黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

3学期が終了

2008-02-29 05:13:44 | 仕事
 今週でようやく3学期の授業が終わり、個別入試(前期)も終わり、3月から「春休み」ということになるのだが、小学校や中学でも2学期制を採用するご時世だというのに、日本の国立大学の中で唯一(?)3学期制を取っている筑波大学の「春休み」は、授業がないとは言え、卒業や新学期に向けた準備などで、結構忙しい。
 忙しいと言えば、個人的な事情は別にして、国立大学が法人化されてから、年々大学が忙しくなっているような気がしてならない。余程時間をうまくやりくりしないと、「研究」の時間が取れなくなってきている。同僚と話をしていても、僕と同じように感じている人が多いように思う。政府は「科学立国」を叫び、文科省は「教育の高度化=大学院の充実」を要求しているが、現在のような「忙しさ」の中で、果たして十分に研究成果を上げることができるのか、はなはだ疑問である。
 なぜ、大学が考も忙しくなったのか。どうもそこには、金=経済を握った文科省の意向が働いているのだとしか思えないが、事務官とは別に教員たちが「研究者」であることを投げ捨てて「小役人」化し、やたらと会議を開きたがり、「痒いところに手が届く」ような教育をやらせたがる結果、我々教員が忙しくなるという構図になっているように思えてならない。「ほっといてくれ」と言いたくなるようなことが多く、これはたぶん学生たちも感じているのではないか、と思う。
 昔は良かった、と言うつもりはないが、少なくとも僕らが学生だった頃は、18歳で大学に入れば学生自身も世間も「大人」扱いしたものであるが、法律云々は別にして、大学主催の新入生歓迎の祝賀会でアルコール類が一切出なくなったことに象徴されるように、「大学」という組織が「退化=幼児化」しているのではないか、と思えてならない。確かに、入学したばかりの学生が急性アルコール中毒で緊急入院(死亡)などということが起これば問題であり、大学生の幼児化は何も大学だけの責任ではなく、社会(世間)全体の幼児化=退化を象徴しているとも言えるのだが、大学という高等教育機関は、もっと学生も教員も「自由」に放っておくべきなのではないか、と思えてならない。「痒いところ」があれば、何とか工夫して自分で掻け、と何故突き放すことができないのか? 余り公表されていないが、大学生が精神を病んで休学したり退学したりするケースが年々増加傾向にあるのも、僕はこの大学の退化=幼児化にその原因の一端があるのではないか、と思っているが、どうだろうか?
 それはまた、大学の至る所が「官僚化」「形式化」しているのではないか、と思えてならないこととも関係あるかも知れない。。例え「象牙の塔」と罵られようが、「知」の集積場だった大学が、社会に対する「批判=文明批評」を忘れてしまって、目先の利益(効果)しか考えない組織に化してしまっているとしたら、それこそ由々しきことなのではないか。「知」が企業に擦り寄ったり、国家に擦り寄ったりして良いことなどあるはずがない。そのことは、洋の東西を問わず、歴史が如実に語っていることである。
 誰かの台詞ではないが、「もっと自由を!」というのは、今や大学人の切実な願いになっていると言っても過言ではない。

四度「官・軍」優先思想について

2008-02-28 11:13:57 | 文学
 繰り返すようだが、イージス艦「あたご」が起こした漁船との衝突事故が明らかにしたのは、この国に広がりつつある「官・軍」(官尊民卑)優先思想であり、民主主義の根幹を成す「国民主権」がいよいよ脅かされつつある現実であった。
 昨日も、衝突事故直後に事故当時「見張り」の責任者であった航海長を、「捜査」を担当する海上保安庁に先駆けて防衛省がヘリコプターでしかるべき場所に運び、「事情聴取」していたことが判明した。その席には石破防衛大臣が同席にしていたという。そのことを隠して「2分前」発言があったのだが、それはそれとして、このことの意味することは、マスコミなどが騒いでいる防衛省と海上保安庁を管轄する国土省との「縄張り争う」などではなく、防衛省(軍隊・軍部)が国会や他の省庁を無視して「暴走」するようになっていることの証なのではないか、ということである。今のところ、その「暴走」体制のほころびが目立ち、防衛省の体質が云々されているだけだが、たぶん「テロ特措新法」を通過させた保守勢力を味方にした防衛省は、自分たちの「正しさ」に確信を持っているだろうから、今回のイージス艦事故では「うまくいかなかった=失敗した」が、この次からは「うまくやって」軍隊として体面を保つようにしようと考え、実行するのではないか、と予想される。
 しかし、そのような自衛隊=防衛省の在り方は「いつか来た道」でしかない。もちろん、戦前と戦後では社会体制が全く異なるから、自衛隊=軍隊の「暴走」は考えられないという立場があることも承知している。だが、小泉ー安倍政権で鮮明となった与党(自民党・公明党)の改憲路線――「有事法制」のの整備、教育基本法の改正、国民投票法案の成立、などなど――のことを考えると、僕の「危惧」が「危惧」のまま終ることはないのではないか、と思えてならないのである。何よりも、アフガン戦争・イラク戦争への「参戦」は自衛隊が発足して以来の念願であり、自衛隊がその呼称とは異なり「戦争を行う軍隊」としての本質を剥き出しにするようになったことの「証」である。そのことの本質を僕らは十分に認識する必要があるのではないか、と思う。
 ある論者が、戦後日本は「平和憲法」に守られて62年間「平和」であったかのように考える人がいるが、それは「嘘」で、朝鮮戦争、ベトナム戦争、あるいは中東戦争と日本とのかかわりを考えれば、ずっと日本は「戦争」と関係していたのだ、と書いていたのを読んだことがあるが、その通りだな、と思うことが多々ある。その意味では、僕らは本当に「平和」とは何か、「戦争」とは何か、と今こそ考えなければいけないのではないか、と思う。
 「暗い」と言われるかもしれないが、能天気になれないのが現実である。

