
      電話:03-5215-9021
      メール:rintaro@bensey.co.jp
      担当編集者:岡田林太郎・清井悠介
 
 ご購読のほどよろしくお願います。

「風」が吹いているのか?

2009-08-23 09:10:22 | 近況
 自宅に届けられる二つの新聞(朝日・東京)及びニュース・ショーなどで伝えられる衆議院選挙の獲得議席予想を見ると、何といずれの新聞や通信社(共同・時事)の調査結果も、「民主300議席超す勢い」とか「自民100議席割れかも?」といったような見出しが象徴するように、いよいよ「政権交代」が現実なものになっているかのように思える。
 しかし、このような「民主党に風が吹いている」状態は、果たして僕らにとって「良いことずくめ」なのだろうか。つまり、二大政党制は「民意」を本当に反映する制度なのか、ということである。もちろん、小泉政権以来の特に外交政策に見られる「タカ派」政治=ネオ・ナショナリズム政治が終わって、どのような形になるか実は良くわからないが、それでも「新しい形の政治」に移行することは歓迎すべきことである。しかし、それらは「自民党政治」に比べて、という相対的な評価であって、本当に僕らが望む「政治」をもたらしてくれるものか、ということになると、いささか心許ない感じがしないわけでもない。
 例えば、教育問題(「子育て手当」や「高校の授業料無償化」といった問題ではなく、教育制度やその中身の問題)に関して、報道によれば横浜市や東京・杉並区などでは「自由主義史観」派の教科書を採用すると言うことが起こっているが、つまり先のアジア・太平洋戦争における日本の侵略性(加害者性)を軽く扱ったり、朝鮮半島の36年間に及ぶ植民地政策を「正当化」したり、あるいは「神話世界」を強調したりというナショナリズム思想を教育現場で強調する教育が行われるという事態が起こっているが、確か横浜市の任期半ばにもかかわらず辞意を表明した中田市長は、民主党と会派を組んだ代議士であったはず。その中田市長が「置きみやげ」のようにして残していった「自由主義史観派」の教科書採択、民主党の中にも彼の思想に共鳴するような人がたくさんいると聞く。
 同じように、「自衛隊の海外派遣」(現在インド洋とソマリア沖に海上自衛隊が出ている)を容認する民主党の代議士はたくさんいるという。当然、「憲法第9条」を含む日本国憲法の「改憲」を望む議員も多数いるというのは、共産党や社民党の批判を聞くまでもなく「常識」になっている。「非核三原則」については、社民党との「連立」を視野に、しぶしぶ「法制化」を認めたようであるが、民主党政権になったとき、本気で在留米軍に「核持ち込み」を拒否できるか――それにしても2,土曜日のテレビで各党を代表する論客が今度の選挙について論じた際に、次期自民党総裁候補の一人と重くされている石原伸晃が「非核三原則」について、聞き捨てならぬ発言をしていた。それは、「核持ち込み」禁止に関して、「こんな世界情勢(多分、北朝鮮との関係を視野に入れてなのだろう)において日本の近くにうようよ存在するアメリカ軍艦船が日本に寄るとき「いちいち武装解除しますか」と言ったのである。司会者がその発言を無視してすぐに次の議題に映ってしまったので問題にならなかったが、広島で麻生首相が「非核三原則」を守るといったことが以下に建前に過ぎなかったか、自民党幹部の「本音」がどこにあるか、がよくわかる発言であった。父親の石原慎太郎を総計しているという伸晃氏、さすが「核武装論者」の息子だな、と思わずにはいられなかった。
 あるいは、「農業政策」(と連動している「食糧自給率」の問題も含めて)についても、民主党の「危うさ」が露呈している。もちろん、70年代の「日本列島改造論」(田中角栄)を契機に産業構造を第一次産業から第二次・第三次産業へと転換させ「豊か」になった日本、おいそれと日本の「農業」が再生できるとは思わないが、「食=生きる」問題が我々の生活における根源的な問題であるという認識をどれほどの民主党員が思っているか、まず何よりも「減反政策」の見直しから初めて貰いたいが、果たしてそれは可能か?
 等々、に加えて「年金」問題や医療・教育問題など「政権交代」が起こったとしても、問題は山積している。民主党にそれを処理していく能力があるか無いか。見守るしかないが、ともあれ「理由無き殺人」を誘発するような「格差社会」を生み出した責任などには一切触れず、支持者(及びテレビ)の前でにやにや笑いを絶やさない与党党首が表舞台から引っ込んでくれること、感情論ではないかという批難を承知で言えば、それだけは間違いなく実現して貰いたいものだと思う。

