土(26日)、月(28日)と孫の運動会を見学してきた。孫たち(小6と中2)は二人とも、運動神経に関しては祖父母の血筋を引いていないようで、リレーの選手に選ばれるなど運動会で活躍し、僕らを喜ばせてくれたのだが、それとは別に、久し振りに孫たちの運動会を長時間見ていて、どうにも気になって仕方がなかったことがあった。
それは、特に若いお母さんたちに目立ったのだが、我が子が競技しているときは熱心にビデオカメラを回しデジカメのシャッターを押しているのだが、他の学年の競技になると、観戦そっちのけでスマホを取り出し、画面を食い入るように見つめたりメールの操作をして時間を過ごしていたことである。これはまさに東京で山手線や地下鉄に乗ったときと同じで、完全に「自分の世界」に入り込んで、「他者」を拒絶する、いかにもインターネット時代を象徴する光景だが、このような「他者への無関心」が蔓延る社会をみてほくそ笑んでいるのは「権力」だけではないか、と思い、空恐ろしい気がした。
先のシルバーウイークに二女の誘いで大洗(茨城県)の水族館に行ったときにも感じたことだが、インターネット時代=スマホ時代を迎えた現代では、従来の社会でも言われていた「(家族や親子、隣人等との)関係の断絶」を越えて、今や「家族」もバラバラに解体され、全ての人間(個)がバラバラに「孤立」することを余儀なくされているのではないか、と思わざるを得なかった。
そんな現代社会の「歪んだ」在り方を見せつけられると、安倍「極右」首相が安保法制=戦争法案が国会を通過してすぐに、満面に笑みを浮かべながら「アベノミクス第2弾」と称する健在政策を打ち出した根拠(背景)が分かるような気がした。彼は、戦争法案の審議の過程で「今はこの法案に対して十分に理解が進んでいないが、成立さえすればいつか理解が進むと信じている」旨の発言を繰り返していたが、他者(その中には、いずれ戦争へと狩り出される自衛隊員や若者たちも含まれる)への「無関心」がここまで極まった現代社会を生きる人間(個)の在り方を熟知し――ということは、国民の大多数は、祖父の岸信介が「声なき声」を信じると行って日米安保条約を強行採決した前例に倣って、戦争法案に対してそんなに関心を持って折らず、そのうち「忘れるだろう」と馬鹿にして――、あるいは先の「大勝」した衆議院選挙の時と同じように、戦争法案が実際に行使されるときのことを「小さく」見せるために、すでに多くの経済学者によって「失敗」が指摘されている「アベノミクス」の第2弾を提出し、「貧困」に苦しんでいる庶民の「目を眩ませ」ようとしているのではないか、としか思われない。
前にも何回か言ってきたことだが、安倍「極右」首相には、よほど「頭のいい」テクノクラート(官僚・シンクタンク)が背後にいて、理解力の乏しい(有り体に言ってしまえば「馬鹿な」)首相を支えているのだと思うが、「窮地」に陥った政治を立て直すために「経済」を、という発想は、高度経済成長期の1960年代~80年代ならいざ知らず、「デフレからの脱却」を狙い、「2%の物価上昇」を目標としたアベノミクス(第1弾)が実現せず、スーパーなどに行けば一目瞭然だが、天候に左右される野菜などは別にして、大方の商品が相変わらず「値下げ」状態にある現在、「アベノミクス」第2弾がぶち上げた経済成長政策は、いずれも「絵に描いた餅」なのではないか、と思う。
要するに、年金生活者の僕が実感していることだが、年々減り続ける年金に加えて、支出だけが増大する昨今の生活は、明らかに「弱者いじめ」でしかなく、アベノミクスが一部の富裕層にしか「恩恵」をもたらさないものであるということである。
そんな経済状態の中で、(アメリカの要請によって)増大し続ける防衛予算、これは戦争法案が成立した今日、ますます増大し続けるだろうし、それによって潤うのは「軍需産業」だけである。戦争法案が成立し、また原発が再稼働して喜んでいるのは、大手(軍需関連)企業とその下請けだけであること、このことを僕らは忘れてはならない。
そして、来るべき「選挙」においては、国会であろうと地方議会であろうと、戦争法案に賛成した自公の政治家たちを「落選」させるために、全力を尽くす必要がある。仕事上とか、今までのつきあいがあるから、などと言った自己中心的な考えを捨て、あくまでも「戦争反対」の理念を実現するための投票行動を行うべきである。 僕は、運動会で活躍した孫たち(とその子孫)を絶対戦争に参加させたくない、と思っている。
