黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

新・武漢便り(20)――明日、一時帰国します。

2013-04-27 23:29:46 | 仕事
 2度目の武漢での長期滞在、ちょうど2ヶ月ほどになるが、どうしても処理しなければならない仕事がいくつか重なったので、明日(28日)、一時帰国します。再訪中は、たぶん今年の夏休み中になると思います。ビザの更新手続きもあるので、よく調べて再訪中ということになります。
 したがって、この「新・武漢便り」も、今回を持ってしばらく休みます。
 もちろん、帰国してからは通常のブログとなりますが、それもまたよろしくお願いします。
 では、再開するまで、しばらくさようなら。
 (明日は、5時に大学を出発し、8時の上海行きの飛行機に乗ります)

新・武漢便り(19)――怒りを抑えきれない

2013-04-26 07:58:49 | 仕事
 近頃は余り腹を立てないのだが、昨日は腹の底から「怒り」を感じた。
 それというのも、昨夕のニュースを見ていて「日本、核不使用に賛同せず」という記事に接したからである。ニュースによると、現在スイスのジュネーブで開かれているNPT=核拡散防止条約検討会議の準備委員会が出した「核不使用」の共同声明に、スイスからの懇願にもかかわらず「賛同しなかった」というのである。
 周知のように、日本はヒロシマ・ナガサキの経験国である。アジア太平洋戦争の末期、1945年8月6日の広島で約20万人が、また9日の長崎で約10万人がアメリカの投下した原爆で尊い生命を失い、両市の在住者を中心に犠牲者を上回る「ヒバクシャ」を生み出した事実、このことは何人も否定できないことだと思うのだが、歴代の自民党政府がそうであったように、「日米安保」(核の傘の下に存在することを是認する思想)の存在、及び東アジア(中国・北朝鮮)の核存在を理由に、さらに言えば、自民党や日本維新の会、及び一部民主党の政治家に存在する「日本核武装化」容認論が存在するが故に、これから起こるかも知れない戦争において「核の使用」を認めるという立場の堅持、「ふざけるな、おまえたちは何を考えているのか」、と思う。
 もちろん、世界の70カ国以上が賛同した「核不使用」声明に日本が賛同しなかったそのような立場は、前回書いた現在の自民党(安倍晋三首相)の「右派体質」――戦争を肯定するような先の侵略戦争を「侵略」と認めないような思想、あるいは「戦死者を悼む行為が何故問題なのか」とA救戦犯(戦争責任の中心者たち)を祀る靖国神社へ参拝する思想――と同質なものだと思うが、先のアジア太平洋戦争の「加害責任」を求めない思想は、同時にヒロシマ・ナガサキが象徴する「被害」への為政者(その中の一人に安倍首相の祖父岸信介がいる)の責任も問わない、ということである。
 何でそれほどまでに「A救戦犯」を救抜したいのか、これは明らかに憲法第9条を改めて、「戦争のできる国」にしたいという願望に繋がる考えであり、あわよくば「核武装」して、遙か昔に夢見た「アジアの盟主」になりたいがための論理だと思うが、このような「生命」を粗末にする右派の思想を、村上春樹のように「やれやれ」といって、見過ごすわけにはいかない。
 こんな「核」是認論の持ち主たちが政権をに握り続けてきた故に、村上春樹に「我々日本人は核に対して『ノー』を叫び続けるべきだった」と言われてしまうのだろうが、先に紹介した拙著で書いたように「我々日本人は核に対して『ノー』を叫び続けて」きたが、それでも今回のような「核」存在をようにする勢力を凌駕するような反核思想をまだ十分に内なる思想ととして鍛え上げていない、という忸怩たる思いをしないでもない。
 だから、今回の「核不使用」声明に賛同しないと言う安倍政権に対しては、余計に腹立たしくもあり、また悲しくもある、という気がしてならない。そして、八つ当たりだということを承知していてもなお、村上春樹の施策に群がった何十万人という読者(ハルキストとかいう奇妙な連中)に、村上春樹の「色彩」に関する「遊び」(パズル)の解読に勢力を注ぐより、断固村上春樹に先頭に立ってもらって、国会前、あるいは首相官邸前に行って、「核不使用の声明に賛同せよ」と迫って欲しい、と思う。それこそ、村上春樹の「反核スピーチ」に読者が応える、いい機会だと思うが、所詮、そんなことは無い物ねだりか?!
 しかし、未だに25万人を超す「ヒバクシャ」やフクシマからの何十万という被害者は、今回の安倍政権の判断をどう思うのか。絶望的になったのではないか、と思うと、何とも口惜しい。

