黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

玩物喪志の時代と三人の作家

2005-04-11 17:09:51 | 仕事
「玩物喪志」の時代に
(第一回)
 奈良の小学生誘拐殺人事件、大阪の十七歳少年による教師殺傷事件、岐阜中津川の無理心中事件、そして一向に減る気配を見せないインターネットで集まった人たちの「集団自殺」、等々、このところ心のざらつくような事件が各地で多発している。さしたる理由があると思えないのに、いとも簡単に人の生命を奪ってしまう「事件」が余りにも多すぎる。すべて他人事と割り切って済ませてしまえばいいのだろうが、頻発する異常としか思えない事件によってもたらされる澱むような暗鬱な気分は、そう簡単には払拭されない。
 そんな何とも形容できない嫌悪感を日々の生活の中で感じるようになったのは、いつ頃からだろうか。八年前に世間の耳目を集めた神戸の「酒鬼薔薇聖斗」事件の頃からだろうか。それとも世を震撼させたオウム真理教による「地下的サリン事件」が起こった一〇年前、さらに遡って宮崎努による猟奇的な「連続幼女誘拐殺人事件」が発生した八〇年代半ば頃からだろうか。いずれにしろ、ここ二〇年ぐらい人の生命が鴻毛のように軽く扱われる傾向が顕著になっているように思えてならない。
 敗戦の年(一九四五年一二月)に生まれ、物心ついた時から、戦後民主主義教育の中で教師や下級兵士であった父親から戦争の悲惨さと「生命の尊さ」を嫌と言うほど聞かされて育った者には、生活の「便利さ」や「豊かさ」と引き換えに人の生命が軽んぜられる昨今の風潮が何とも我慢ができず、苛立ちを覚えずにはいられないのである。それが時代の変化、歴史の推移なのかも知れないが、この社会は、戦後の混乱と飢餓の中で戦争への反省と民主主義社会の到来によって人々が確認しあった「殺すな!」の論理と倫理を、忘れ去ってしまったのだろうか。あるいは、共生=思いやりこそ社会の基底を成す「精神」であるとの古来からの伝統は、何処へ行ってしまったのだろうか。
 そう思うのは、このところの心のざらつくような事件には、どう考えても明白な「理由」があるとは思えないからに他ならない。理由がないと言うより、大阪の池田小学校で多くの小学生を殺傷した犯人の「死刑になりたかった」という言葉に象徴されるように、事件の当事者たちが余りにも自己中心的・理不尽な理由しか持ち得ず、いとも簡単に人の生命を奪ってしまう風潮が、この社会に蔓延していると思えて仕方がない。ここに、見せかけとしか言いようのない「豊かさ」と「平和」に表層が覆われたこの社会の「病理」があるのではないだろうか。現代社会は、あふれかえる「物」に埋没して「心」を喪ってしまっている、つまり玩物喪志の風潮を年々強めていると言っていいのかも知れない。
 自己中心的、知的好奇心(関心)のなさ、他者との関係の希薄さ、日頃接している学生たちの生活ぶりを見ていると、このような傾向は年毎にその度合いを強めているように見える。例えば、毎年「現代文学」の授業で大江健三郎の『個人的な体験』(六五年)を取り上げるのだが、頭部に異常をもって生まれた子供を「生かすか殺すか」で苦悩し右往左往する主人公バードの心情を本当に理解できたのか、学生たちに自分だったらどうするかを問うと、「知られないうちに闇に葬る」という答えがこのごろ圧倒的に多くなってきたということがある。周知のように、バードは最終的には障害児と共に生きていくことにを決意するのであるが、学生たちは自分の「幸せ」のためには障害児は邪魔だ、と言うのである。何ともやりきれないとしか言えないが、やはり社会の深部で「心」が壊れ始めているのかも知れない。
 以前はこのようではなかった、とは言いたくないが、他者への「思いやり」とか自分とは違った個性を持つ人との「共生・協同」を志向しないこの社会は、「異常」なのではないだろうか。大江が『個人的な体験』から三〇年経って、『恢復する家族』(九五年)や『ゆるやかな絆』(九六年)で「心」を中心とした家族について書き、子どもたちへの期待を込めてエッセイ集『「自分の木」の下で』(〇一年)や『「新しい人」の方へ』(〇三年)を出した意味を考えてみる。これらの著作から、生きていく上で当たり前と思える「心」がこの社会から喪われていることのあせりと大人の責任を感じるのである。それ故いま思うのは、大江の焦燥を我が事としなければ、ということに他ならない。