「月光」の発刊

2009-08-21 16:38:23 | 文学
 先週(8月10日)念願の文藝総合誌『月光』(季刊 勉誠出版 307頁 1700円+税)の第1号が発刊された。昨年秋から企画が進行していたのだが、編集作業にちょっとした手違いなどがあり、4月刊行予定が4ヶ月ほど遅れてしまい、今日になってしまったのだが、村上春樹の『1Q84』は異常な売れ行きを見せているようだが、総体的には現代文学が遅滞している現状を鑑みるとき、いま文芸誌を出すことは「冒険」であることは間違いない。そんなリスクを承知で、発刊を引き受けてくれた勉誠出版(池嶋洋次社長)の英断を大変嬉しく思う。
 実は、『月光』という雑誌は、十数年以上前に「福島泰樹主幹」という形で「短歌」を中心とした総合誌として10数号刊行されていたことがあり、今回は「復刊」ではないが、リニューアル版的な意味合いをも持つものとして刊行された。前回の『月光』と今回の『月光」との一番の違いは、編集委員会制をとり、5人の編集委員の合議により、かつ出版社の意向を十分に反映した雑誌として刊行されることである。第1号(創刊号)は、前回からの続刊を計画していた福島泰樹氏が少しずつ原稿を集めていたということもあって、全面的に改定されたわけではないが、立松和平氏の創作が入り、また30枚余りの拙稿「主題が屹立してくるとき」などが入ることにより、バラエティーに富んだ雑誌になっているのではないか、と思っている。
 『月光』第1号は「特集 中原中也」を中心に、短歌、詩、小説、評論、時評、など盛りだくさんで、多彩な面々が執筆者に名を連ねている。
 佐々木幹郎、宇佐見斉、村上護、佐藤泰正、北川透、菱川善夫、岡部隆志、清水昶、等々が寄稿者の主な顔ぶれである。先に記した編集委員の福島泰樹、立松和平、黒古の他に太田代志朗、竹下洋一もそれぞれ作品を寄せている。
 是非手にとって見て貰いたいのだが、この雑誌は多くの書き手(歌人や詩人、小説家、評論家、等)に開かれたものにする、という方針を編集委員会で確認しているので、多くの人に奮って寄稿して貰いたいと思っている。小説ならば立松和平氏が、短歌は福島泰樹氏が、評論は黒古が、という風に編集委員が寄せられた原稿を読み、よいものであれば積極的に載せていくことになっている(もちろん、書き直して貰うこともある)。原稿の送り先は、
〒番号101-0051 千代田区神田神保町2-20-6 勉誠出版(岡田林太郎)、あるいは各編集委員へ。
 新たな書き手に期待しています。
 なお、僕の『主題が屹立してくるとき』は、立松氏の『二荒」が「盗作」疑惑で絶版となった「事件」を、それがネット社会がもたらした「負」の部分なのではないか、本当に「盗作」と呼べるような内容なのか、「盗作」と言われた部分を逐条的に比較検討し、併せて立松氏が「盗作」疑惑に対抗する意味で「改作」した『日光』が大変よい作品になったこと、つまり「主題」が鮮明になったことを明らかにし、論じたものである。このブログ欄で「盗作」問題が論議されたことがあるが、この『月光』に載せた原稿は、その僕なりの総括(疑問に対する解答)にもなっている、と考えている。