それは、特に若いお母さんたちに目立ったのだが、我が子が競技しているときは熱心にビデオカメラを回しデジカメのシャッターを押しているのだが、他の学年の競技になると、観戦そっちのけでスマホを取り出し、画面を食い入るように見つめたりメールの操作をして時間を過ごしていたことである。これはまさに東京で山手線や地下鉄に乗ったときと同じで、完全に「自分の世界」に入り込んで、「他者」を拒絶する、いかにもインターネット時代を象徴する光景だが、このような「他者への無関心」が蔓延る社会をみてほくそ笑んでいるのは「権力」だけではないか、と思い、空恐ろしい気がした。
先のシルバーウイークに二女の誘いで大洗(茨城県)の水族館に行ったときにも感じたことだが、インターネット時代=スマホ時代を迎えた現代では、従来の社会でも言われていた「(家族や親子、隣人等との)関係の断絶」を越えて、今や「家族」もバラバラに解体され、全ての人間(個)がバラバラに「孤立」することを余儀なくされているのではないか、と思わざるを得なかった。
そんな現代社会の「歪んだ」在り方を見せつけられると、安倍「極右」首相が安保法制=戦争法案が国会を通過してすぐに、満面に笑みを浮かべながら「アベノミクス第2弾」と称する健在政策を打ち出した根拠(背景)が分かるような気がした。彼は、戦争法案の審議の過程で「今はこの法案に対して十分に理解が進んでいないが、成立さえすればいつか理解が進むと信じている」旨の発言を繰り返していたが、他者(その中には、いずれ戦争へと狩り出される自衛隊員や若者たちも含まれる)への「無関心」がここまで極まった現代社会を生きる人間(個)の在り方を熟知し――ということは、国民の大多数は、祖父の岸信介が「声なき声」を信じると行って日米安保条約を強行採決した前例に倣って、戦争法案に対してそんなに関心を持って折らず、そのうち「忘れるだろう」と馬鹿にして――、あるいは先の「大勝」した衆議院選挙の時と同じように、戦争法案が実際に行使されるときのことを「小さく」見せるために、すでに多くの経済学者によって「失敗」が指摘されている「アベノミクス」の第2弾を提出し、「貧困」に苦しんでいる庶民の「目を眩ませ」ようとしているのではないか、としか思われない。
前にも何回か言ってきたことだが、安倍「極右」首相には、よほど「頭のいい」テクノクラート(官僚・シンクタンク)が背後にいて、理解力の乏しい(有り体に言ってしまえば「馬鹿な」)首相を支えているのだと思うが、「窮地」に陥った政治を立て直すために「経済」を、という発想は、高度経済成長期の1960年代~80年代ならいざ知らず、「デフレからの脱却」を狙い、「2%の物価上昇」を目標としたアベノミクス(第1弾)が実現せず、スーパーなどに行けば一目瞭然だが、天候に左右される野菜などは別にして、大方の商品が相変わらず「値下げ」状態にある現在、「アベノミクス」第2弾がぶち上げた経済成長政策は、いずれも「絵に描いた餅」なのではないか、と思う。
要するに、年金生活者の僕が実感していることだが、年々減り続ける年金に加えて、支出だけが増大する昨今の生活は、明らかに「弱者いじめ」でしかなく、アベノミクスが一部の富裕層にしか「恩恵」をもたらさないものであるということである。
そんな経済状態の中で、(アメリカの要請によって)増大し続ける防衛予算、これは戦争法案が成立した今日、ますます増大し続けるだろうし、それによって潤うのは「軍需産業」だけである。戦争法案が成立し、また原発が再稼働して喜んでいるのは、大手(軍需関連)企業とその下請けだけであること、このことを僕らは忘れてはならない。
そして、来るべき「選挙」においては、国会であろうと地方議会であろうと、戦争法案に賛成した自公の政治家たちを「落選」させるために、全力を尽くす必要がある。仕事上とか、今までのつきあいがあるから、などと言った自己中心的な考えを捨て、あくまでも「戦争反対」の理念を実現するための投票行動を行うべきである。 僕は、運動会で活躍した孫たち(とその子孫)を絶対戦争に参加させたくない、と思っている。