(第二回)
 あの六〇年代末から七〇年代の初めにかけて全国の学園・街頭に吹き荒れた「政治の季節=全共闘運動(学生叛乱)の時代」に青春を送った作家・立松和平の最近の動向が、同時代に同じような青春を送った者の一人として、また彼の文学に関心を持ち続けてきた批評家として気になって仕方がない。
 周知のように、立松は大学時代に『途方にくれて』(七〇年)でデビューした後、悪戦苦闘の時代を経て、七八年に三冊の作品集『途方にくれて』、『今も時だ』、『ブリキの北回帰線』を刊行してその旺盛な創作力を見せつけ、八〇年には野間文芸新人書を受賞した『遠雷』で一挙に現代文学の最前線に躍り出る。そしてその後は、時代(歴史)に抗い翻弄される人間の生にこだわり、そこに生ずる人間の劇を描いた『歓喜の市』(八六年)や『百雷』(九一年)、『卵洗い』(九二年 坪田穣治賞)、『毒 風聞・田中正造』(九七年 毎日出版文化賞)、『日高』(〇二年)、等々の佳品を発表し続けてきた。
 そんな立松文学の特徴について、かつて私は「境界を生きる」「時代の目撃者」という言葉で表現したこともあるが、その立松が何故か九〇年代の中頃から次第に「宗教(仏教)」に関心を寄せ、次々と著作を刊行してきた。『ブッダその人へ』(九六年)に始まって、『仏に会う』(九八年)、『ぼくの仏教入門』(九九年)、『仏弟子ものがたり』(〇一年)、『はじめて読む法華経』(〇二年)、『道元』(同)、『法隆寺の智慧 永平寺の心』(〇三年)、『遊行』(〇四年)、『やさしい「禅」入門』(同)、等々、ざっと数えて十七冊、その間にも創作やエッセイの執筆を並行させていたことを考えると、その傾注ぶりには驚くべきものがある。立松の「内部」で何かが起こったのだろうか。
 ただ、一つだけ言えるのは、立松の仏教への傾斜は特定の宗派に帰依するとか特別な思い入れがあっての結果ではなく、最初の著作『ブッダその人へ』や『道元という生き方』などというタイトルが如実に語るように、立松は仏教の「精神」や仏教者の「生き方」に惹かれて関心を深めていったのだろう、ということである。言葉を換えれば、価値観の変動が激しく人の生命がボロ切れのように粗末にされる混迷する現代にあって、立松は仏教の「精神」や仏教者の「生き方」を通して、この時代を生きる自分および人々の「心」の在り方を見い出そうしてきたのではないか、ということである。
 そんな作家立松和平の在り方と「玩物喪志」と言われる現在を重ねて考えると、そこからこの時代や社会において人と人との関係が希薄となり、その関係を基底で支える「心」が失われている現実が透けて見える。いくらか手垢にまみれた言葉に換えれば、これは共同体(社会)が必要とする「優しさ」や「思いやり」といった心が、自分を中心とした狭い範囲に限定され、この社会や世界の在り方、あるいは人間の全体に向いていかないという状況の結果でもある。しばらく前に報道されたことだが、戦争の続くイラクがどこにあるか知らない大学生が四割強存在し、緊張関係にある「隣国」北朝鮮の位置も知らない高校生・大学生が一割ほど存在するというのは、いかに現在が自己中心的になっているかの証拠と言っていいだろう。また、フランスやイタリアでブランド商品を買い漁ることはあっても、飢餓状態の続くアフリカについては全く関心を払わないという人々の在り方などを考えると、この国の人々の「心」が現在どこか歪んでいると思わざるを得ない。
 これが、戦後六〇年、ひたすら「豊かさ」を追い求めてきた結果であるとしたら、余りにも悲しすぎないか。知的好奇心・他者への関心が希薄になったから「心」が失われたのか、それとも「心」を喪失して物(金)に執着するようになったから知的な好奇心や他者への関心が薄くなったのか、「心の時代」などと叫びたくはないが、いずれにしてもこの国の「未来」を未来を考えると、暗澹たる気持を禁じ得ない。唐突に聞こえるかも知れないが、世界に誇るべき「人権思想」や「平和」を希求する「心」を基底に秘めた憲法の改正がいよいよ現実になろうとしている現在、特にそう思う。