村上春樹の「エルサレム賞」について(その3)―外国の評価

2009-08-19 18:54:29 | 文学
 昨日(18日)、トルコから来日中の日本文学研究者(翻訳者でもある)と、いろいろ話をする機会があった。彼はアンカラ大学日本語・日本研究科の教師でもあるのだが、これまでに村上春樹の「ノルウエイの森」や村上龍の「コインロッカーベイビーズ」などの作品、あるいは安部公房の「砂の女」や「源氏物語」なども翻訳していて、先頃村上春樹の「海辺のカフカ」を翻訳し終わったばかりだということから、勢い話は村上春樹のノーベル文学賞受賞の可能性や先頃話題となった「エルサレム賞」受賞問題や異例のベストセラーとなっている「1Q84」について及び、そこで興味あることを聞いた。
 それは、日本で賛否両論が巻き起こった「エルサレム賞」の授賞式に村上春樹がイスラエルまで行って参加したことについて、ノーベル賞受賞のためにはどうしても通過せざるを得ない儀式だった、と欧米の文学研究者たちは受け止めているし、トルコを含むイスラム圏の人々もことの賛否は別にしてそのように考えている、ということであった。そのような彼の発言から推測されたのは、「エルサレム賞」とノーベル文学賞とが連動しているのではないか、ということになるが、調べてみると、ボルヘスやボーヴォワール、グレアム・グリーン、ミラン・クンデラ、スーザン・ソンタグ、アーサー・ミラーなどの「エルサレム賞」受賞者とノーベル文学賞受賞者とは必ずしも重なっていない。にもかかわらず、欧米(トルコを含む)の文学関係者が両賞は繋がっていると考えているのは、どういうことか。イスラエルがノーベル賞の元締めであるスエーデン・アカデミーと何らかの太いパイプを持っていると言うことなのだろうか、具体的にはよく分からない。
 それとは別に、僕は「村上春樹はイスラエル(エルサレム賞授賞式)に行くべきではなかった」という持論を彼には説明したのだが、中東問題(イスラエルとイスラムとの対立)に関して、石油を輸入しているという以外の具体的にはその「当事者」性を持ち合わせていない僕ら日本人と、日常的に中東問題を抱えざるを得ない人たちとでは、受け止め方が違うのだな、ということを実感した。彼とはこれからも付き合いが続くのではないかと思うので、機会を捉えて何度でも中東問題について意見交換しようと思っている。
 なお、それとは別に、彼から今後トルコで訳して貰いたい現代作家はどういう人がいますか、と聞かれたので、まず僕が外国人に読んで貰いたい作家として現在1番に考えている「林京子」を上げ、次いで「立松和平」、「三浦綾子」を上げ、それぞれについてその文学的特徴を説明した。どこまで実現するかどうか分からないが、長崎で被爆した林さんの作品や戦後の文学史において重要な意味を持つ「遠雷」を書いた立松和平の作品がトルコで読まれるかも知れないと思うと、実に愉快な気持になった。近いうちに翻訳刊行されることを期待しようと思う。

