黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

新しい著書

2005-05-25 18:01:54 | 仕事
 六月の末か七月のはじめに、戦争文学論と原爆文学論とも言うべき二冊の本が同時に出ます。若い人たちや専門家でない人も読める「入門書」を念頭に書いて欲しいという版元(八朔社)の依頼に応じて書き下ろしたもので、戦後六〇年、「ヒロシマ・ナガサキ」から六〇年を意識して書きました。
 『<戦争>を文学はどのように描いたか』(仮題)は、日清戦争に従軍した国木田独歩の「愛弟通信」から、開高健の『ベトナム戦記」まで、日本の近代がいかに戦争と深く関係してきたか、文学者はそれをどのように描いてきたのか、という観点から実際の文章(引用)をたくさん取り入れながら、論じました。
 『<原爆>を文学はどのように描いたか』(同)は、原民喜の『夏の花』や大田洋子の『屍の街』から林京子の最新作まで、井伏鱒二の『黒い雨』、井上光晴の『地の群れ』、堀田善衛の『審判』、佐多稲子の『樹影』、小田実の『HIROSHIMA』、等々、戦後文学の歴史において脈々と一本の赤い糸のように書き継がれてきた「原爆文学」について論じました。
 二著とも、たくさんの人に読んでもらいたいな、と思っています。
 また、詳しいことは後でお知らせしますので、よろしくお願いします。(五月二五日)

『林京子全集』の編集

2005-05-25 17:47:36 | 近況
 今年は「ヒロシマ・ナガサキ」から、六〇年。この区切りの年に刊行すべく、約1年前から取りかかってきた『林京子全集』(全8巻)の編集作業が、ようやく終わりに近づき、後は6月下旬の一挙刊行を待つばかりになりました。この『全集』は、編集委員に井上ひさし氏、河野多恵子氏と黒古がなり、1975年に芥川賞を受賞した『祭りの場』から現在までの「著作」(小説・戯曲・評論・エッセイ)の95パーセントほどを収めた「決定版」を目指して編集したものです。
 林京子は、周知のように一九四五年八月九日、一五歳の誕生日を迎える一〇日ほど前に、学徒動員中の三菱兵器大橋工場(爆心地から一.四キロ)で被爆し、九死に一生を得た被爆作家です。ですが、その作品世界は多岐にわたり、少女期を過ごした中国・上海での経験を基にしたもの、息子のアメリカ赴任に同行した三年間のアメリカ生活を基にしたもの、等々、「硬質な主題」を持った作品を特徴とします。ぜひ多くの人が手にとってお読み頂ければと思っています。
 なお、第8巻に収録した「著書目録」「著作(初出)目録」「年譜」(林氏に目を通してもらった)は、これまでのどの「書誌事項」よりも優れたものになっていると自負しています。「解説陣」も考えられるもっとも適切な人にお願いできたと思っています。
 第1巻(橋中雄二・元「群像」編集長)
 第2巻(川西政明・文芸評論家)
 第3巻(井上ひさし・作家)
 第4巻(小田実・作家)
 第5巻(石川逸子・詩人「ヒロシマ・ナガサキを考える」編集人)
 第6巻(黒古一夫・文芸評論家、筑波大学大学院教授)
 第7巻(渡辺澄子・近代文学研究者)
 第8巻(横手一彦・長崎総合科学大学助教授)
 なお、この『全集』の推薦を、大江健三郎(ノーベル文学賞作家)、立松和平(作家)、伊藤一長(長崎市長)の三氏からいただくことができました。因みに大江氏の推薦文は「比類のない人」というタイトルで、「いま、小説の文章と人物作りと細部のたくみさで、この人は比類がない。生き生きした少女として中国で暮し、長崎に帰って原爆に遭う。その偶然を、意志にみちた沈黙のなかで必然に変えた人は、その生涯をつうじて、全作品と彼女自身を、さらに比類のないものとして、私たちの国の文化に屹立している。私は若い人たちに『林京子』を示すことで、文学はなお、また未来にかけて、なにより人間の上質な所産だといえるのを喜ぶ」(全文)というものです。
 今年の文学界で話題になるのではないでしょうか。