「2・26事件」・三島由紀夫・イージス艦事故

2008-02-27 06:21:40 | 文学
 昨日のイージス艦事故を巡る国会論議を聞いていて、今日が72年前の1936(昭和11)年2月26日に起こった軍事クーデターである「2・26事件」のことを、ふと思い出した。理由は、「テロ特措法」によるアフガン戦争への自衛隊の参戦(海外派兵)問題に象徴される自衛隊の膨張(世界第6位の装備を誇る)と、イージス艦事故への防衛省の対応に「危険」なものを感じたからに他ならない。
 特に、イージス艦が漁船を発見した時間を巡って「2分前」が「12分前」に変更となり、しかも確定した「12分前発見」の僕らへの報告(記者会見)が10時間近く遅れるという、何やら「真実」を隠蔽するために取られたらしい姑息なやり方を見ていると、「軍事機密」ということで「国民」に知らせることなく軍部が暴走した戦前を思い出し、その象徴とも言うべき「2・26事件」が孕んでいた危険性と似たものを感じたのである。「昭和維新」を叫んで決起した青年将校たちを動かした情動と思想と同じものをイージス艦事故に対する防衛省の対応に感じ取ったのである。
 もう一つ今回のイージス艦事故において自衛隊から「危険な臭い」が漂ってきたのは、漁船と衝突する1分前までイージス艦は「自動操舵」状態にあったという、その「傲慢」な姿勢に「シビリアン・コントロール」から離脱しつつある最近の自衛隊の体質=軍事優先思想を感じ取ったからに他ならない。「国民よ、お前たちの生命と財産を守っているのは俺たちだ、だから文句を言うな」というような態度が目立ち、かつては「日本国憲法・第9条」を意識してか、自衛隊は「日陰の子」的な態度に終始していたものであるが、最近はそんな意識や感情はかなぐり捨てて、世界第6位の装備を誇る自衛隊に変貌してきている。軍部=自衛隊の「驕り」が悲劇しか生み出さないことは、大国アメリカに無謀な戦を挑んだ太平洋戦争で百も承知のはずなのに、「現代史」を学ばなくなった世代が大半を占めるようになった現代に対しては、今度のイージス艦事故とそんな太平洋戦争を結びつけるのは、アナクロニズムか?
 だが、同時に、以上のようなイージス艦事故に対する防衛省の対応を見ていて感じたのは、唐突に思うかも知れないが、こんなことが続くと「第二の三島由紀夫」が出現するのではないか、そしてもし「憲法第9条」の縛りが緩くなっている今日に「第二の三島由紀夫」が出現したら、38年前(1970年11月25日)とは違って、疲弊した世の中を改革すべく自衛隊にクーデターの決起を促した「三島由紀夫」に同調する自衛隊員及び市民は数多く存在し、何らかの「社会改造」(民主的ではなく権力的な社会)が実現するのではないか、ということであった。
 ここ何日かTVの各局は、「極寒の地で暮らすホームレス」といった特集を流す一方で、大食いギャルが1個30万円もする干しアワビを「おいしい」と食する場面をこれでもかこれでもか流す、どこか偏頗な「格差社会」、年収200万円以下の人が1000万人を超える一方で、「セレブ」と称する人たちが1泊何十万円もするホテルに泊まる新婚旅行を行うこの日本の社会、「勝ち組」だからとか「負け組」だからとか言っている暇はないのではないか。
 そして思ったのは、そんなこの国の現実に対応している「文学」作品は果たして存在しているのか、ということである。それはまた、「第二の三島由紀夫」が出現するかも知れない時代に、三島的なことに徹底して反対した大江健三郎のような存在が果たして可能なのか、ということでもある。村上龍を読み続けている今日だから、余計にそう思うのかも知れないが……。

日韓新時代(?)