敗戦記念日に思うこと

2009-08-15 08:46:24 | 文学
 今年も「熱い夏」の最後を締め括る「敗戦記念日」がやってきた――何故、マスコミ・ジャーナリズムが挙って使用する「終戦記念日」という言葉を使わないかについては、既に何回かこの欄で触れているが、改めて言うならば、あの無謀な軍部と財界の主導による「アジア・太平洋戦争=15年戦争」は、1945年8月15日に連合国のポツダム宣言=無条件降伏を受け入れたことが証するように、明らかに「敗北」したのであって、何らかの交渉の末に「戦争を終わらせた・終わった」のではない、ということである。この「敗戦」か「終戦」かという論議には、必ず思想的に意味における「ナショナリズムが介入するということがあり、僕自身は戦争には必ず「勝ち・負け」があり、どんな「大儀面文を掲げて「勝利」を目指そうが、戦争によって「被害」を受けるのはいつも「庶民=市民」である、という考えに基づき「反戦」の立場から「敗戦」という用語を使っている。漫画家の小林よしのりや他のネオ・ナショナリストたちは、その「戦争論」や「祖国論」で展開している俗論、戦争は「国を守るため」「家族を守るため」にやったのであり、先のアジア・太平洋戦争も「聖戦」であって、その死者たち(英霊)が存在したからこそ今日の「繁栄」があるのだ、と「征戦」(侵略戦争)を肯定するような考え方を僕は否定する。
 僕は戦後生まれなので、アジア・太平洋戦争を実際に経験した世代ではない。しかし、僕が物心ついたときには、駅前にあった家のすぐ傍に進駐軍(占領軍・アメリカ軍)がいて、「ギブ・ミー・チョコレート」と叫んだ経験があり、子供心に何故ここにアメリカ軍がいるのだと思い、ガキ大将の「日本で一番偉い人は誰だ」の問いに、端垂らし小僧たちが異口同音に「マッカーサー」と答えと言うことがあり、後にそのようなことが自宅の近くで起こっていたのは皆「日本が戦争に負けた結果」で理解した世代であること、このことは忘れるわけにはいかない。祭や地区の行事があるとき、必ず白服姿の「傷痍軍人」が楽器をならしながら「お金」を要求していた光景も目に焼き付いて離れないし、何よりも小学校や中学で学ぶようになって、戦場帰りの教師たちが「暗い目つき」で黙々と授業していたのも忘れるわけにはいかない。戦後とはいえ、僕等の生活の至るところに「戦争」(の傷ましい後遺症)は残っていたのである。前にも書いたことがあるが、僕の一番親しい中学の時の同級生は、中国東北部(満州)奉天で1945年8月8日(旧ソ連が満州に侵攻してきた前日)に生まれ、夫阿tりの姉と母親の4人で命からがら逃げ帰ったが(父親は現地召集の兵隊でシベリア送りになったというが、詳細は不明。もちろん、件の同級生は父親の顔を知らない。遺骨さえない。)、そのような戦死者や親が行方不明になった者が同級生に何人もおり、「国のため」「家族のため」というのが建前=スローガンにすぎず、実際は「悲劇」しかもたらさないのが「戦争」だというのは、肌に染みこんだ実感と言ってよく、観念で「戦争」は決して語れない、というのが僕の正直な思いになっている。
 僕が「戦争文学論」を書き(『文学は戦争をどのように描いたか』05年 八朔社)、繰り返し「原爆文学」や「ヒロシマ・ナガサキ」に言及しているのも(『原爆とことば』83年 三一書房)、みな「原点」は、「戦争」が色濃く残った「戦後」を経験したからに他ならない。もちろん、そのような経験を後世に伝え、かつ二度とあのような「悲惨」な戦争が起こらないようにと切に願っているが故に、戦争文学や原爆文学について書いている、という側面もある。
 また、僕が小泉内閣以来の連立与党の「タカ派」路線、つい麻生政権では首相の諮問機関が「集団的自衛権を認め」自衛隊の「海外派兵」を恒久法によって保証すべきだ、「日本国憲法」(第9条)の精神を踏みにじる答申を提出し、麻生首相はじめ自民党(公明党)のタカ派議員たちもそのような答申を認めるような発言を行っている。北朝鮮という「脅威」が存在する以上、それに対抗する処置を講じておかなければ、国益を損なうオアそれが多分にある、というのが彼らの言い分である。しかし、少し調べると素人でも分かることは、満州事変にしても、日中戦争にしても、あるいは太平洋戦争にしても、必ず国民に「脅威」を宣伝し、戦争を始めているという「事実」である。僕等は、「他国の脅威」というものがいかに「ご都合主義」であるかという事例を、イラク戦争の口実に使われた「大量破壊兵器の存在」でよく知っているはずである。「軍部」やそれと密接な関係にある「政府」は、いつでも「仮想敵国の脅威」を喧伝して、装備を拡充し、戦争を準備するものだ、ということを忘れてはならない。
 そして何よりも先のアジア・太平洋戦争で民間人も含めて「310万人」が犠牲者になったこと、及び肉体的・精神的にそれと同数に近い人々が「傷付いた」ことを忘れてはならないだろう。「戦争」で利益を得たり、得をする人はごく少数でしかないこと、大部分(の庶民)は「犠牲」しか強いられない現実を、僕らはもう一度考える必要があるのではないか、と思う。
 