(第三回)
 今年は、一九四五年八月六・九日の「ヒロシマ・ナガサキ」から六〇年、改めてこの世界が「核状況」下にある事実について考えるよい機会である。「核」の存在が、この地球や人類の未来にとって最大の桎梏(障害物)であることは、世界で最初に核兵器が使用された国に生きる日本人であるならば誰もが知っている(と思う)。しかし、本当に核の恐ろしさを知っているかどうか。例えば、最新の核兵器と言われる劣化ウラン弾に対する人々の反応などを見ていると、疑問に思わざるを得ないということがある。また、これは核兵器ではないが、「核」の反人間性を身近でまざまざと見せつけた茨城県のJCO東海事業所で起きた臨界事故に対する鈍い鈍い反応に接すると、「核」についての認識はまだまだ甘いのではないか、と思う。
 こんな傲慢とも受け取られかねない物言いをするのも、核兵器が、冷戦時代においてそうであったように、あるいは新たに核保有国となったインドとパキスタンが言明するように、本当に「抑止力」のためにだけ存在し、今後も絶対に使われない、と人々が安易に信じ込んでいるように思えて仕方ないからに他ならない。さらに言えば、「核の平和利用」とされる原発や核関連施設における「安全」も未来永劫にわたって確保される、と人々が高をくくっているように思えるからである。人々の他者への想像力が枯渇している結果でもあるのだろうが、未来も現在と同じように推移すると考えるのは、「核」のことだけでなく、天然資源の問題、あるいは人口と食糧との関係一つとっても、思考の怠慢であり、精神がニヒリズムに冒されている証拠と言っていいだろう。「自分さえよければ」「今が楽しければ」というのでは、あまりにも寂し過ぎないか。
 そのような想像力の欠如に関して、「ヒロシマ・ナガサキ」から六〇年という現在だからというわけではないが、私たちが「被爆者(被曝者)」の存在をどう考えているのかという問題がある。現在、広島市・長崎市を始め全国に約三〇万人の被爆者(原爆手帳を持っている人)がいる。しかし、「核」被害の生き証人でもある彼らの存在は、慣例行事のように八月になると思い出されることはあっても、普段はほとんど忘れ去られているように見える。この六〇年間、彼らは多くの肉親や知人の死を経験しながら、自らもいつ白血病や癌といった原爆病が発症するかに脅え、苦悩を抱えて生きてきた。その被爆者が抱えてきた「死への恐怖」や「悲しみ」に私たちはどれほどの想像力を働かせてきたか。
 現在、十四歳の時に長崎で被爆した芥川賞作家林京子の全集(全八巻)を井上ひさし、河野多恵子と一緒に編んでいるのだが、彼女の小説やエッセイを読めば読むほど、被爆者の「苦悩」や「悲しみ」を非被爆者である私たちは共有してこなかったのではないか、と痛切に思い知らされる。デビュー作であり芥川賞受賞作でもある『祭りの場』(七五年)に、ある子供向け雑誌が全身ケロイド状の「ひばくせい人」なる「怪獣」を登場させて物議をかもしたことを取り上げて、被爆者の語り手が「これはこれでいい。漫画であれピエロであれ誰かが何かを感じてくれる。三〇年経ったいま原爆をありのまま伝えるのはむずかしくなっている」と述懐する場面がある。林京子の、この「怒り」を超えた淡々とした「嘆き」の裏側から私たちは何を読み取るべきか。
 被爆体験の風化は、直接的には被爆者の生命や精神を戦後の時間が軽視してきたことであり、同時に「核」の存在を人々が心のどこかで容認してきたことをも意味する。北朝鮮の「核保有宣言」やイランの「核疑惑」に象徴される現代の核状況下にあって、果たしてこれでいいのか。若き日に『ヒロシマ・ノート』(六五年)を著した大江健三郎は、師の渡辺一夫が「寛容の精神こそ有効だ」だと言い続けてきたことを取り上げて、アメリカの世界貿易センター爆破やイラク戦争が如実に示しているような、不寛容と不寛容が激突している現代世界だからこそ「人間は、思いこみと自分らの作り出したものの機械となって突進する。その勢いを、人間は誤りやすいと自覚して、ゆるめようと務める」寛容の精神が必要だ、と書いていたが(「朝日新聞」二〇〇四年四月一三日)、今こそこの「寛容の精神」をもって核状況についても考える必要がある、と強く思う。(東京新聞4月5日、4月12日、4月19日、三回連載)

書評「哀歌」(曽野綾子著)

