黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

新刊(拙著)の紹介

2005-06-30 14:37:39 | 仕事
 前にもお知らせした拙著『戦争は文学にどう描かれてきたか』『原爆は文学にどう描かれてきたか』(共に八朔社)が、いよいよ7月8日(戦争ー)と15日に出ます。
 この二冊を含めてこれまで18冊の単行本を出してきましたが、それぞれに個別な思いはあるにしても、この2著ほど若い人たちに読んでもらいたいと思った本はありません。
『戦争はー』の方は200頁、1800円、『原爆はー』は180頁、1600円です。直接僕から購入して下さる人には、2割引でおわけいたします(僕のもうけは全くありません)。欲しい人は僕に連絡して下さい。このHPでも構いません。サインをい入れて、こちらでお送りいたします。
 ぜひ、お申し込み下さい。
 そして、ご感想やご意見もお待ちしています。

「敗戦・ヒロシマ・ナガサキ」から六〇年―『林京子全集』の意味

2005-06-29 16:33:05 | 仕事
(北海道新聞・西日本新聞)
「敗戦・ヒロシマ・ナガサキ」から六〇年
      ―『林京子全集』の意味
    黒古一夫

 昨今の「靖国問題」をめぐる日中・日韓関係、あるいは九条の改正を中心に展開されている「改憲論議」等に対する人々の反応を眺めていると、戦後民主主義教育のただ中で育ち、六〇年代末から七〇年代初頭の「政治の季節」において底流となっていた「殺すな」の思想を信条の一部にしてきた者にしてみると、この国の人々、特に若い人たちに戦争が起これば多くの人の生命が失われるという当たり前のことが忘れ去られているのではないか、と思えて仕方がない。
 それというのも、この六月に刊行された井上ひさし・河野多恵子・黒古を編集委員とする『林京子全集』(全八巻 日本図書センター)を編み、併せて七月に刊行される拙著『戦争は文学にどう描かれてきたか』、『原爆は文学にどう描かれてきたか』(共に八朔社)のために数多くの「戦争文学」「原爆文学」を読んできて、その文学世界と現在の状況が余りにもかけ離れていると感じたからに他ならない。日清・日露戦争以来の日本が関わった「戦争」や、一九四五年八月六日・九日の広島・長崎の原爆被害について本当に知っていて戦争死を美化したり、核武装論を論議しているのか、と思ったのである。日本軍が中国大陸で繰り広げた「三光(焼き・殺し・奪う)作戦」について、あるいは三十六年間にわたる朝鮮半島植民地化の過程で行われた「皇民化教育」や「創始改名」について、さらには「ヒロシマ・ナガサキ」の犠牲者が三〇数万人に及んでいる事実(それに加えて今もなお原爆症の発症を怖れる被爆者が三〇万人弱存在する)等について、中学や高校の歴史教育で近現代史が疎かにされている結果なのであろうが、余りにもお粗末な知識しかこの国の人々は持っていないのではないか、と思われる。
 その意味では、戦後六〇年、ただひたすら経済的な「豊かさ」だけを追い求めてきたツケが今日一挙に顕わになった、と言っていいかも知れない。言葉を換えれば、体験を継承する、つまり歴史認識を繰り返し検証する行為を怠り、自己中心的な「豊かさ」を追求することが「美・徳」「正しさ」であるかのような価値観に戦後の六〇年は染め上げられてきたのではないか、ということである。
 特に、『林京子全集』に示されている「被爆者の現在」を知れば知るほど、「豊かさ」とは無縁な戦後の六〇年を痛感せざるを得なかった。周知のように、林京子は四〇代半ばに長崎の被爆体験を基にした『祭りの場』(七五年)で群像新人賞・芥川賞をダブル受賞して文壇に登場した作家である。現在、七五歳。この間、幼少女期を過ごした上海を再訪した体験に基づく『上海』(八三年)で女流文学賞を、「母」なる存在について思いをめぐらした『三界の家』(八四年)で川端康成賞を、被爆死した学徒への鎮魂を綴った『やすらかに今はねむり給え』(九〇年)で谷崎潤一郎賞を、被爆者としての半生を顧みた『長い時間をかけた人間の経験』(二〇〇〇年)で野間文芸賞を受賞するなど、林京子は現代文学の第一線を歩んできた。
 その林京子文学の特徴は、一言で言えば、十五歳の誕生日を目前にして長崎で被爆した体験を「原点」に、被爆者として生きてきた戦後の六〇年とその前史(上海時代)とを、私小説と見紛うばかりの方法で描き出し、そのことによって図らずもこの時代や社会の抱えている問題をえぐり出す点にある。『全集』の刊行に際して大江健三郎は、「いま、小説の文章と人物作りと細部のたくみさで、この人は比類がない」との推薦の言葉を寄せているが、彼女の文学は原民喜の『夏の花』(四七年)や大田洋子の『屍の街』(四八年)以来の被爆体験にこだわる「原爆文学」の枠組みを超えて、核状況下の世界に生きる現代人の「生き死に」と真正面から取り組んで、いずれの作品も硬質な世界を形成している。
『全集』には、一〇〇編を超える小説の全て、二五〇編以上のエッセイ・評論のほとんどが収録されているが、それらを改めて読み返して、そこには時代と向き合って真剣に生きる被爆者=人間の姿が克明に描き出されていると思われた。浮薄としか思われない「恋愛小説」や内面のみにこだわる文学作品が横行している現在、この『林京子全集』が世に出た意味は大きいのではないか、と思う。

6月8日:地方都市のドーナツ化現象について

2005-06-08 16:05:59 | 近況
 先週の日曜日(6月5日)、「萩原朔太郎記念・前橋文学館」のスーパーアドバイザーに就任した作家・装幀家・画家の司修氏と、昼飯を食べながら今後の文学館の在り方について相談しよう、ということになって、東京から来県した司氏と文学館の前で落ち合った。氏は、僕の顔を見るなり開口一番「ひどいね、人がいないよ。これじゃ、文学館の入館者数が減少するのは当たり前だね」と、おっしゃった。僕も久し振りに前橋市の中心街(繁華街)を歩き、その人の少なさにびっくりせざるを得なかった。これが20数万人の人口を誇る県都の現状なのか。かつては、地面が見えないほどの人でにぎあっていたアーケード街も、人が数人ちらほらいる程度で、お店の中も閑散としていて、これで生活が成り立つのかと思わざるを得なかった。
 自宅から前橋に行く途中車で目撃したショッピングモールの駐車場には車があふれていたのに、この市街地の「惨状」はどうしてなのか?
 前橋文学館は、朔太郎が詩に書いた広瀬川のほとりにあり、柳の大木が川の両側に生え、散歩道として整備され、所々にしゃれたベンチが置いてある、日曜日の昼下がりにのんびりと時間を過ごすのには絶好の場所だと思うのだが、僕らが歩いていたとき、誰ともすれ違わず、ベンチに座っている人も皆無であった。これでは、文学館に来る人もいないだろうと、実感された。
 地方都市のドーナツ化現象もここまで来ると、笑っていられないのではないか。司氏と歩いているとき、本当に偶然、地元紙の記者にあったが、選挙の度にこの「惨状」が格好の話題になると言う(この「惨状」を話題にすると、票を稼げるのだという)。本末転倒もいいところだが、これは、全盛期までかろうじて地方都市に残っていた「共同体」が完璧に解体したことの象徴ではないか、と思わざるを得なかった。
 今後の人々の暮らしのことを思うと、暗澹たる思いがしたが、そのことについてはまたの機会に。