新・武漢便り(18)――ルサンチマン(私的怨念)には付き合えない

2013-04-25 06:42:21 | 近況
 外国にいると、日本との距離がそうさせるのか、あるいは考える時間がたっぷりあるからからなのか、自他に関わる今起こっていることの原因を客観的に考える習癖が身に付くような気がしている。それは、「情報」の根っこをできるだけ広範な視点から見る(考える)ということなのかも知れないが、感情的な対応を避けることができるということだけは、確かなように思う。
 例えば、前2回書いた中国四川省の蘆山地震について、3日間(72時間)が過ぎ、人命救出の可能性が極端に低くなったこの頃になって、日本の報道には「被災者、救援に不満。届かない水と物資」などと、いかにも中国の当局がサボっている(怠慢)かのような文字が踊るようになったが、連日こちら(武漢)のテレビで報道されている救援の実情や被災地の現状を見ていると、もちろんそれも当局によって操作されたものだという見方もできるが、被災地に駆けつけた日本の報道機関(特派員たち)は、本当に現地に入って取材したのか、と疑わざるを得ない部分を感じる。
 というのも、被災地の中心は、先にも書いたように山岳地帯で、そこに至る道路は、未だに余震で崩落の可能性があり、易々と入ることができず(重機で頭大の岩が転げ落ちてくる道路を修復しながら、少しずつしか進めない)、救援物資は当局(軍)のヘリコプターで投下するしかない状況を見せられると、またそのような状況に対して住民たちが苛立ち、不満を漏らしている(中国の)報道の接すると――その意味では全く中国は「報道管制」していないように見える――、日本の報道は「歪んでいる」しか思えない、ということがある。
 同じことが、日本を率いる安倍晋三首相の余りにも偏った「歴史認識」にも言えるのではないか。何日構えの国会答弁で安倍首相は「侵略については、様々な考えがある」などといって、先のアジア太平洋戦争(15年戦争、さらに先のぼって日清戦争から、と言ってもいいが)時における日本の「侵略行為」を否定するような、これまでも繰り返されてきた「欧米列強帝国主義に追いつめられて、やむを得ず、アジアを開放するために、日本は中国に進出したのだ。米英と戦った太平洋戦争も同じ。結論的には、防衛戦争であった」といった類の、右派の論理を持ち出して、戦前の日本の在り方を正当化しようとしているが、今学期僕は中国の大学院で石川達三の『生きてゐる兵隊』や『武漢作戦』を読んできたのだが、これらの作品や火野葦平の『麦と兵隊』やその他の「戦争文学」作品を読めばたやすく分かることだが、少なくとも昭和10年代に、第二次上海事変を皮切りに南京攻略戦、武漢攻略戦と大量な兵士と物資を投入した「戦争」(日中戦争)は(その前の満州事変や「満州国」建設からと言ってもいいが)、誰がどう考えても「侵略戦争」に他ならない。確かに、そのような侵略戦争を裁いた「東京裁判」――安倍氏を始め多くの右派論客は「東京裁判」だけを問題にするが、戦争犯罪裁判は、戦争終結と同時にアジアの各地で行われ、何百人、何千人もの将兵が「戦犯」に問われ、多くの将兵が「死刑」判決を受け、また禁固15年とか20年とかの罪に問われた、ということがある――には、「勝てば官軍」式の勝者の論理が罷り通り、「公平」な裁判ではなかったかも知れないが、どのような理由があったとしても、権益を確保するために他国に「侵略」した行為までは否定できないだろう。
 ところが、安倍氏の頭の中がどうなっているのか分からないが、お祖父さん(岸信介)がA級戦犯に問われたことを「不満(不名誉)」と思っているからなのか、どうも日本の侵略行為を「正当化」しようと躍起になっているように思えてならない。侵略戦争そのものを正当化すると言うより、もしかしたらお祖父さんの「戦争犯罪」を救抜しようとしているのかも知れない。僕が安倍氏の言動を「私的怨念」という所以である。同時に、彼は中学や高校でどんな歴史教育を受けてきたのか(それとも、子ども時からお祖父さんから自分たちの「正当性」を聞かされてきて、学校での歴史教育を最初から信じていなかったのか)、と疑問にも思う。
 繰り返すが、この「政治家」の頭の中がどうなっているか、全く推し量れないが、「日米同盟の強化」などと言って、アメリカに「忠犬」のごとくしっぽを振って従う(そう言えば、お祖父さんの岸信介も、自分を戦犯として処分したアメリカに追随することで政治的地位を確保していたが)一方で、アジア(韓国や中国)に対しては、居丈高に、福沢諭吉以来の「脱亜入欧」ばりに振る舞う。「己がない」とはこのような人物について言うことだと思うが、「私的」にはどのようなルサンチマン(怨念)を抱いてもいいから、その自分の「歪んだ思い」に国民を巻き込まないでくれ、というのが正直な気持ちである。
 よほど「経済の専門家」になりたいのか、それとも竹中某という日本の経済をアメリカのいいなりになるように(郵政民営化)し向け、「格差社会」を拡大した経済学者の入れ知恵なのか、経済の活性化(金儲け)のためには、原発の再稼働も是認する、本当にこの日本社会はどこへ行こうとしているのか、余命を感じるようになったこの年齢でまだ心を乱すことに、いくらかの自己嫌悪も催すのだが、冒頭に書いたように、外国にいて客観的に日本の在り方が見えると思えるように感じているのも確かで、今は冷静に苛立っている、と言えばいいか。

