基本的には「アナログ」人間であり、そうであるが故に全てにおいて「デジタル」化を目指しているような現代社会の在り方に対して疑問を持っているが、その理由は近代の表徴である「個」の確立(自立)を曖昧化するデジタル社会特有の「匿名性」が、人間社会の根幹であるはずの「共同性=共生」を破壊し、仮想化してしまうことに対して危惧を抱いているからである。つまり、現在のようにあたかもそれがデジタル社会の現実であるかのように「匿名性」を許し続けていたら、現在でも加速度的に進行している人々の「孤立化」が、果たして将来的にはどうなるのだろうか、と思っているということである。
しかし、最近「なるほど、匿名性にもこのような利点があったのか」と思わせるニュースに接した。ネット社会の唯一の「利点」なのではないか、と僕は思っているが、「ウイキリークス」というサイトが「匿名性」と「情報源」の秘匿という点に依拠して、アメリカ(アメリカ国防省が、と言ってもいいが)がこれまでずっと隠し続けてきたイラク戦争の死者数を記した「秘密文書」を「内部告発」で明らかになった、というのである。具体的には、アメリカが「石油利権」の確保と中東においてアメリカの政策に敵対し目障りな存在になっていたフセイン大統領を排除するために始めた「イラク(侵略)戦争」において、撤退が終了した時点においてアメリカ兵を含む全体の死者が「10万9000人」で、そのうち市民=無辜の民は「6万6081人」だった、というのである。
アメリカはイラク戦争について、この間一貫して「核兵器」や「生物化学兵器」を持ってている可能性のあるフセイン大統領排除を目的とした「正義の戦争」だと言ってきたわけだが、これは「正義の戦争」だろうが「侵略戦争」だろうが、あるいは「内乱」だろうが、戦争でいつも犠牲になるのは無辜の民=市民(子供や女性・老人を含む)であるということを如実に語っていることであって、オバマ大統領のノーベル平和賞受賞についての疑義につなげて言えば、「核軍縮」を唱え、イラクからの撤兵を実現したとは言え、アフガン戦争には兵を増派し、ますますその泥沼化を進めている(当然、市民の犠牲者は増加の一途を辿っている)アメリカの最高責任者オバマに対して「ノーベル平和賞」を贈るノーベル賞委員会は、繰り返すが相当「政治」的なのである。「平和」という言葉に僕らはだまされてはいけないのではないか。つまり、「ノーベル平和賞」を他の「化学賞」や「経済賞」、「医学・生物賞」、「文学賞」などと同列に扱ってはいけないのではないか、ということである。
権力は、常に「情報」を操作し、「真実」を隠す。これは、日本がアジア・太平洋戦争中に行った「情報操作・検閲」や偽りで塗り固められた「大本営発表」を持ち出すまでもなく、権力の常道と言っていいが、そのような権力が張り巡らす「バリア=壁」を打ち破って、情報を「ありのまま」に伝える、という意味で、インターネットはすごい、と素直に思う。ジャーナリズムは、本来的には「反権力」「在野」であることによって意味があるのだと思うが、「ウイキリークス」は、まさにその典型と言っていいかも知れない(もちろん、この「ウイキリークス」が「建前」としては多くのボランティアによって支えられているサイトである、ということを僕が単純に信じていると言うことではない。全てが「カネ」によって支えられている資本主義社会に存在する以上、このサイトに何らかのおカネが入り込んでいないとは、誰にも言えない)。
それでも、「ウイキリークス」によって与えられたインパクトは、大きい。残念ながら、日本には同種のサイト(人々)はない(僕の知る限り)。自分を「安全地帯」に置いて、他者を貶めたり、誹謗中傷する「匿名者=卑怯者」は山のように存在するのだが……。
しかし、最近「なるほど、匿名性にもこのような利点があったのか」と思わせるニュースに接した。ネット社会の唯一の「利点」なのではないか、と僕は思っているが、「ウイキリークス」というサイトが「匿名性」と「情報源」の秘匿という点に依拠して、アメリカ(アメリカ国防省が、と言ってもいいが)がこれまでずっと隠し続けてきたイラク戦争の死者数を記した「秘密文書」を「内部告発」で明らかになった、というのである。具体的には、アメリカが「石油利権」の確保と中東においてアメリカの政策に敵対し目障りな存在になっていたフセイン大統領を排除するために始めた「イラク(侵略)戦争」において、撤退が終了した時点においてアメリカ兵を含む全体の死者が「10万9000人」で、そのうち市民=無辜の民は「6万6081人」だった、というのである。
アメリカはイラク戦争について、この間一貫して「核兵器」や「生物化学兵器」を持ってている可能性のあるフセイン大統領排除を目的とした「正義の戦争」だと言ってきたわけだが、これは「正義の戦争」だろうが「侵略戦争」だろうが、あるいは「内乱」だろうが、戦争でいつも犠牲になるのは無辜の民=市民(子供や女性・老人を含む)であるということを如実に語っていることであって、オバマ大統領のノーベル平和賞受賞についての疑義につなげて言えば、「核軍縮」を唱え、イラクからの撤兵を実現したとは言え、アフガン戦争には兵を増派し、ますますその泥沼化を進めている(当然、市民の犠牲者は増加の一途を辿っている)アメリカの最高責任者オバマに対して「ノーベル平和賞」を贈るノーベル賞委員会は、繰り返すが相当「政治」的なのである。「平和」という言葉に僕らはだまされてはいけないのではないか。つまり、「ノーベル平和賞」を他の「化学賞」や「経済賞」、「医学・生物賞」、「文学賞」などと同列に扱ってはいけないのではないか、ということである。
権力は、常に「情報」を操作し、「真実」を隠す。これは、日本がアジア・太平洋戦争中に行った「情報操作・検閲」や偽りで塗り固められた「大本営発表」を持ち出すまでもなく、権力の常道と言っていいが、そのような権力が張り巡らす「バリア=壁」を打ち破って、情報を「ありのまま」に伝える、という意味で、インターネットはすごい、と素直に思う。ジャーナリズムは、本来的には「反権力」「在野」であることによって意味があるのだと思うが、「ウイキリークス」は、まさにその典型と言っていいかも知れない(もちろん、この「ウイキリークス」が「建前」としては多くのボランティアによって支えられているサイトである、ということを僕が単純に信じていると言うことではない。全てが「カネ」によって支えられている資本主義社会に存在する以上、このサイトに何らかのおカネが入り込んでいないとは、誰にも言えない)。
それでも、「ウイキリークス」によって与えられたインパクトは、大きい。残念ながら、日本には同種のサイト(人々)はない(僕の知る限り)。自分を「安全地帯」に置いて、他者を貶めたり、誹謗中傷する「匿名者=卑怯者」は山のように存在するのだが……。