2008-02-26 09:24:41 | 文学
 マスコミは、昨日就任したばかりの韓国新大統領と福田首相との会談を取り上げて、「日韓新時代の到来」を声高に叫んでいる。確かに、前大統領の時代には「靖国」問題などがあって、日韓関係は冷え切っていたと言われるが、それは政治的・経済的な側面からのみ見た考え方で、「韓流ブーム」に代表されるように、民間レベルの交流では決して「冷え切って」いなかったのではないかと思うが、そのような現実とは別次元で「日韓新時代」が叫ばれるのは、どのような意味があるのか。
 例えば、この日韓関係に「北朝鮮」というキーワードを取り込んだとき、そこから何が見えてくるか? 前々大統領の金大中から前大統領の盧泰愚まで、それまで「対立」しかなかった朝鮮半島の南北関係に「太陽政策」なる融和・対話路線を持ち込み、南北の間は「雪解け」状態になった。しかし、今度の新大統領はそのような「太陽政策」を見直すと明言している。となると、せっかく緩和しつつあった東アジアの「冷戦」状態がまた振り出しに戻ってしまう可能性がある。このことが果たして「日本」にとって都合の良いことになるのだろうか。「拉致問題」をきっかけに、北朝鮮への経済封鎖を強めた安倍前首相ならいざ知らず、「対話」路線を取ろうとしている福田首相は、本当に韓国新大統領とにこにこ笑いながら握手などしていて良いのだろうか。福田さんは、新大統領と組んで北朝鮮への「締め付け=経済封鎖」を強めようとしているのだろうか。
 このように「現在」でも複雑な様相を呈せざるを得ない日韓関係だが、その大元には戦前の日本による36年間の植民地支配、および戦後の冷戦構造を直接的に反映した朝鮮戦争を経ての38度線による南北分断国家の誕生、があるという考え方に立てば、<在日>文学に関わってきた者として言えるのは、未だ日韓関係・日朝関係の根っこには「差別」の問題があるのではないか、と考えざるを得ない。
 と言うのも、昨日の「金鶴泳展」訪問記で、書き忘れというか、無意識的に避けたのではないかと今は思っている「差別」問題が、作家の「自殺」に絡んだ大きな問題として存在するということを、やはり指摘しておかなければならないと思ったからである。昨日、展覧会を見ていたとき、僕を案内してくれていた旧知の学芸員に、金鶴泳とほぼ年齢が同じぐらいの老人が、展示物を眺めながら、「自分たちが小さかった頃は、朝鮮人に対する差別がひどかった。これを見ていると当時を思い出す」、と語っていたのを小耳に挟むということがあった。老人は、「昔は……」という言い方をしていたが、誤解を恐れずに言えば、「拉致問題」にエキセントリックとしか思えない対応をしている僕らに、本当に「差別」意識はないのか。もしないのであれば、何故金鶴泳は「自殺」しなければならなかったのか。あるいは彼の文壇処女作である吃音者の苦しい胸の内を吐露した「凍える口」(1966年)を書かなければならなかったのか。なぜその後の彼の作品の中に「北朝鮮」支持の父親(及び何人かの弟妹)との確執が登場しなければならなかったのか。
 そのようなことを考えると、僕は未だに本質的な意味で「朝鮮人差別」の問題は解決していない、と思っている。解決したように思っているのは、余程のオポチュニスト(楽観主義者)か、歴史に関してアパシー(無関心)な人なのではないかと思うが、どうだろうか。
 その意味では、「日韓新時代」だというのだから、この機会を捉えてもう一度日韓関係史および<在日>文学について考える欲しい、と思う。「歴史」を軽視する人(国)は、必ず「歴史」からしっぺ返しを食らう。それが僕たちに「歴史」が教えることである。「努々忘れる事なかれ」!