「非核三原則」について

2009-08-10 16:52:06 | 文学
 このところ「ヒロシマ・ナガサキ」問題、つまり「核」の問題や「原爆文学」について書きながら、「非核三原則」について書かなかったのは、アメリカ大統領オバマが「核軍縮」についてプラハで演説した今年、日本の政治家や識者たちがどう反応するか、「8月9日・ナガサキデー」が終わってから、僕の意見を書こうと思っていたからに他ならない。それは、たぶん、オバマの演説があっても日本の政治家や識者たちの見解はそんなに変わらないのではないか、と思いつつも、もしかしたら変わるかも知れない、と淡い期待を抱いていたからでもあった。
 案の定、例えば次のような麻生首相の演説のように、相も変わらぬ「建前」に終始するものであった。
<日本は唯一の被爆国だ。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けなければならない。本日、私はあらためて日本が今後も非核三原則を堅持し、核兵器廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを誓う>
 この麻生首相の言葉に「空々しさ」を感じたのは僕だけではないだろう。なぜなら、上記引用文中にもそうだが、広島、長崎での「挨拶」全文のどこにも、今年になっていよいよ明らかになった「核持ち込み」の「密約」について、一言半句も触れておらず、何の痛痒も感じないかの如く「建前」だけを述べているからである。
 アメリカ空軍や海軍による日本への「核持ち込み」の「密約」は、歴代外務次官の「申し送り事項」になっていたから、という理由だけでなく、沖縄の極東最大のアメリカ軍基地「嘉手納」に配備されたB52戦略爆撃機の配備、あるいは何年か前沖縄国際大学のキャンパスに墜落した戦闘ヘリの処理のために放射能防護服を着た兵士が駆けつけたこと等を考えただけでも、「非核三原則」が空文化していると理解できると思うのだが、考えて欲しい、冷戦構造が未だに残る東アジアで「西側」(アメリカや日本)の最前線に位置する嘉手納基地を始めとする各米軍基地で、日本に駐留したり寄港したりするから、事前に、例えば核弾頭を装備したB52や巡航ミサイルのトマホークを装備した原子力潜水艦が、日本の「非核三原則」に協力するために、グアムのアンダーソン基地などに核兵器を置いてくるか、というそれこそ「常識」的に考えても、あり得ないことを、日本の保守党(公明党も含む)の政治家たちや識者たちは、あたかもあり得るように語る、おかしいと思わない方が「おかしい」。
 こんな議論(非核三原則が守られていないという)は、もう僕の知る限り40年以上にわたって行われているのに――日本に最初の原子力潜水艦が彼の小泉純一郎の選挙地盤である横須賀に寄港するというので大問題になり、多くの市民・学生が反対運動を繰り広げたのは、僕が大学に入学した1965(昭和40)年であった――、未だに「建前」という砂上の楼閣を守って空疎な「非核三原則の堅持」を言い募る日本の首相、これでは絶対に「核軍縮」にイニシャチヴは取れないな、と思うが、それとは別に、僕らはもう一度「ヒロシマ・ナガサキ」の原点に還って、「各」の問題を考える必要があるのではないか、と思う。
 そうすれば、この国の政府(防衛省)が認めた航空自衛他の元最高幹部(航空幕僚長)が被爆地広島で「核武装論」を説くなどという破廉恥な行為は絶対起こらなかったのではないか。それだけではない、政府与党が「非核三原則」が空洞化していることを熟知しているからこそ、北朝鮮の「核の脅威」を錦の御旗として「集団的自衛権」やら「敵基地攻撃論」を展開しているであり、そのことを考えれば戦後64年、「ヒロシマ・ナガサキ」は形骸化(風化)し続けている、といわねばならない。
 そんな形骸化(風化)に抗するにはどうしたらよいか、年中行事化した「熱い夏」にだけ「ヒロシマ・ナガサキ」を語るのではなく、1945年8月6日・9日に何が起こったか、またそれ以後「核状況」はどのように展開してきたか、を考え続けてきたところから書き継がれてきた「原爆文学」を読むことが必要とされるのではないか、と思う。
 