新・武漢便り(17)――引き続き、蘆山地震

2013-04-23 09:26:04 | 仕事
 日本でも大きく報道されている「蘆山地震」について、その後の経過を含め、僕の感想を送る。
 まず、日本で報道されている「救援物資が届かない、住民不満を話す」類の報道について、もちろん、中国のメディアはそのような「住民の不平・不満」があってもほとんど報道しないので、定かには分からないが、日本のメディアが伝えるような政府(行政)やしかるべき機関が「怠慢」なので「不平・不満」が生じている、というのとはちょっと違うのではないか、と思う。
 というのも、テレビの画面で伝えられる地震のあった場所「雅安市蘆山県」というのは、ほとんどが山岳地帯のようで、そのことから山崩れや土砂災害で交通網は寸断され、道路上に何トンもの巨岩がごろごろしていて、それらを大型重機を動員してどかしているようであるが、あまりにも災害箇所が多く、また重機を入れる道路も狭く、難儀をしている様子が報道からは伝わってくる。折しも天気は下り坂で、昨日(22日)など雨が降ったので、「二次災害」(急峻な山から、今でもこぶし大の石が次々と転がってくる映像が映し出されていた。徒歩で救援に向かっている人民解放軍(医師を含む)や消防隊が、大荷物を担いで石の降ってくる岩だらけの路を駆け足で抜けている映像も映し出されていた)も恐れなくてはならず、思った以上に現地は大変なんだなあ、と実感させられる。
 画面には、しきりと日本でも災害の時に報道される「72時間が勝負」といった内容の「72時」の文字が躍り、救援隊は必死になってがれきの山の中から負傷者を救出しようと頑張っている映像も次々と映し出されていた。2年前の東日本大震災を彷彿とさせる救出劇、国は違っても人命を第一に考えることに関しては、どこの国も同じだ、と実感させられる。
 その意味では、海外からの救援隊派遣を中国政府が断ったということについて、僕も当初は何と狭い了見だな、と単純に腹が立ったのだが、救援の実際を(テレビの画像と通してでしかないが)知ると、先にも記したように、被災地の中心は山岳地帯で、狭い道路(それもずたずたに寸断されている)を修復しながら救援を急ぐ現状から、事情の分からない外国の救援隊は「邪魔な存在」になり、かえって救援を遅滞させるのではないか、と思わざるを得ず、その意味では中国政府が断ったというのは「正解」だったのではないか、と思える。
 地理や人心について精通している同国人でなければ、あの山奥の村(山中に点在する住居、ほとんどが崩落している)の救援は難しいのではないか、と思える。現在、孤立した村にはヘリコプターから救援物資が投下されているようだが、救援を松村があまりにも多いので、動員されたヘリコプターの事故が懸念されるいるようでもある。
 現在すでに各地から(といっても、四川省を中心としたもののようだが)ボランティアが続々と集結しているようで、軍隊、警察、消防隊、などと一緒になって、必死に救援活動を行っているようである。これも、東日本大震災の時多くのボランティアが集まったのと似ている。思わず微笑んでしまったのは、テレビでよく見る歌手や芸能人たちが、現地に行き、音楽活動を通して「救援」しようとしている報道に接したときである。東日本大震災の時も多くの芸能人が「炊き出し」や「歌を歌って」被災者を激励したのを思い出したからである。
 「善意」の押し売りのようにも思えるが、その真剣な表情を見ていると、「これも有りかな」と思う。
 いずれにしろ、今回の「四川省・蘆山地震」では、またもや自然災害(天災)の前に脆くも崩れ去る近代文明の現実を見せられたわけだが、もしこのような地震が、例えば原発を直撃したらどのような結果をもたらすか、僕らは(日本は)、「経済=お金」のことばかり考えるのではなく、もう一度「フクシマ」=原発の在り方(原発ゼロ)について真剣に考えなければならないのではないか。「アベノミクス」は成功、などと浮かれていないで、あるいは「我々日本人は核に対して『ノー』を叫び続けるべきであった」などとデマ語義を振りまいた村上春樹の新作に群がって喜ぶのではなく、本当に「未来」のことを考えるのであれば、「原発ゼロ」は当たり前の政策だと思うのだが、どうも日本人の多くはそのように思わないようで、何とも説像的にさえなる。