「金鶴泳」展を見て

2008-02-25 17:43:10 | 文学
 来月16日(日)午後2時から展覧会の締めくくりとなる講演会を引き受けた県立土屋文明記念文学館を、時間ができたので覗いてみた。講演会の直前に展示品を見るというのも一つの方法だが、郷里で初めて開かれる作家の展覧会がどうなっているのか、事前に知っておくことも大事かなと思って訪れたのだが、全体としては「遺族」が「遺品」を大事にしていた結果でもあるのだろうと思うが、良くできていたのではないか、と感じられた。
 かつては萩原朔太郎も山村暮鳥もそうだったはずだが、文学者=表現者などという「変わり者」は、生きている間は郷土から受け入れられず、死んで後、他から高い評価を得て初めてその作家なり詩人なりの価値を自覚するものであるが、そういう意味では金鶴泳も没後23年(1985年1月4日自死)にしてようやく「群馬が生んだ作家」の仲間入りをさせてもらった、ということになるのだろうか。
 とは言え、展覧会について僕が感じた問題点をいくつか揚げれば、まず金鶴泳という<在日>作家がどのような文学史の中から、つまり<在日>文学の歴史の中から生まれてきたのか、またどのような<在日>作家仲間たちとの交流があって今日の地位を角逐することができたのか、その点について今ひとつメリハリがきいていない、と僕には感じられた。それともう一つ、1番目のことと関係するのであるが、金鶴泳という作家は現代文学の世界(文壇)でどのように評価されてきたのか、その点についてもう少し強調されても良かったのではないか、と思った。
 金城一紀や柳美里という当代の「売れっ子作家」たちが突然出現したのではなく、<在日文学>という水脈の中から出てきたという考え方に立てば、金鶴泳も金史良や張赫宙、金達寿質の流れの中から生まれてきたと考えられ、そのような考え方をすることによって初めて<在日文学>の全体像とその中の金鶴泳という像が浮かび上がってくるのだと思う。
 もう1点、「金鶴泳」展に欠けていたのは、<在日文学>、つまり金鶴泳の文学がその存在の全体で、日本文学を相対化する存在である、という視点である。これは、「沖縄文学」がその独特な位相故に「ヤマト(の文学)」を相対化するのと同じようなものである。僕は、<在日>の問題を取り扱うときに一番大切なのがこの視点だと思うが、残念ながら今回の展覧会はそれが希薄だったと言うことができるだろう。
 しかし、繰り返すが、県立文学館で<在日>作家の金鶴泳を特別展で取り上げた意義は大きいと言わねばならない。
 このブログの読者で、近くにお住みの方、是非文学館に足を運んで欲しいと思う。また、僕の講演会もまだまだ定員に満たないという、是非聞きに来てください。

司修氏と

2008-02-24 10:43:09 | 文学
 昨夜、昼から夜まで「春一番」が吹き荒れる前橋で、司修氏と半年ぶりに歓談の時(飲み会)を持った。司さんは、群馬県立近代美術館(現在改装中なので、旧県庁の建物を利用した催し物会場)が催す「司修が描く萩原朔太郎の世界」展(3月15日まで開催)で、ワークショップと講演をするために前橋に来たのだが、司さんとは昨年3月までの2年間「前橋市立文学館」の仕事をやっていた時以来の「前橋の夜」で、久し振りに作家の「苦心談」を始めとして、表現することの困難さ等について、心ゆくまで話すことができた。
 周知のように、司さんは画家であり装丁家であり作家である。絵描きとしての司さんとは、もう15年以上前になるが、僕が編集した「ヒロシマ・ナガサキ写真絵画集成」(全6巻 日本図書センター刊)の第5巻の表紙に司さんの「ファッション1971」を使って以来、装丁家の司さんとは拙著「三浦綾子論」(94年 小学館刊)の装丁をしていただいて以来、作家としては県紙の「上毛新聞(文化欄)」に「司修の文学」を10枚ほど書いて以来の付き合いになるが、濃密な時間を過ごしたのは、最低月1回は会うことになった「前橋文学館」の立て直しのために「前橋文学館を考える会」を組織し、そのことに関して様々な議論を行ったことによる、と言っていいだろう。前橋文学館に関しては、昨夜も話に出たが僕らとしては「精一杯考えられることはした」が、「考える会」に参加してくれたメンバーの話によると、「考える会」が解散し、司さんと僕が関係しなくなったら、「元の木阿弥」になってしまったということだが、「文化」だとか「文学」とかというものは、動きを止めたらすぐにカビが生えてくる、という典型的な道を前橋文学館も歩んでいるのかも知れない。
 文学館に関して、僕らがよく知っている文学館に「県立土屋文明記念文学館」があるが、前にこの欄で書いたようにそこでは今「特別企画 金鶴泳展」が開かれていることに話が及び、僕も司さんも付き合いのある「在日朝鮮人・韓国人文学」作家の李恢成や金石範、梁石日、金時鐘などの話で盛り上がったのだが、僕らの話の基盤にあったのは、子供の頃から接することの多かった「在日」の人たちに対して日本人の多くが陰に陽に「差別」してきた事実をどう捉えるか、ということであった。そのことを今の若い人たちは知らなすぎる、「韓流ブーム」などの表面的なことで「差別を余り感じない」というようなことを平気で言う、というような批判に終始した。
 そこからまた話は群馬の文学関係者の「文学観」に及び、どうも彼らの意識は萩原朔太郎と中心とする詩歌に偏重しすぎていて、小説や評論を軽視する傾向にあるのではないか、ということになった。例えば「群馬文学全集」は全20巻で構成されているが、その大半は詩人、俳人、歌人の仕事で占められ、現代作家は何と1巻に「金井美恵子、南木桂士、金鶴泳、萩原葉子」(第19巻)の4人が収められ、評論の巻にはあれほど活躍している松本健一や戦前から戦後に書けて「早稲田文学」で活躍した市川為雄などが入っていないという「偏頗」なものになっている(監修は伊藤信吉さんなのだが、全体の「構成」などの編集実務に関しては伊藤さんの意向が生かされなかったのではないかと憶測される)。話はちっぽけな「地方文壇」(そんなものあるのかね?)における権力争いに及び、僕も司さんもそんなものと無関係なところで生きてきた(表現してきた)「幸せ」を確認して、雪の降る夜半に散会した。
 久し振りに充実した時間が持てて、本当に良かった。
 司さんは4月から「静岡新聞」その他で1年間、発の新聞小説の連載に挑戦するとのことで、昨夜は「忙中閑あり」とのことであった。今日は2時から展覧会会場の旧県庁の建物で講演会が開かれる。僕は行かない、と約束したので行かないが、あいにく雪が10センチ近く積もっており、大変だなーと思う。