これを機会に、原爆文学を!

2009-08-08 00:00:19 | 文学
 昨日の続きのようになるが、メディアが伝えるところに拠れば、例の「狂信的」としか思えない核武装論者の前航空幕僚長田母神俊雄が、こともあろうに「8・6ヒロシマデー」と同じ日に広島市のホテルで持論の核武装論をとうとうと語り、850人の聴衆が彼の演説に聴き入ったという。講演会の主催は、戦後も生き残った国粋主義・民族主義の信奉者達が集う「日本会議」の広島支部だという。この反核・反戦運動をあざ笑うかのような「日本を憂う」ナショナリスト達の目論見が、日本国憲法(とりわけ「前文」や第9条等々)が体現している戦後的理念を否定するところに成立しているものであることは火を見るより明らかであるが、そのような「日本会議」の目論見とは別に、北朝鮮の核武装をきっかけに国内で盛んになってきつつある核武装論がいかに危うい論理であるか、そのことについて書いておきたいと思う。
 まず、何故「核武装論」が危うい論理の上になったものであるか、といえば、それは核兵器(原水爆)をあくまでも「戦争の道具」としか見ていない、ということがある。新聞に拠れば、田母神氏の「核武装論」は、「核廃絶は絶対できない。夢物語に過ぎない。(何故なら)各国首脳も核武装して強い国になった方が国が安全になると考えている。核兵器の戦争に勝者はない。だから大きな戦争にもならない。日本も世界の中で生きるために核武装を追求すべきだ」というものであるという。保守党の政治家を初めとする大方の核武装論者も、田母神氏と同じような論理に基づいているように僕には思えるが、彼らの論理が間違っていると思う理由には二つある。
 一つは、「ニュークリア・バランス=核抑止論」は冷戦時代の産物であり、確かに東アジアにおいては「北朝鮮VS日本」という形の冷戦構造が残っているという論理も成り立つかも知れないが、「核戦争に勝者はない」ということが分かっていながら、それでも核武装を推進すべきというのは、仮想敵国からの核ミサイル発射に関して、これまで何度「誤認」があったか、またそれに基づいて核戦争の一歩手前まで何度行ったか、を歴史的に検証していないということで、核武装すれば核戦争は絶対起こらないというのは、幻想に過ぎない。これは、スリーマイル島やチェルノブイリ、あるいは日本各地で小規模ながら繰り返し原発で事故が起きているにもかかわらず、「原子力発電は安全である」という「神話」を信じているのと同じ精神構造と言える。核戦争がこれまで起こらなかったのは、ただ単に「偶然」の所産にすぎない。「やられたら、やり返せ」が戦争の本質だとするならば、兵器としての原水爆など(田母神氏のような)「狂信的」な指導者が存在した場合、いとも簡単に使用されるのではないか。核兵器が使用されたら、「ヒロシマ・ナガサキ」の何十倍も威力のある原水爆によってどれほどの被害が出るか(人類が滅亡するか)、容易に想像できる。
 もう一つの理由は、「核・原水爆」の問題は、「ヒロシマ・ナガサキ」の出来事が実証したように、文明論的・歴史的な側面からも考えなければならないことで、もし万が一にも全面核戦争が起こったら、「核の冬」現象のことを考えても、そこで私たち人類の歴史は終わり(あるいは今までのものとは異なり、大きく変質したものになる)、「猿の惑星」ではないが、営々と築き上げてきた「文明」に終止符を打つことになる。そのことについて、核武装論者達は一顧だにしていない、そこが最大の問題なのである。このような「文明論的」「歴史的」観点の欠如は、「ヒロシマ・ナガサキ」について報じたり論じたりしているマスコミ・ジャーナリズムも同じで、薄っぺらな感じを免れることができない。その意味では、マスコミが高く評価しているオバマの「核軍縮」論も同断である。
 しかし、「日本の原爆」(全15巻 83年 ほるぷ出版)のどこを繙いても理解できることだが、日本の文学者達は、戦後間もなくの原民喜(「夏の花」など)や大田洋子(「屍の街」など)を初めとして一貫して上記のような「文明論的」「歴史的」観点から「核・被爆」の問題を考えてきた。「核廃絶」を言うのなら(あるいは「核武装論」を唱えるなら)、「夏の花」や「屍の街」、あるいは井伏鱒二の「黒い雨」、小田実の「HIROSHIMA]、井上光晴の「明日―1945年8月8日・長崎」、そして林京子の「祭の場」他の作品を読んでからにして欲しい。海外にだって「ヒロシマ・ナガサキ」の出来事を真摯に受け止めた上で書かれたと思われる原爆文学(大方はSF)がある。
 「熱い夏」は良い機会だから、僕らはそれら「原爆文学」の成果を今一度じっくり考えるべきなのではないか。