新・武漢便り(16)――蘆山地震と……

2013-04-21 22:06:10 | 仕事
 昨日(20日)の朝から、テレビは終日「蘆山地震」(四川省)について報じている。
 今夜(21日夜9時)までに判明した被害状況は、死者が186名、行方不明24名、負傷者12000名余り、避難民12万人、被災者150万人、とのこと。テレビの画面に映し出される被害状況は、海岸と内陸の違いはあっても、2年前の「3・11(東日本大震災)」の光景を彷彿とさせるもので、改めて自然災害(地震)の恐ろしさを思い知らされた。
 ただ、それと同時に、地震とは全く関係なく「中国は広いな」とも感じた。それというのも、「3・11」の時は群馬の自宅にいて大きな揺れを感じ、本棚から本が飛び出し音や茶箪笥から茶碗類が飛び出して割れる光景を目撃し、今までに経験したことのない揺れを経験したのだが、今度の四川省の「蘆山地震」はここ武漢から離れているということもあって、揺れはもちろん、地震を感じさせる一切の現象が無く、しかも、地震があったときはちょうど朝食中だったのだが、被害地が四川省の省都成都から離れた山間地ということもあって、テレビの報道も当初は「マグニチュード7.0」の地震があり、そこはパンダの保護区(飼育場)がある場所の近く、といった程度で、これほどの大災害になるとは多くの人が思っていなかったのではないか、と思われる。そんなことがあったので、思わず「中国は広いな」と感じたのだが、終日(今も)地震について報じているテレビの緊張した声を聞いてる今も、正直言って、まだ実感としてはよく理解できない部分がある。
 それにしても、テレビに映る救援体制、つまり人民解放軍(医師や看護士も含む)や警察、消防、そして地元の(たぶん)ボランティアの活躍を見ていると、やはり2年前の「3・11」を彷彿とさせるが、中国と日本のテレビに登場する人たちを見比べていて思ったのは、中国語が分からないから本当のところは分からないが、中国には地震災害に対して「天罰だ」などと嘯く政治家は決して出てこないし、そのような言葉を吐く人物が首都の責任者であることを許すような国民もいない、ということである。
 日本でも、フクシマの大災害に立ち向かう人々を始め、多くの人が真剣に救援活動を行っていて、それは無責任な言い方になるが。感動的ですらあった。そんな、一人でも多くの人の生命を助けようとする救援隊員の姿は、今度の「蘆山地震」でも数多く見られ、そこには人間の生命を尊重する「近代」の思想が脈々と流れているな、と感じられた。
 というのも、実はこのところ毎夜、武田泰淳の『揚子江のほとり―中国とその人間学』(1967年 芳賀書店刊)という、戦前から戦後に掛けて武田泰淳が書いた「中国」関連の文章を読んでいて、そこには明末の指導者であり殺人鬼であった張献忠が重慶や成都の四川人を何十万人も殺したということが記載されているのだが、この張献忠と蘆山地震に駆けつけてきた救援隊とが余りに落差があることに、中国の歴史の奥深さと共に、人間存在の摩訶不思議さを思わざるを得なかったからである。
 そして、さらに日本と違うなと思ったのは、日本の場合だったら被災地はもちろん、その周辺でも東日本大震災のようなことが起こると、皆パニック状態になるのに、中国では被災地で必死に救援活動をしている傍らで、いつもと変わらないような「日常生活」を淡々と行っている人が存在することである。「自己中」なのか、それとも人々はそのようにして自然災害や戦争などの人災をやり過ごしてきてきたからなのか、非日常と日常が共存している光景、これからは実に奇妙な印象を受けた。
 何年か前の死傷者十万人以上を出した「四川大地震」からの復興は、日本では考えられない早さで、さすが共産主義国家、と思ったものだが、こんどの「蘆山地震」も早く復興が成ることを願うばかりである。日本人の僕には何もできないが、復興を願うことだけはできると思うので、「身近」で地震災害を知った者として、早期の復興を祈ろうと思う。

新・武漢便り(15)――中国の就活事情(2)

2013-04-19 12:13:09 | 仕事
 前回、中国の就活事情がきわめて厳しい状況にある、というような話を書いたが、あれから1週間も経たない内に、次々と僕が教えている学生たちの就職先が決まり、また二つ目の就職先も決まって、最終的にどちらにするか(大体が、企業と大学の両方から「内定」をもらった場合なのだが)、現在悩んでいるという学生も出てきている。
 二つも就職先が決まるということを知ると、中国の就活事情は「厳しくない」ようにも思えるが、恋愛ー結婚を間近に控えている大学院生(大半が25歳以上、要するに中国ではすでに「適齢期」を過ぎているという人もいる)にとって、恋人がいる故郷や、恋人が一足先に就職した地方に就職先を求めようとすると、かなりの激戦のようで、様々な職種に挑戦しては破れると言うことを繰り返している学生もいる。彼女・彼らが必ずしも能力的に「劣っている」とは思えず、むしろ「優秀」な学生の部類にはいると思われる点が、何となくつらい感じがするということである。
 それと、これは前回にも書いたことだが、学生たちはこの時期、就活と中間発表の準備で大変忙しいと言うことも、中国の就活が「厳しい」と言うことの理由の一つなのだが、それとは別に、すでに就職の決まった学生にしても、大学の日本語教師にしろ日系企業にしろ、雇い主たちは、どうやら「人手不足」を解消するために「インターシップ(インターン)」制度を活用して(悪用して)、学生たちを「安い給料、あるいは無給で」働かせているようで、就職の決まった学生たちにとって、もはや卒業を待つばかりということになり、修士論文などそっちのけ、といった心境になっている者もいるのが、現実である。つまり、修士論文(学問)より、就職(お金)というわけである。
 これは、すでに日本で何年も前から「悪弊」として指摘されている学生たちの「青田刈り」(というより、早期の「取り込み」と言った方がいいか)が、高度経済成長かの中国でも行われている状況、企業も大学(民営大学)も大学が学問(教育)を行う場であることを完全に忘れている(忘れたふりをしている)としか思われない、ということである。
 それと、中国の就職事情をいくらか知るにつけ不思議だなと思うのは(日本では絶対にないことだが)、就職先が内定すると、企業でも大学でも「契約」の際に「契約金」なるものを学生に要求することである。その額は2000元(32000円)から5000元(80000円)ほどで、中国の物価や親の収入(自分で払える学生はほとんどいない。多くの学生が親に頼んで払っている)を考えると、決して少ない金額ではない。うまく二つの就職先が決まった学生など大変である。最終的にはどちらかを選ばなければならないからである。二つも就職先から「内定」をもらい喜んだのも束の間、「契約金」のことで悩ましい日々を送ることになる。親とすれば、多くの学生が「一人っ子」であるが故に、自分の子どもの将来を考えて「契約金」には文句も言わず出してくれるようだが、学生にしてみれば学部時代から授業料(大学によって金額は異なるが、学部で年間およそ4000=5000元、大学院で8000元前後、ただし中国では奨学金制度がかなり充実しているので、授業料全額免除や半額免除の学生がやむ3分の2おり、また学習奨励費のようなものを支給してくれる制度もあるから、実際的な親の負担はそんなに大変でない場合が多い)や生活費をを負担してもらい、今また「契約金」を親に払ってもらうとなると、心苦しいのかも知れない。
 大学院生の親ともなると、多くの場合定年退職(男60才、女55才)していることが多く、年金生活者になっていることを考えると、この「契約金」を貫く思想は、やはり「(資本主義的な)企業論理」としか考えられず、「共産主義」とどのように両立するのか、摩訶不思議な気もする。
 また、給料にしても、およその「基準・標準」というものがなく、日系企業はおしなべて「高給」である。しかし、労働時間やその管理体制は中国の企業とは比べものにならず、先般も日本で問題になった「ユニクロ」の離職率が高いというのも、中国での事情(500人募集する店長候補の月給は5000元+住居手当、それに対する大学の日本語教師の給料は大体25000元から3000元ぐらい)を考えると、宜なるかな、といった感想を持つ。いずれにしろ、いま就活中の大学院生を悩ませているのは、ちょっと悲しくなるが、時間(研究)を取るか、お金を取るか、ということになる。
 だからか、退職した身でありながら「楚天学者」として、院生の初任給よりかなり高い給料(日本の大学教授の給料に比べれば、比較できないぐらい少ないが)をもらっている僕など、学生たちからは「羨ましい」と言われる。このところ、授業以外に連日「論文指導」のために出校しているのも、学生たちの就活事情を知ってしまったからだろうか。それとも、性格か、何とも言えない。