2005-04-11 17:06:46 | 仕事
書評「哀歌」(曽野綾子著)                    黒古一夫

 所属する修道会に命じられて部族対立の続くアフリカの国へ赴任した「スール(修道尼)」の鳥飼春菜。彼女は、教会や小中学校を併設する修道院で、「神の僕(しもべ)」で院長の「スール・ルイーズ」や現地人のスールたちに助けられながら、政府の管理するラジオディスクジョッキーが連日「ゴキブリ(ツチ族)を殺せ」と叫ぶ不穏な状況下にあって、自分は何を為すべきか、何ができるのかを模索しながら日々を過ごしていたのだが、ついに多数派部族(フツ族)の激しい「憎悪」に基づく少数派(ツチ族)に対するジェノサイド(集団虐殺)に巻き込まれる。ツチ族を陰に陽に支援していた隣国の大統領が謀殺(?)されたことから、フツ族の民兵組織が軍を後ろ盾にツチ族及びツチ族の血を継ぐ者への暴行、虐殺、略奪を開始し、大量の避難民を受け入れた修道院や教会でも彼らは暴虐の限りを尽くす。そして、春菜はその渦中で従順な庭師と思っていた男にレイプされる。身も心も疲弊しきって帰国した春菜を待っていたのは、冷淡とも思える修道会の処遇であり、妊娠であった。そんな失意と絶望の春菜を救ってくれたのは、アフリカから脱出する際ホテルで声をかけてくれた美術商の田中一誠であった。春菜に同情した彼は、損得抜きで春菜の生活を助け、生まれてくるであろう「黒い赤ん坊」との生活を決意させる。上下二巻、決して読みやすいとは言えないこの長大な物語において問われているのは、信仰とは何か、人は人生における苦悩と悲しみをどのように乗り越えていくのかであり、貧困と飢餓と動乱のアフリカとは異なるように見える日本の「平和」と「豊かさ」は真に人々に「幸福」をもたらすものなのか、人々は「愛」や「心」を失った生活を送っているのではないか、ということに他ならない。私たちは、この作者の真摯な問いにどう応えられるのか、読後しばしの黙考を強いる硬派の一書である。           (「北海道新聞」4月掲載)



仕事一覧2(2000年代~)

2005-04-10 12:23:59 | 仕事
続きです。

・立松和平伝説 河出書房新社 2002.6
・小田実「タダの人」の思想と文学 勉製出版 2002.1
・三浦綾子書誌 黒古一夫監修/岡野裕行著 勉誠出版 2003・4
・作家はこのようにして生まれ、大きくなった-大江健三郎伝説- 河出書房新社 2003.9
・灰谷健次郎 : その「文学」と「優しさ」の陥穽 河出書房新社 2004.1
・大城立裕文学アルバム 黒古一夫編 勉誠出版 2004.3
・野間宏 -人と文学-(シリーズ日本の作家100人) 勉誠出版 2004.6
・原爆文献大事典-1945年~2002年 黒古一夫監修/文献情報研究会編著
日本図書センター2004.6
・原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ 黒古 一夫・清水博義編
 日本図書センター 2005.3
・「戦争は文学にどう描かれたか」(八朔社 2005.6)
・「原爆は文学にどう描かれたか」(同 同)


仕事一覧(70年代~90年代)

2005-04-08 09:00:41 | 仕事
これまでの仕事を一覧にしてみました。

・北村透谷論-天空への渇望 冬樹社 1979.4
・小熊秀雄論-たたかう詩人 土曜美術社 1982.10
・原爆とことば-原民喜から林京子まで- 三一書房 1983.7
・祝祭と修羅 -全共闘文学論- 彩流社 1985.9
・大江健三郎論-森の思想と生き方の原理 彩流社 1989.8
・村上春樹と同時代の文学 河合出版 1990
・立松和平-疾走する「境界」 六興出版 1991
・村上春樹 -ザ・ロスト・ワールド- 六興出版 1989.12
・思想の最前線で : 文学は予兆する 社会評論社 1990.5
・村上春樹と同時代の文学 河合出版 1990.12
・立松和平-疾走する「境界」六興出版 1991.9
・原爆文学論 -核時代と想像力- 彩流社 1993.7
・村上春樹-ザ・ロスト・ワールド- 第三書館 1993.5
・三浦綾子論-愛と生きることの意味 小学館 1994.6
・大江健三郎とこの時代の文学 勉誠出版 1997.12
・増補・立松和平-疾走する文学精神- 随想舎 1997.12

参考までに・・・