「8月6日・ヒロシマデー」に考える

2009-08-06 04:55:06 | 仕事
 64年前の今日(8月6日)、広島市の上空500メートルで「武器」として人類最初の原爆が炸裂したことは、(日本人ならばという注釈を付けて――というのも、世界中の誰もが知っていると僕ら日本人は思いがちだが、「ヒロシマ・ナガサキ」のことなんか知らないよ、という人々が多数存在することを僕らは忘れてはならないだろう)誰もが知っている。しかし、確か昨年も書いたことだが、1945年の8月6日・9日に2発の原爆が日本の都市上空で炸裂したことは知っていても、ではその時の犠牲者(死者)はどれほどの数で、また「被爆者=ヒバクシャ」と呼ばれる人々はどれほどの数生み出されたのか、ということになると、情けないことに(ということは、僕を含めて「反核」論者達の活動や長い間続いてきた日本の「平和教育」が十分ではなかった、ということを意味するのだが)、ほとんど知らない(覚えていない)というのが現状である。
 保守党の政治家や財界人、知識人達の間から、例えば北朝鮮の核問題などが起きると(古くは、中国が核保有を明らかにしたときなど)、核武装論が浮かび上がってくるのも、本当の意味で「原爆・核」のことを理解していないからだ、と僕は思っている。この欄の何回か前に僕がどのような形で「原爆・核」問題や「原爆文学」に関ってきたかを列記したが、そのような経験の中で、「ヒロシマ・ナガサキ」を経験した日本人の中から何故核武装論者が出るのか、ということについて考え続けてきたのだが、結論的に言えば、彼らは「ヒロシマ・ナガサキ」について本当に理解していないからではないか、ということになる(あるいは真逆な結論になるが、彼らは「ヒロシマ・ナガサキ」のことを十分に知っているが故に核武装論を敢えて唱えているのかも知れない)。
 ただし今年はアメリカ大統領のオバマが歴代のアメリカ大統領が決して口にしなかった「ヒロシマ・ナガサキ」に言及し、「核廃絶・核軍縮」を提唱したということもあって、マスコミ・ジャーナリズムの上では例年になく「ヒロシマ・ナガサキ」のことが話題になっており、その意味では大ぴらに核武装論を唱える輩も影を潜めたように見える。しかし、首相の防衛問題に関するある諮問機関が「集団自衛権を認める」(自衛隊の海外出動を更に推進する、という意味がそこには含まれる)というような答申を出し、小泉時代からあからさまになってきた保守党の「タカ派=ネオ・ナショナリズム」体質は変わらないことを国民に見せつけたが、この諮問機関を構成するメンバーが核武装論者でないという保証はどこにもない。また、オバマの核軍縮の提案を朝日新聞を初めとするマスコミ・ジャーナリズムは高く評価しているが、本当にそうか、と僕などは思っている。なぜか。