新・武漢便り(14)――中国の就活事情

2013-04-17 16:00:56 | 仕事
 冬休み明け(3月)から本格化した中国の「就活」、大方の大学が6月末に年度末(卒業式)を迎えるとあって、この頃になると、焦った学生たちが目の色を変えて「就活」に勤しむ、ということになる。
 もちろん、僕は大学院担当なので、学部の「就活」については今ひとつ分からないところもあるが、学部を卒業して一度は企業や大学(今でも、大学によっては学部卒でも大学の教師になれるところがある)に就職しながら、自分の学力不足を痛感して、あるいは大学院進学のための資金を得て、再度大学院に挑戦してきた学生に聞くと――今週の日曜日(14日)大学院入試の面接があったのだが、やはり企業に1年とか2年勤めたあと大学院を目指して入試に挑戦したという学生が相当数いた――、学部の「就活」も事情は変わらず、冬休み明けに本格化するのだという。
 もっとも、この頃は日本と同じように「就活」の期間が長くなり(前倒しになり、「優秀な学生」が欲しいという名目で、前年の11月、12月頃に募集を掛ける企業や大学が多くなっているという。
 因みに、僕が勤める大学華中師範大学外国語学院日本語科(大学院)の学生たちの就職先は、学生たちの希望をまとめると、まず第一に大学の日本語教師――ただし、最近はどこの大学も「博士号取得者」が条件になっているようで、中国全土の日本語科で博士課程を持っている大学は5つしかなく、それもすべて「日本語教育」の博士課程なので、全土で大学の日本語科が500以上あることを考えると、それら5つの大学の日本語科で博士号を取った学生は、当然のように北京大学や清華大学などの超一流大学に就職してしまい、地方の大学に就職するということはほとんどない、という。したがって、日本で博士号を取った者であれば、専門は問わず、どのような専門でも日本で博士号を取ったのだから、すべて「日本文化」が担当できるだろうということで、ともかく博士号を持っていれば、優先順位が高い。また、日本語科はどこも女子学生が多いので(華中師範大学の場合、定員15名中、だいたい1名が男子学生である)、男子学生を優先的に採用する大学が多い――、次に多いのが、当然といえば当然なのだが、日本企業、あるいは日系企業への就職が多い。
 現に今年、すでに就職が決まった学生の内実は、日本企業(ユニクロ、三菱銀行、三井銀行、ドイツ車のディラー)、中国の銀行(翻訳担当として)、大学の日本語教師(3名)、残りは現在も必死で「就活」に励んでいる。そのない城を聞くと、なかなか大変で、最初は大学のある武漢市内や周辺、あるいは故郷から始まって、次第に就職先を広げていって、何日か泊まり込みで「面接」を受ける、というような状況になる。とうぜん、往復の交通費や宿泊費は自分持ちなので、何カ所か行くとなると、中国は広いので、お金がかなりかかることになる(学生たちは総体的に貧しいので、新幹線や飛行機などは使わず、移動はすべて普通列車(鈍行)で、10数時間掛けて面接に出かけるというのはざらである。もちろん、宿泊するホテルも100元前後(1500円前後)かそれ以下のものに限られる)。
 ともかく、まだまだ大変な季節が卒業まで続く(中には卒業後まで)というのが、現実なようで、高度経済成長下の中国にあっても、「安定した職業」や「よい暮らし」を実現するためには、大変な思いをしなければならないようである。
 ただ、救いは、そのような結構「つらい」思いをしているはずの院生たちが、思いがけず「元気」で、屈託ない顔をして、授業に出、また修士論文の執筆に取り組んでいることである。
 来週の金曜日(26日)、修論の中間発表なのだが、文学関係の修論で10万字(250枚)を超える学生が何人もおり、中には16万字(400枚)を超える大作を仕上げてきている学生もいる。「指導」すれば、それにきちんと応えてくれる、それままたここ武漢でも仕事のおもしろみかも知れない、と最近は思うようになった。