三度「官・軍」優先思想について

2008-02-23 12:15:58 | 近況
 今日(23日)の朝日新聞に片山前鳥取県知事が「道路特定財源=暫定税率」問題についてインタビューに応え、地方において国が行う事業について異議を申し立てたり、別な方法があるのでhないかというような「提案」を行うと、中央官庁の幹部が「おたく(あなたの県)との関係を考えさせていただく」、と恫喝にも似た言葉を発することがあったり、また「道路特定財源=暫定税率」を使って道路整備をする場合でも、市街地は家の買収や移転保証などで莫大な金がかかるから「今回は遠慮したい」と申し出たりすると、「駄目だ。道を造れ」を言われ、やむを得ず利用者が余りいないような山間部に立派な道路を造らざるを得ず、それが「税金の無駄遣い」と言われることの原因である、と語っていた。
 この新聞記事を読んで、東国原宮崎県知事などと違った、数年前まで地方自治体のトップとして中央との関係で悪戦苦闘してきた人の言葉として重みを感じたが、中央による「地方」の支配、これほど「地方の時代」や「地方分権」が叫ばれているにもかかわらず、そんなこととは関係なく「金=税金」を握った中央官庁の横暴と言っていい振る舞いは、今問題にされているイージス艦の衝突事故に対する防衛省の僕ら「国民」への対応にも、よく表れている。国会で誰かが(まさか僕のブログを見て知ったのではないだろうが、国民の誰もが同じように感じた)「そこのけそこのけイージス艦が通る」というような「軍」優先の思想が自衛隊の末端にまで浸透しているとしたら、これは「民主主義」の考え方(「日本国憲法」の思想」に根源から反することなのではないか、そしてそれは「いつか来た道」(戦争への道)に結びつくのではないか、という懸念を消すことができない。
 漁協(衝突した漁船と同道していた)漁船の発表や何人も登場した水先案内人、軍事評論家の話を総合すると、どうもイージス艦「あたご」で監視をしていた10人を超す自衛隊員は任務をサボっていた(怠慢勤務をしていた)ようであるが、もし彼らの「怠慢」な勤務が日常化していたのであれば、それはもちろん「綱紀」の弛みという問題もあるが、根幹に「官尊民卑」(「官・軍」優先思想)の考えがあったからとしか思えない。
 何よりも、あの過密状態と言っていい野崎岬沖の海域を航行するのに、衝突の「1分前」まで「自由操舵」状態にしていて平気だったというその意識そのものが、「官・軍」優先思想そのものだと言える。繰り返すが、そこには「俺たちが国を守っているのだ」という「驕り」(「自負」とは、敢えて言わない)が見受けられるし、また「俺たちは海外にまで出て、国のために過酷な任務を遂行しているのだ」という「勘違い」があるのではないか、と思わざるを得ない。「国のため」という言葉(及びその裏側にある思想)がもつ恐ろしさについては、すでに僕らは先のアジア・太平洋戦争の体験から十二分に知っているはずなのに、戦後生まれが大半を占めるようになり、現代史も十分に学ぶ必要がないという教育を受けて育った世代が多くなっている現在では、その「恐ろしさ」も切実感がなくなってしまっているのかも知れない。だとすれば、「そこのけそこのけイージス艦が通る」という考え方と感覚の方が当たり前になり、それこそ「いつか来た道」を僕らは歩かなければならなくなるのかも知れない。
 嫌な時代になりつつあるな、と実感している。

