六月の末か七月のはじめに、戦争文学論と原爆文学論とも言うべき二冊の本が同時に出ます。若い人たちや専門家でない人も読める「入門書」を念頭に書いて欲しいという版元(八朔社)の依頼に応じて書き下ろしたもので、戦後六〇年、「ヒロシマ・ナガサキ」から六〇年を意識して書きました。
『<戦争>を文学はどのように描いたか』(仮題)は、日清戦争に従軍した国木田独歩の「愛弟通信」から、開高健の『ベトナム戦記」まで、日本の近代がいかに戦争と深く関係してきたか、文学者はそれをどのように描いてきたのか、という観点から実際の文章(引用)をたくさん取り入れながら、論じました。
『<原爆>を文学はどのように描いたか』(同)は、原民喜の『夏の花』や大田洋子の『屍の街』から林京子の最新作まで、井伏鱒二の『黒い雨』、井上光晴の『地の群れ』、堀田善衛の『審判』、佐多稲子の『樹影』、小田実の『HIROSHIMA』、等々、戦後文学の歴史において脈々と一本の赤い糸のように書き継がれてきた「原爆文学」について論じました。
二著とも、たくさんの人に読んでもらいたいな、と思っています。
また、詳しいことは後でお知らせしますので、よろしくお願いします。(五月二五日)
『<戦争>を文学はどのように描いたか』(仮題)は、日清戦争に従軍した国木田独歩の「愛弟通信」から、開高健の『ベトナム戦記」まで、日本の近代がいかに戦争と深く関係してきたか、文学者はそれをどのように描いてきたのか、という観点から実際の文章(引用)をたくさん取り入れながら、論じました。
『<原爆>を文学はどのように描いたか』(同)は、原民喜の『夏の花』や大田洋子の『屍の街』から林京子の最新作まで、井伏鱒二の『黒い雨』、井上光晴の『地の群れ』、堀田善衛の『審判』、佐多稲子の『樹影』、小田実の『HIROSHIMA』、等々、戦後文学の歴史において脈々と一本の赤い糸のように書き継がれてきた「原爆文学」について論じました。
二著とも、たくさんの人に読んでもらいたいな、と思っています。
また、詳しいことは後でお知らせしますので、よろしくお願いします。(五月二五日)