新・武漢便り(13)――徒然に、気になったこと2題。

2013-04-13 10:36:20 | 仕事
 先に「多忙の日々」について報告したが、外国(中国・武漢)で生活するということの「味気なさ」は、その国の言葉が話せないということとも関係しているのだろうが、「暇つぶし」の時間がなかなかとれないということでもあり、結局、しなければならない授業の準備とか、学生からの相談(修論などに関して)に応じる以外の時間は、買い物(食料)かキャンパス内の散歩で時間をつぶすしかなく、余った時間は「読書」(しかし、長期間になると読む本がなくなってくる。アメリカに半年滞在したときには、図書館に日本文学関係の書籍が充実していたので、それを借りて読んでいたので、時間をつぶすのに困るということはなかった)か、現在「下書き」が終わった次作の点検(直し)をするしかない、という状態になる。
 勢い、ネットのニュースを漁り、その「表側」はもちろん「裏側」を自分なりに考える、ということになる。昨日は、まさにそのような「時間」が十分にあった日で、朝から預かった250枚(4000字詰め)あまりの修論を終日読みながら、合間に「気分転換」のつもりででニュースを見ていたのだが、「気分転換」どころか、胸騒ぐ事態になり、静めるのにちょっと時間がかかった。
 一つは、「TPP」に関して、「アメリカとの交渉が合意に達した」というものだったが、よく読んでみると、その「合意」の中身は、現在アメリカ向け自動車輸出に掛けられている「関税」は現状維持で、徐々に完全撤廃の方向に進むというものである――そもそも「TPP」というのは、原則的にはTPP参加国のすべてが「関税」を撤廃して、輸出入に関して「完全自由化」を目指すというものではなかったのか。農業関係者がTPPに反対していたのも、TPPに加盟すれば、米を始め現在高い関税を掛けている農産物が「安く」なり、国内生産力が衰えてしまう(食糧自給率が現在よりさらに低くなる)虞があるからではなかったか――。
 アメリカは、「関税」があっても日本車の攻勢に対して守勢に立たせられている自動車産業(アメリカ工業産業の要の一つ)が、TPPに加盟して関税が撤廃されれば、それこそ「倒産」や「廃業」にまで追い込まれるのではないかとの懸念から、日米交渉によって先のような「合意」を取り付けたということなのだろう。しかし、農業生産物の「関税」について、「米」やその他いくつかの生産物については関税を残すものの、ほとんどのものの関税は撤廃される「日本側」のことを考えると、医療分野や保険分野でも同じようなことが起こるのではないかという懸念が払拭できない現在、前にも書いたように、これでは日本がますます「アメリカの属国化」を進める、ということになるのではないか、と思ってしまう。
 このような事態に、これも再度言うが、安倍首相に日の丸の旗を振って「歓迎の意」を表明するネトウヨを中心とする「右派」の若者たちは、何故「沈黙」するのか。TPP参加に関する安倍政権の対応は、「日本を取り戻す」どころか、日本を「アメリカに売り渡す」行為ではないのか。僕は決してナショナリスト(国粋主義者)ではないが、日本国民を苦しめる安倍政権の対米関係の在り方は、「沖縄問題(普天間基地の移設問題)」を含めて、どうしても容認することができない。むかし「売国奴」という言葉があったが、安倍首相のやっていることは、祖父の岸信介が安保条約の改定に関してとった「対米従属」の姿勢とうり二つで、まさに「売国奴」のそれではないか、と思えてならない。
 二つ目、村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」フィーバー、に関してである。発売前に2度重版して初版50万部から出発して、発売当日に10万部の増刷を決定という、まさに出版社(書店)にとってはこの上もない「おいしい話」について、村上春樹に文学に付き合ってきて、最近の自著2冊(『「1Q84」批判と現代作家論』、『文学者の「核・フクシマ」論―吉本隆明・大江健三郎・村上春樹』)で、村上春樹の『1Q84』や最近の言動(「壁と卵」スピーチや「反核スピーチ」)を批判してきた者としては、正直言って「早く読みたい」という気持ちになっているが、しかし、断片的に伝えられる内容を見る限り、「色彩を持たない」といういかにも思わせぶりなタイトルの一部は、単に主人公「多崎つくる」が高校時代親しかった仲間が、それぞれ「赤松慶」「青柳悦夫」「白根柚木」「黒野恵里」というように名字に「赤、青、白、黒、」の色が入っていると言うだけで、「色彩を持たない」というのと、違うのではないか、とおもってしまうし。
 また、村上春樹は「壁と卵」で、自分は壁(強権)の側に立たず、卵(弱者)の側に立つ人間だと言い、例のいわゆる「反核スピーチ」では、東日本大震災について「非現実的な夢想家として」日本人(東北人)が復興を成し遂げることを信じているし、また「我々日本人は核に対して『ノー』を叫び続けるべきであった」と大見得を切ったのだから、新作には必ず、それらのことが「反映」していると思っているのだが、どうもそうではなく、『1Q84』と同じように、「ミステリー仕立て」で、鉄道マニアでJRに就職した主人公が、高校時代に受けた「心の傷」を癒すために、かつての友人たちを尋ね歩くというものらしい。
 これでは、30代半ばになったワタナベトオルが20才の頃を思い出す『ノルウェイの森』と構成的には全く同じで、どこに「新しさ」があるのだ、と思ってしまう。かつて村上春樹は「デタッチメント(社会的無関心)からコミットメント(社会と積極的に関わる)へ」転換を宣言したはずである。
 まさか村上春樹は、版元の販売戦略に乗り、もちろん悪いことではないが、何十万部、何百万部の「売り上げ」に満足しているわけではないだろうが、何とも「気色の悪い」話ではある。
 早く「ハルキスト」たちだけの評判ではなく、本格的な批評を読みたいものである(因みに、今月28日に帰国するが、帰国して最初の仕事が、村上春樹の新作『色彩を持たない――』の書評(『図書新聞』)である。いずれ「公開」するつもりでいる)。