さらに見えてきた「官・軍」優先思想

2008-02-22 08:57:53 | 近況
 戦前期の国木田独歩の『愛弟通信』に始まる「戦争文学」等を読んでいてまず気付かされるのは、「富国強兵」を謳った明治政府以来の日本国が、いかに「官・軍」優先思想を一貫させてきたか、ということである。例えば、「戦争文学」を代表する『麦と兵隊』を始めとする「兵隊三部作」を書いた火野葦平は、戦後になってからであるが、「戦争」をテーマとする作品を書くとき、次のような6箇条の制約があったことを告白している。
1.日本軍が負けていることを書いてはいけない。
2.戦争において必然的に伴う罪悪行為について触れてはならない。
3.敵は憎々しくいやらしく書かねばならない。
4.作戦の全貌を書いてはならない。
5.部隊の編成と部隊名を書いてはならない。
6.軍人の人間としての側面を表現してはならない。
 このようにして、「戦争」の真実に覆いを掛けたのが戦前の国家=権力であったが、この6箇条の禁止条項のうち、4~6までは今回漁船との衝突事故を越した今日の自衛隊に関して当てはまるのではないか、と思われる。その理由は、例えば当初イージス艦「あたご」の乗組員が漁船を目視したのは衝突の「2分前」であったと防衛大臣が発表したことが、翌日には「12分前」であったと訂正される。さすがあれだけの設備を誇る最新鋭のイージス艦が、衝突の「2分前」に漁船を発見したというのはまずいと思って「12分前」に訂正したのだろうが、こういうのを「藪蛇」というのだろう。「12分前に発見」はいいとして、その時衝突を回避するために海洋法で定められた右旋回をせず、直進し続けていたことが判明してしまった。さらに、昨日の衝突された漁船が所属する漁業組合での会見や説明で、真っ二つに引き裂かれた漁船の僚船の船長たちから、「30分前にあたごを視認していた。当然、あたごも漁船の存在をその時は知っていたはず」という証言まで出てきた。「12分前」というのは、何を意味するのか。「責任回避」のための口実を見つけるために捏造された「時間」と思われてならない。
 また、そのような「いい加減」な時間の問題よりさらに大きな問題を僕らに示唆しているのが、衝突の「1分前」まで「自動操舵」状態でイージス艦は走っていたと言うことである。関係者が口を揃えて「(船の航行が)過密な水域」と言っている野島崎沖で、何故「自動操舵」にしていたのか。ここにこそ、「官・軍」優先思想がダイレクトに出ている。イージス艦などの大型軍艦が「自動操舵」状態で航行するということは、大海原ならいざ知らず、乗組員(自衛隊)に「そこのけ、そこのけ、お馬が通る」という意識があったから、としか考えられない。つまり、漁船の1隻や2隻「国」のためなら破壊しても仕方がない、というような「傲慢」な考え方が自衛隊に蔓延しているが故に、今回のような事故が起こったとしたら、国会で繰り返し議論されている「シビリアン・コントロール」という考え方の根幹はどうなっているのか、と思わざるを得ない。
 昨日、石破防衛大臣が当該漁協に「謝罪」に行ったという。まさかこれで「幕引き」にするわけではないだろうが、石破さんはもっと詳しく「2分前」が「12分前」になったことの説明をすべきなのであり、それこそが潔い「責任」の取り方ということになると思うが、どうだろうか。
 このような事柄が僕らの前にさらけ出したのは、紛れもなく「官・軍」を最優先させる考え方(思想)である。このような思想が蔓延するとき、それはその国が最も「戦争」に近づき、「危険」な状態にあるときである。亡くなった(と思われる)漁船の親子には悪いが、彼らは自らが犠牲になって自衛隊の横暴(暴走)を阻止しようとしたのだ、とも考えられないわけではない。アメリカ軍基地もそうだが、自衛隊の在り方にも引き続き関心を持ち続ける必要がある、と思う。警戒すべきなのである。
 誰かが忠告してくれたように、今のような状態が続けば、そのうちこのブログのようなちっぽけな存在さえも「禁止」されるかも知れない。そんな嫌な時代にならないように、祈るばかりである。