それは、核廃絶(核軍縮)も大事だが、もし本気で核軍縮を考えているのであれば、「核兵器」の存在と密接な関係にある「戦争」について、とりわけ増派し続けているアフガニスタン戦争について何故オバマは「停戦」ないしは「休戦」の提案をしないのか、と思うからである。片一方で「人殺しや破壊=戦争」を容認・推進していながら、他方で「核廃絶・核軍縮」を唱える、これは明らかに矛盾である。その矛盾に気付いていないように見える(振りをしている)オバマの「核廃絶・核軍縮」演説、僕にはどうも眉唾にしか思えないのである。
 もちろん、通常兵器(普通の戦争)と核兵器(核戦争)とは違う、という論理も成り立つから、そのような論理に基づいてオバマが「核廃絶・核軍縮」を提案したのだということも考えられる。しかし、僕は「核」に関しては悲観論者なので言うのだが、オバマは本当に「核」や「ヒロシマ・ナガサキ」に関して十分に知った結果として核廃絶(核軍縮)について提案したのか、はなはだ疑問なのである。それは、パレスチナ(ガザ地区)を最新兵器で攻撃し多数の死傷者を出したイスラエル(この国は、核保有国でありながら、戦略上の問題として核保有を認めていない)の駐日大使が今日広島を訪れ「平和式典」に出席するという、ということに似ているからである。彼ら(オバマやイスラエルの駐日大使)が個人的に「ヒロシマ・ナガサキ」や「核」についてどう思っているのかは知らないが、もし本気で「ヒロシマ・ナガサキ」で起こった悲劇について、それが人類史上に起こった最大の悲劇であると思うのであれば、お為ごかしに「核軍縮・核廃絶」について唱えたり、「ヒロシマ・デー」に列席するより先に、自国で自国民に向かって「反核」「反戦」について語るべきではないのか、と僕は思うのである。
 先日のテレビで放送していたが、未だにアメリカ国民の多くは8月6日・9日の核兵器使用は「正しかった」と思っているという(これは、僕が9年前にアメリカ・ニューメキシコ州の「国立原子力博物館」<National Atomic Muzeum>で経験したことに重なる。小学生を連れた父親がヒロシマ原爆の写真の前で、この爆弾がいかに多数のアメリカ兵士の命を救ったか、戦争を早く終わらせるのにいかに役だったか、を説明していたが、その時、件のそのリトルボーイによってヒロシマでいかに多くの犠牲者(死者・ヒバクシャ)が生じたかは全く説明していなかった。館内の説明も核の「威力」については多くの言葉を要していたが、その爆弾による犠牲者については過小にしか触れられていなかった)。たぶん、核保有国のイスラエルも同断だろう。ならば、再度言いたい。まず自国民の前で「ヒロシマ・ナガサキ」の悲劇(悲惨)について語り、そして後「核軍縮・核廃絶」について唱えるのが筋ではないか、と。
「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ」は、人類の喫緊の課題として存在するはずである。そのことを捨象した言説を認めるわけにはいかない。僕はそのように思っているのだが……。