新・武漢便り(12)――多忙な毎日

2013-04-11 09:52:06 | 仕事
 日によっていくらかの違いはありますが、中国内陸部の武漢も確実に春から初夏に向かっています。僕が勤務している華中師範大学近くの武漢大学の有名な桜の開花が伝えられたのが約1ヶ月前(近郷近在から観光客が押し寄せてくるので、桜見物に武漢大学は何と20元の入場料を徴収していた。昨年までは10元だったというが……)、キャンパス内の海棠や桃の花が咲き、そして散っていき、裸木状態であったプラタナスも、いつの間にか緑の葉で覆われていて、晴れの日など、短パン・半袖Tシャツでキャンパス内を歩く学生もいて(特に、僕の宿舎の隣は留学生の寮なので、夏を思わせる服装で日光浴をしている学生の姿が目につく)、時間が確実に過ぎていくのを思い知らされる。
 そんな「過ごしやすい季節=よい季節」を迎えているというのに、我が身は忙しさを増すばかりに、という状態にある。
 というのも、3月末の大学院2年生の「着手発表会」が終わったと思ったら、4月末(26日、帰国予定の前々日)の3年生による「中間発表会」、3年生15人の内「近現代文学」で修論を書く学生が14名、昨年9月の「着手発表会」からずっと付き合ってきたので、ここで突き放すわけにもいかず、「下書きが書けたら見てやるよ」、あるいは学生によっては「下書きを見せなさい」と言った手前、先週あたりから次々とできあがった「下書き」を持ってくる学生が現れ、それの「添削」に大忙し、というわけである。
 昨年秋の大学院規定の改定によって「修論は60.000字程度の長さ」としたということもあって、早くできた学生の中には「120.000字」を超える長大な論文に仕上げた者もおり、読むのに一苦労である。昨年までは「30.000字程度」だったと言うから、長さだけでも倍以上になっていて、その分学生も「先行研究」や「参考文献」に十分な目配りをしなければならず、それだけ大変になったのだが、学生が持ってきた「下書き」を見る限り、思った以上に「力作」が多く、武漢での僕の役割もいくらか果たせているかな、と思っている。
 因みに、これまで読んだ論文は「宮地嘉六論」「坂口安吾論」「織田作之助論」「徳富蘆花論」「樋口一葉論」「明治期<書生>論」「黒島伝治論」「伊藤左千夫論」の九編で、平均すると約一〇〇.〇〇〇字の論文である。
 日本の修論に比べれば、「日本語」の間違いがやはり目立つということに加えて、参考文献を手に入れにくいということもあり、まだまだ「不十分」という印象もあるが、これまで本格的な「文学論文」というものを書いたことがないということを考慮すれば(学部時代に「卒論」を書いたが、それは10.000字程度のエッセイの類ということである)、その「必死さ」と「オリジナリティを目指す心意気」という点では決して日本人の書いた修論に比べて「負けず劣らず」の状態にあるのではないか、という印象を持つ。
 提出された論文の「日本語」を訂正し、併せて「疑問」に思う点や論理的におかしな所、説明不足、過度の思いこみ、引用の仕方の間違い、等々、「添削」には思いの外時間がかかるのだが、それでもこの学生はどんな問題意識を持ってこれを書いているのだろうか、という興味が尽きず、ついつい時間の過ぎるのを忘れて読みふける、という状態になる。
 なお、中国の大学における修論はすべて「外部審査」(同レベルと言われる他大学の教師が読み、「合格」「書き直し」を提言してくる)があり、聞けば必ずしも専門の教師が審査するというわけではないようで(例えば、「文学論文」に関しては、近現代文学関係の教師が少ないので、「古典」の教師が審査することもあるという)、たぶんに論文に「件に」を持たせるための「形式」のようにも思えるが、初めての経験である僕としては、恥ずかしくない論文に仕上げてもらいたいという気持ちが強くある。
 忙しい、というのはそのためである。その他にも執筆中の学生からの相談や、着手発表した学生から今後の執筆についての相談などがあり、毎日何回か宿舎と研究室との間を往復することになる。おかげで、歩数が上がり、健康的には大変よい状態にある。
 そんな忙しさに加えて、これは前から興味があったのだが、大学院入試の「面接」が今度の日曜日(14日)にある。筆記試験で合格手に達した受験生が全国各地から集まってくるというので、興味が尽きない。この「面接」については、またあとで紹介するつもりである。

新・武漢便り(11)――日本はアメリカの属国か?