腹が立つこと二つ

2008-02-20 06:40:29 | 近況
 昨日の早朝に起こったイージス艦「あたご」と漁船の衝突事故、「仮想敵国」からのミサイルを防ぐという理由で1400億円以上の巨費を投じて購入された、最新鋭(高性能)のレーダー設備を備えているはずの艦船が、親子二人で操業していた漁船をまっぷたつに引き裂いた事故、ここから見えてくるものは何か。
 防衛省の「規律」が緩んできていることは、先に大問題になった守谷前事務次官の汚職事件で明らかになったことであるが、今度の事故が僕らに教えてくれているのは、憲法第9条で「戦力を保持しない」と明言しているにもかかわらず、軍隊=自衛隊創設から50年余り、いよいよ「官・軍」優先の思想が現実なものになってきたのではないか、ということである。東京湾入り口の野崎岬沖と言えば、海の銀座通りと言われるほどに貨物船や漁船、その他の船が行き交う場所である。そこを通るのに、艦船評論家や軍事評論家が言うように、最新鋭のレーダーに「盲点」(レーダーの捕捉範囲を狭めていなかった場合、漁船などの小さな船はレーダーから見えなくなってしまう)があったとすれば、そこには最新鋭のイージス艦に乗っているという海上自衛隊の「驕り」があり、それが事故を引き起こす原因になったのではないか、と思わざるを得ない。事故が起こったとき、10人の自衛官が艦外の海上を「監視」していたという。それなのに、漁船との距離が100メートルになるまで「誰も」気が付かなかったというのは、自衛隊員の「驕り」に加えて「怠慢」があったのではないか。
 僕が「官・軍」優先の思想が現実のものになってきているのではないか、と言うのも、アフガン戦争での給油活動やイラク戦争への参戦という「海外派兵」の経験から、俺たちは国を代表して危険な任務に就いているのだという「自負」が、いつの間にか「驕り」を生み、「怠慢」を引き寄せることになったのではないか、と思うからである。いよいよ、日本も「戦争のできる国」=「官・軍」優先思想を現実化したものに「変貌」したのだろう。嫌な気持ちになる。
 二つめは、東国原宮崎県知事と菅直人民主党代表代行との「道路特定財源=暫定税率」維持を巡る討論を聞いて、のことである。東国原知事については、「徴兵制が必要」と発言して以来、この欄では彼を批判し続けているが、昨日行われた討論を聞いていて(全部ではない、マスコミが流した情報だけだが)、僕の批判が間違っていなかったと確信すると共に、猛烈に腹が立った。理由は、彼個人は「利権」を求めていないとしても、「高速道路が必要、だから暫定税率は維持すべきだ」というのは、田中角栄以来の自民党がずっと地方で行ってきた政治(税金の無駄遣い、政治道路の建設)そのものであり、その土建業誠意損への反省が全く見られなかったからである。あれだけ宮崎県をPRするのであれば、4度訪れただけの僕が言うのはおこがましいかも知れないが、宮崎県の良さはその根っこに「自然との共生」があって初めて実現しているものと思われるのに(宮崎の地鶏や宮崎牛、マンゴーなどの宣伝に彼は躍起になっていたではないか)、そのことについて一顧だにしない東国原知事。高速道路建設は、その「自然」を破壊する最たるものだと僕は思うが、そのことに「そのまんま東」が全く言及しないのは何故か。今年は「環境」をテーマにしたサミットが北海道で開かれるというのに、どうも彼は目先のことしか考えていないのではないか、と思わざるを得ない。だから、暫定税率の廃止ないしは一般財源化に何故彼が反対するのか、全く理解できない。小泉元首相のような「口先」だけの政治を黙って見過ごしていたら、とんでもないことが起こるのではないか、と思う。医療とか教育とか福祉とかお金を掛けなければならないところがたくさんあるにもかかわらず、「道路」建設だけに使う税金(道路特定財源=暫定税率)というのが異常であること、そのことに東国原知事は気付いていないのであろうか(気付いていながら、国交省や政府に「異議申し立て」をするのは不利だから、知らない振りをしているのだろうか。今は、「そのまんま東よ、お前もか!」という心境である。
 「権力」を得たものは、その「権力」がもたらす「蜜の味」に酔い痴れていつの間にか自分が「権力」そのものになっていることに気が付かず、愚民政治を行う。これは洋の東西を問わず、「政治」のアポリア(難問)である。「そのまんま東」に宮崎県の石原慎太郎になってもらいたくはないのである。