2013-04-06 09:47:54 | 仕事
 沖縄の「嘉手納基地以南の米軍施設(普天間基地も含む)返還」の記事を読み、またつい先日の「大学の入試と卒業にTOEFLを義務付け」を知り、外国(中国・武漢)にいるからではないが、「日本を取り戻せ」などと大声でナショナリズムを鼓吹し、国民を煽ると同時に「日米同盟の強化」をうたっていた安倍晋三氏(及び自民党の国会議員たち)のアメリカとの「距離の取り方」について、「なんじゃ、これは」という思いを強くした。
 何度も言うようだが、僕は安倍氏の言うような「ナショナリズム」に賛成ではないし、むしろ一貫して否定してきたが、沖縄の米軍施設の返還に関して、例えば「普天間基地は2022年度またはその後」という、いかにも曖昧、米軍の思いのままの返還計画に対して、我が意を得たりとばかりに破顔一笑している姿を見ると、断固「期限を付けて返還を要求すべきだ」という思いを強くすると共に、この人の「ナショナリズム」というのは、何だろう、と思わないわけにはいかない。また、安倍氏の肝いりでできた「教育再生会議」なるいかがわしい組織が、大学入試や卒業要件にTOEFLを導入しようという提言したことも、英語が「世界語」として通用していることは理解しても、日本語や日本の歴史(特に近現代史、このことは中国に来て痛感している)も十分に理解しない連中に、英語の習得だけを義務付けることになり、何か変ではないか。
 もしかしたら、「60年安保」を強行採決したお祖父さん(岸信介)のDNAを受け継いでいるわけではないだろうが、沖縄問題や英語の取得を義務付ける「教育改革」の在り方を見ると、もう何十年も前になるが、あの原発を積極導入した張本人である中曽根康弘が首相であったとき、「(アメリカのために)日本を浮沈空母にする」といって顰蹙を買い、「日本をアメリカの52番目の州にするのか」と揶揄されたことがあったが、このたびの安倍氏による一連の「対米」政策を見ていると、いよいよ日本をアメリカの「属国」的な国にしようとしているのではないか、と思えてならない。
 TPPへの参加も、アメリカの圧力に屈したもので、日本の「食」が今後どうなるのか、あるいは「医療制度」「国民皆保健制度」の行方について、誰も明言できないままの、「見切り発車」であり、世界に冠たる「格差社会」であるアメリカについ辞して「いい思い」をするのは、大企業・富裕層(金持ち)だけである。そのことを、安倍さん、本当に分かっているのだろうか。
 あの鳴り物入りの「アベノミクス」だって、大企業優先の政策であることは見え見えで、たぶん困るのは円安で生活必需品(ガソリンなどの輸入品)の値上がりで生活を圧迫される庶民である。
 それにしても、このような安倍政権の「アメリカ属国化」の加速に対して、安倍氏の登場するところに「日の丸」の旗を振って「応援」する若者たち(ネトウヨと言われる人たちも)は、何故「異議申し立て」をしないのだろうか。かつて日本の「右翼」は、おおかた「反米」であったが、今時の「右翼」は「日本のアメリカ属国化」を認める「親米」派ばかりなのだろうか。「左翼」が弱体化すると「右翼」もおかしくなるとは、民族派右翼の誰かが言っていたことだが、いよいよそれが現実的になってきている、ということだろうか。
(中国は、今日は「清明節」(日本のお盆にあたる。3連休)の最後の日、街は人で一杯。)
追加:この文章を書いた後に、朝日新聞の記事を見ていたら、今年度から高校の英語授業はすべて「英語」で行うことになったというニュースがあった。これも「教育改革」の一環らしいが、このような「英語教育」を提言した連中(たぶん、いずれも「高学歴」の連中だろうと思う)は、高校教育の「現場」を全く分かっていないと思われる。親戚に何人か高校教師がいるが、いずれも「底辺校」勤務の経験があり、彼らが言うには、分数の計算もできない、中学の英語の教科書も読めないが、それでも高校に進学してきた生徒がたくさんいるとのこと。ここにも「格差社会」の波が押し寄せているのだと思うが、武漢にくる直前に読んだ本(タイトルは忘れたが、ネトウヨのことを書いた本)によれば、安倍氏に日の丸の旗を振って応援している若者たちの多くが「落ちこぼれ」だということだが、アメリカ軍が占領政策として行った「オーラル・メソッド」(占領地の国語ですべて処理するための言語教育)を後追いする高校英語教育における「英語だけの使用」、ネオ・ナショナリストたちは、このことについて何も言わないのだろうか。
 日本というのは、本当に不思議な国だね。