「在日」文学と差別について

2008-02-19 05:56:52 | 文学
 偶然なのだろうが、ご承知のように「沖縄」問題における<差別>について書いていたら、昨日取材を受けた「あさひ群馬」(週刊 群馬県内の朝日新聞の販売店が資金を出して刊行している朝日新聞の姉妹紙)の記者との間でまたまた<差別>の話になった。こちらは、群馬県立土屋文明記念文学館で今開かれている「金鶴泳展」に関わる取材の中でのことであるが、30歳前後と思われる女性記者からの取材を受けていて気が付いたのは、僕の<差別>に対する意識と若い記者とのそれとの間に、相当の違いがあるのではないか、ということであった。前もって断っておくが、もちろんどちらが良いとか悪いとかという問題ではない。単純に世代の違いがもたらしたものであるかも知れない。
 そもそも、今回の取材は群馬県出身(東大に入学する18歳まで群馬県新町<現高崎市>に育った)でありながら、群馬県内の文学関係者にほとんど「無視」されてきた金鶴泳の文学史的な位置(意味)とその内実について、『<在日>文学全集』(全18巻 2005年 勉誠出版刊)を企画・編集した者としてどう考えるか、ということが中心になるものであった。
 朝の10時から2時間半に及ぶ取材は、県立文学館の「金鶴泳特別展」が萩原朔太郎を中心に詩歌に傾きがちな群馬県にあっては画期的なものである、ということから始まって、<在日>文学が宿命的に背負った「差別」の問題及び「祖国」が南北に分断されていることからもたらされてきた様々な問題(悲劇)など多岐にわたったのだが、彼女の「情報」によれば、僕がこの間ずっと思ってきたように、県立文学館で企画展が開かれているにもかかわらず、相変わらず県内で金鶴泳の作品を読む人が少ないという現実(それは、出身の高崎市の図書館でも蔵書が少なく、僕の編集した『<在日>文学全集』を収蔵しているのは、県立図書館と前橋市立図書館のみ、という点によく表れている)があるという。5年前に刊行された『群馬文学全集』(全20巻)の「現代作家集」の中に、本来1冊に収録されるべき金井美恵子や南木桂士らと一緒に収められているその取り扱い方に、金鶴泳の群馬県での扱われ方が象徴されている。
 僕は、このような現実にこそ在日朝鮮人・韓国人に対する根強い<差別>があるのではないかと思うのだが、「韓流ブーム」やら「仮想敵国・北朝鮮」の「拉致問題」やらで、どうも僕ら日本人の「内部」に巣くう「差別意識」に薄められてきているのではないか、と思わざるを得ない。皮肉な言い方をすれば、この「在日」に対する差別意識の希薄化は、戦後60年余りの歴史(日本現代史)教育の賜物と言えるかも知れない。1910(明治43)年から1945(昭和20)年まで36年間に及ぶ朝鮮半島の植民地化(韓国併合)についても、またその間に徹底した収奪はもちろん、「日本語の強制→朝鮮語の使用禁止」「宮城遙拝」「創氏改名」、等々の皇民化政策が強力に推し進められたこと、などについて今の若者たちがいかに「無知」であるか、靖国問題や歴史教科書の記述に関して何故韓国や中国があれほど騒ぐのかが理解できないのも、彼らがまともな現代史教育を受けてこなかったからに他ならない。「無知」が生み出した<差別>、そのことを最も典型的に体現しているのが「在日」文学、と言うことができるだろう。
 先日の報道によると、神奈川県が高校での日本史を必修にしたとのことであるが、自国の歴史を高校という最も重要な時期に学ばせない国が珍しいということも、僕らは知っておく必要がある――ただし、懸念もないわけではない。もし東京都教育委員会のようなファシスト石原都知事の意向をもろに反映した組織が日本史学習を必修にしたら、東京都の一部学校で自由主義史観派のきょうかしょをさいたくしたように、それは必然的に歪んだ「愛国教育=排外主義」になる可能性があり、戦前のような「日本民族の優秀性」を主張するものになりかねない。歴史教育の難しさがここにあるのだが、その難しさを乗り越えないと真の多民族共生の思想は獲得できないのではないかと思う――。
「在日」文学と<差別>との関係は、ことほど左様に歴史性を帯びた複雑かつ「政治」的なものであるのだが、戦前の金史良から現在の柳美里まで、「在日」文学者とその作品の存在は日本の近現代文学を相対化するものであること、そのことの持つ意味を僕らはもう一度考える必要があるのではないか、と思う。